原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

映画版 “くるみ割り人形”、クラシック芸術を冒瀆していないか!?

2018年12月13日 | 芸術
 (写真は、昨日自宅近くの映画館にて観賞した映画「くるみ割り人形と秘密の王国」の新聞広告を転写したもの。)


 我が家は娘幼少の頃よりほぼ毎年12月のこの時期になると、クラシックバレエ公演「くるみ割り人形」を観賞しに出かけるとの習慣がある。
 
 本エッセイ集開設初期 2007.12.02 公開の「くるみ割り人形(全幕)」に於いてその様子を綴り公開しているため、再度その一部を掲載させていただこう。

 我が家の年末恒例の行事は、バレエ公演「くるみ割り人形(全幕)」を観ることだ。 今年(2007年)は、昨日(12月24日)のクリスマスイブに五反田ゆうぽうとホールへ松山バレエ団の「くるみ割り人形(全幕)」を観に出かけた。
 「くるみ割り人形」は、まずチャイコフスキーの音楽がすばらしい。 バレエ観賞の趣味がなくともこの音楽を聴いたことのない人はまず存在しないであろう。 「序曲」「行進曲」「ロシアの踊り」「足笛の踊り」「花のワルツ」「金平糖の精の踊り」… 全幕に渡り、名曲の数々である。
 我が家の場合、子どもが小学生の時にバレエ教室でこの「くるみ割り人形(全幕)」にクララの友達役で出演したことがあり、私もそのリハーサル等の付き添いで何度もお供したため、私も子どもも全幕全曲マスターしている。 音楽をマスターした上でのバレエ観賞は数倍楽しめるものだ。
 さて、この時期はあちこちの国内外バレエ団が「くるみ割り人形」を公演している。 毎年いろいろなバレエ団の「くるみ割り人形」を観賞しているのだが、私の好みは松山バレエ団の「くるみ割り人形」だ。 当ブログのバックナンバー「バレエを観に行こう!」でも既述しているが、松山バレエ団の「くるみ割り人形」は、出演者総数が飛び抜けて多く、絢爛豪華でとにかく楽しい。 子ども達もたくさん出演しているが、そこだけ浮いておらず全体の中にうまく溶け込んでいる。
 今回は2階席からの観賞だったが、2階席の利点は舞台の全体像が見渡せることである。 舞台全体をフルに活用し舞台後方まで細かい演出を施している松山バレエ団の場合、2階席からの観賞の方が全体を堪能できて楽しめるように思う。 
 「くるみ割り人形」の中で私の一番のお気に入りは、第一幕最後の「雪の精の踊り」である。(素人好みだが、コールドバレエにこそ私は感動する。) 総勢約30名が、一糸乱れぬ踊りを繰り広げるのが圧巻だ。 ダンサー層の厚い松山バレエ団の場合、踊りが揃っているのは当然のこと、コールド全員の身長、手足の長さ細さ、顔の小ささまですべてぴたりと揃っている! 厳しい内部オーディションを実施しているものと察する。
 また松山バレエ団の場合、第二幕の「ジゴーニュおばさんとピエロ」も特徴的で見せ場だ。 ジゴーニュおばさんの大きなスカートの中から子どものピエロが20人程出てきて踊るのだが、今年はこのピエロ役の子どもも厳選したと思われる。 ただ可愛らしいのみでなく演技力、技術力も伴っており、今回観客からの拍手が一番大きい場面だった。
 そして今回大きく演出を変えていたのは、クララが夢から覚める前に、くるみ割り人形の王子と別れる直前の場面で二人のしっとりとした愛のグラン・パドドウの踊りを設けていたことだ。 この演出により、今回の「くるみ割り人形」は単なる少女クララのクリスマスの夜の夢の世界範囲を超えて男女の出会いと別れの切なさも描かれ、クライマックスへの感動へとつながった 。原作にはないこの演出は大成功だったのではないかと私は感じる。
 (以上、「原左都子エッセイ集」開設初期のバックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 さて、今冬も何処かのバレエ団の「くるみ割り人形」を予約しようかと娘と話し合ったのだが。 結局娘の仕事の都合等々により予約を見送っていた。

 そんな折に発見したのが、冒頭写真の新聞広告だ。

 名作古典童話の映画化はよくある。
 例えばこの私も昨年は「美女と野獣」、それよりもっと以前に「白雪姫」を映画館にて見た。
 それらに比しクラシックバレエ古典名作の映画化とは、私が知る限りではこれが初めてではなかろうか?
 
 映画「くるみ割り人形……」に関する情報は、事前に冒頭写真の新聞広告やネットでの宣伝動画等により得ていた。
 今回の映画「くるみ割り人形」はディズニー社制作によるものだが、あくまでも映画館興行用に“娯楽作品”として制作された事実に関してはもちろん把握して出かけたものの…。

 映画冒頭でいきなり チャイコフスキー作曲「組曲 くるみ割り人形」小序曲が流れた時には、目頭がウルウルした。 というのもクラシックバレエのみならず舞台公演に於いては、誰しも開演前から観客の皆さんは期待満載であろう。 内面から溢れ出る感動を抑えつつ開幕を待つものだ。 それ故に「くるみ割り人形」のみならず、全ての舞台に於いて小序曲の果たす役割とは絶大であろう。

 ところがどうしたことか、(私に言わせてもらえば)最低限この「小序曲」に関しては全曲を流すべきなのに、なんと映画版は途中で名曲をブチ切り場面を変えてしまったのだ。 (これ、クラシックバレエファンにとってはあり得ない)作曲家チャイコフスキー氏に対する侮辱と捉えた。
 
 その後もこれの繰り返しだ。
 例えば我が娘がクララの友達役で舞台で踊った「行進曲」しかり。 
 私が好きな「ロシアの踊り(トレパーク)」「アラビアの踊り」「足笛の踊り」「雪の精の踊り」そして、何と言っても舞台メインの「花のワルツ」までをも、映画版では偉大なるチャイコフスキーの楽曲すべてを途中でブチ切ったり、映画ストーリーに合わせて断裁して使用しているのだ!
 この事実こそが、クラシックバレエ舞台ファンにとってはアンビリーバボー! でしかない。

 バレエの踊りに関しても。
 確かに、おそらく米国のプロバレエダンサーと思しき人物達が素晴らしい踊りを披露する場面もあった。
 特に映画が終焉たした後に、「金平糖の踊り」を流しつつ踊りを少しコンテンポラリーにアレンジしたがごとくのダンスが比較的長時間上映された。 (これが、クラシックバレエを比較的まともに取り上げた“唯一の”場面だったと言えよう。)


 私論でまとめよう。
 
 いや確かに、「芸術」であるクラシックバレエと「娯楽」位置付けの映画との間には今尚埋められない溝が存在することであろう。

 ただ熊川哲也氏など若くしてその「溝」を埋めようと、以前より努力しておられる人材だろう。
 今回の予告編でも、熊川氏による「クラシックバレエ」映画化チャレンジ風景を拝見した。 というよりも、熊川氏はご自身が主催されているバレエ団舞台の「映画化」を既に実現済みだ。(未だ「映画版」を拝見していない立場だが。)

 私が素人感覚で思うに。 
 舞台と映画との一番の “埋められない格差” とは、その「鑑賞料金」ではあるまいか?  その格差とは、実際問題数倍以上の開きがあろう。

 娯楽である映画が何を制作しようと自由なのはもちろんのこととして。 

 常にリアルタイム勝負の舞台芸術と、幾らでも編集作成可能かつ世界中へ配信可能な映画を一緒くたにした挙句。

 特にクラシックバレエとの古典芸術に及んでまでチャイコフスキー古典名曲を途中でブチ切りつつ、あくまでも“出来上がったフィルムを再現すればカネになる”映像との手段で、安易に映画制作公開している事実に異議申したい!

ランニング練習のご褒美に“飴”を頂きました!

2018年12月11日 | 人間関係
 (写真は、昨日自宅近くの大規模公園内でランニング練習を終えた際に、通りすがりの高齢男性より頂いた飴。) 


 私が“50の手習い”にて「ランニング」を初めてから10年程の年月が経過しただろうか?

 最初はトレーニングジム併設の“屋内トレーニング走路”にて練習を重ねていたのだが。 
 ある程度の距離が走れるようになって以降は、屋外でのランニング練習を主柱としつつその練習強化(とは言えども、週1,2回程度の頻度だが。)を実施して来ている。

 我が家から徒歩10分程度のところに、陸上競技場や複数の野球場を併せ持つ都立大規模公園がある。 
 その陸上競技場の外周がちょうど600mと距離計算がし易い事を利用し、いつもその外周を周回する形式で5kmランニング練習に励んでいる。


 当時より既に、我が国は“素人ランニングブーム”だった。
 それでも今思えば、まだまだ公園内でランニング練習をするランナーは現在よりも少なかったような記憶がある。

 当時公園内ランニング練習中に、見知らぬ人々から「頑張れー!」「頑張ってるね!」等々の御声がかかるのが大いなる励みとなったものだ。
 そのエールに手を振りながら笑顔で応えたりして、いっぱしのランナー気分にさせてもらえたものでもある。(実際、その頃の方が今よりもタイムがずっと良かったのだが…)


 その後も、ランニング練習前や終えた後に“お声がかかる”ことはある。

 私の場合、走る前のウォーミングアップや走り終えた後のクーリングダウンに「自己流ダンスエクササイズ」を取り入れている。 そのダンス姿が公園内で目立つ(??)ようで、様々な世代の方から声を掛けていただける。

 例えば、シルバーカーにて散歩中の90代高齢女性から「一緒に踊りたい!」とのお声が掛かった時には、「どうぞ、ご一緒に!」と誘い入れ、ほんの少しだが実際一緒に踊ったものだ! (そのお婆ちゃんのダンスが予想外に上手だった事に関しては、バックナンバーにて紹介している。)
 あるいはつい最近のことだが、犬の散歩中の比較的若い女性が立ち止まってダンス中の私に注目してくれるため、こちらから踊りながら笑顔で挨拶申し上げた。 そうしたら“微笑み返し”と共に挨拶返礼を頂いた。

 小学生程の女子は、ダンスに興味がありそうだ。 必ずや我がヘボいダンスを傍目で見つつ、「私の方が上手だぞ!」と言いたげな表情で少しステップを踏んでから通り過ぎる。
 そりゃ貴方達の方が上手に決まっているよ。 だって今現在は「ダンス」が義務教育体育の必修となっているのだもの。 その効果の程が凄いのは、高校生ダンス大会のレベルの高さ(大阪府立登美丘高校等々)が証明しているね!


 今現在の我が公園内ランニング練習に話題を戻すと。

 いやはや10年前よりもずっと数多い素人ランナー達で、公園内はいつの季節も賑わっている。
 これは同じ趣味を持つ同志として力強い反面、当然の成り行きとして、周囲ギャラリーからのランニング中の“お声掛けエール”など頂けるすべもなくなった。
 ただ真剣にランニング練習をしている身としては、むしろ“声掛け”に応えられない程の体力消耗状態でもあり、その整合性が取れているとのことでもあろう。


 さて、そんな我が素人ランナーとしての公園内ランニング練習を終えたクーリングダウンの時間帯に。

 やはり今現在も、声を掛けて下さる人物に出会うことがある。
 大抵は同じく陸上競技場外周をウォーキングをしていらっしゃる高齢域男性達だ。 
 1ヶ月程前頃にも、ランニングを終えた私に「この競技場外周を何周走っているの?」と質問して下さった人物がいた。 
 それに応えて、「私は5kmを完走したいのですが、この競技場外周は600mのためそれを8周少しプラスしています。」 その時も、「それは凄いね!」と言ってもらえたものだ。


 そして昨日の事だが。

 やはり高齢域(おそらく80歳前後)の男性から、ランニング練習終了後にお声掛け頂いた。
 「貴方はこの外周を3周ほど走っているのかな?」 と尋ねて下さるため、私応えて「いえ、8周走っています。 私の場合5km完走を目指していますので8周プラス200m程走っています。」
 そうしたところ返されたのが「そんなに走ってるの、それは凄いよ、頑張ってるね!」とお褒め下さるではないか。 それに対する我が反応に喜んだ高齢男性が。

 「貴方に“金メダル”をあげるよ、ほら」と言って手渡して下さったのが冒頭写真の「金のミルク」なる飴だ。
 いやほんと、何だか五輪で“金メダル”を貰った気分程の嬉しさだった。
 この高齢男性は私が5km完走に必死になっている間に。 もしかしたらいつもこの陸上競技場外周で何度もお会いしてるのかもしれない、と思わせられる劇的場面だった。


 ところで、「飴」を大阪のおばちゃん界では「あめちゃん」と呼ぶとの番組をNHKで少し前に見た記憶がある。
 それは「ボーっと生きてんじゃないよ!」のフレーズで有名になった“チコちゃん”が出演している番組だが。
 その番組内で、何故大阪で飴を「あめちゃん」と呼ぶのかに関し、豊臣秀吉時代の経済政策が絡んでいる(?)なる結論を導いた記憶がある。
 
 それはともかく、大人になっても見知らぬ他人から豊臣秀吉時代より受け継がれた経済政策(??)である「飴一個」を貰い受ける事実とは、実際“褒められた”実感があり心底嬉しかったものだ。
   

“拙速な審議”により与党が強硬成立させた「改正入管法」

2018年12月09日 | 時事論評
 冒頭から私見だが。

 「改正入管法」を成立させたとて外国人労働者が政府の思惑程は日本には来ないのではないか、との世間の俗説も聴く。
 どうやら、外国人労働者を既に受け入れている諸先進国に比し、日本の場合賃金等々の労働環境が魅力的ではなさそうだ。

 それにしても、安倍政権の「改正入管法」成立までの強硬かついい加減なやり口は実に腹立たしかった。 安倍氏の任期が後3年足らずにして、この期に及んでいつまで経っても安倍氏の歪み切った“独裁ぶり”には驚かされるやら呆れるやらだ。


 それでは、昨日2018.12.08 未明の参院本会議で採決され賛成多数で可決・成立した「改正出入国管理法(入管法)に関する朝日新聞2018.12.08付 社説の一部を、以下に要約引用しよう。
 
 外国人受け入れ拡大を図る改正入管法が、政府与党の強引な国会運営で成立した。
 少子化高齢化に伴う人出不足が深刻化する中、受入れの必要性自体は多くの人が理解するところだ。 それに向けて、議論を重ね合意を形づくる事が政府の役割のはずだ。 その地道な努力を放棄し、数の力で法案を押し通し、生来に禍根を残す振る舞いであり、到底認められない。
 どの業種にどれ程の外国人を受け入れるかが制度の根幹だ。 にもかかわらずそれらは法成立後に省庁で決めるとし、質問されても「検討中」を繰り返した。
 ごまかしの説明も多かった。 非専門職の就労に初めて門戸を開くのに、「従来の方針を変更するものではない」と言い張る。 
 参院法務委員会での審議に臨む前には、安倍首相が「ややこしい質問」を受けねばならないと発言した。 国会を愚弄する象徴的な光景だった。 何故拙速に成立を目指したか。 透けて見えるのは打算や思惑だ。 来年の統一地方選挙と参院選に向けて、人手を確保したい産業界の支持を得たい。 一方、外国人の増加を警戒する政権支持層も繋ぎとめたい。 その帰着が、政府が描く「単身で来日し、働き、やがていなくなってくれる労働者」像といえる。
 例えばドイツは、戦後受入れた出稼ぎ労働者が国を分断する一因となったと総括し、移民を認める方向にカジを切り、共生を重視した。 韓国しかり。 こうした国々の経験から政府は何を学んだのか。 法案や国会審議からはついに見えなかった。
 逆にはっきりしたのは、新制度の土台である今の技能実習制度がもつ数々の問題点だ。 実習生の多くが最低賃金を強いられたり、暴力を振るわれたりした。 野党による聞き取りや参考人質疑を通して、深刻な人権侵害状況が明らかになった。
 法務省は実習生の調査を進める立場にありながら何らの行動も起こさず、山下法相は、詳細を調査し来年3月までに実態を解析すると表明したが、順序が逆だ。(中略)
 既に大勢の外国人が日本で生活し、社会を支えている。 だが、一部の自治体や住民は別として、多くの人はその姿を直視せず、「わがこと」として考えて来なかった。 国会審議はその現実もあぶり出した。 共に生きる道を考える。 それは、この社会に生きる一人一人に課せられた役目である。
 (以上、朝日新聞「社説」より一部を要約引用したもの。)


 私は、今回の安倍政権によるいい加減かつ拙速な“「改正入管法」成立劇”を国民の一人として観察しつつ、今夏8月に実施した米国西海岸個人旅行にて見た風景を思い起こした。

 以下に、その時の我が心情を描いた旅行記である 2018.08.30 公開の「米国西海岸旅行記 ー移民・難民激増で大変貌した米国編ー」を振り返らせて頂こう。

 今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
 19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
 白人が見当たらないと表現して過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。
 サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。 どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。 
 その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」  最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。 他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。  この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。 
 米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
 その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。  ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。
 やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られているのであろう。
 今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。 あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。  この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。 
 今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。
 ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。
 この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった…… 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)

  
 上記我がエッセイ記載内容は、今回の我が国の「改正入管法」成立のニュースとは異質のものであろう。

 ただ、朝日新聞「社説」の最後に掲げられている結論部分を今一度紹介すると。
 既に大勢の外国人が日本で生活し社会を支えている。 だが、一部の自治体や住民は別として多くの人(国民)はその姿を直視せず、「わがこと」として考えて来なかった。 国会審議はその現実もあぶり出した。 (外国人入国者と)共に生きる道を考える。 それは、この日本の社会に生きる一人一人に課せられた役目である。

 今回の安倍政権による“拙速な改正入管法審議成立”とは。
 今後我々日本人にまさにこの課題を突き付けたにもかかわらず。 国家首相である安倍氏ご自身が一切その自覚(外国人末端労働者と仲良く暮らそう、との自覚)無くして、安直に成立させた法制であると私は呆れ果てている。

 末端に暮らす我々庶民が、真に自分の問題として「改正入管法」の成立を受け入れねばならない時代に突入しているとして。
 実際問題、それを操る国家政権こそが真に“我が事”としてこの課題に真剣に取り組むべきなのは、私が言うまでもない。

藪蚊騒動 と ジリオラ・チンクエッティ 「La Pioggia」

2018年12月08日 | 音楽
 (写真は、イタリア人女性歌手ジリオラ・チンクエッティの大ヒット曲「La Pioggia」⦅日本語名「雨」⦆の歌詞の一部をネットより引用したもの。 コピー・印刷共々不能につきパソコン画面より直接転写したため、不明瞭な点お詫びします。)


  まずは、“藪蚊”の話題から始めよう。
  
 当エッセイ集2016.05.05バックナンバー「みなさん、藪蚊にはくれぐれもご用心!」に於いて写真付きで公開したが。
 私はその当時のランニング練習中に、藪蚊に刺されるとの被害に遭っている。
 当時公開した写真をご覧になって頂けると一目瞭然なのだが、藪蚊に刺されたのは右足踵付近の一カ所だけにもかかわらず、右足の踵付近全体が左足の3倍程に腫れあがってしまったのだ。
 その激しい痒みと言えば筆舌に尽くし難く、特に夜中など一晩中右足をかきむしらねばならない状態で、日毎悪化を続けたものだ。 その後1週間程度で腫れは引いたものの、局部の痒さはその後もしばらく続いた記憶がある。

 その厳しい経験の後、屋外でのランニング練習中はとにかく藪蚊には十分な注意を払い、特に脚に関しては夏の暑い時期も足を全部覆うトレーニングスタイルを貫いている。

 さて、今夏の記録的酷暑にともない、どうやら藪蚊(家蚊も含めて)の出現が遅れているとの噂を耳にしたのは、8月終り頃の事だった。 確かに蚊をあまり見かけない今夏だったような気がする。

 今年自宅近くの大規模公園にてのランニング練習中に、藪蚊を発見したのは10月の事だった。 (ははあ、あの噂は当たっていてこれからが藪蚊の活躍時か、十分に気を付けねば。)と思いつつランニング練習に励んだのは11月終りの頃だ。 
 「あっ! 藪蚊がいるいる! さっさと帰ろう。」と思ったものの時既に遅し、だった。
 足は覆っているものの腕は露出していたのが災いして、左腕上部を藪蚊に刺されているのを発見した! ただ、一度目はさほどの痒みが無いと2016年時に刺された際にも認識していた通り、まあ3日程で痒みは収まった。
 
 そして、今週の月曜日(12月3日)の事だが、やはり公園へランニング練習に行った際の気温が23度を記録していた。
 12月にして藪蚊が出現するか!?? との思いも虚しく、今度は右腕上腕部下方を刺されてしまった…
 翌日の火曜日あたりから痒みが激しくなり、案の定右腕が全体的に腫れ始めた。(今回も写真撮影したものの、腕をアップで大写しすると年齢がバレそうなため公開は控える事としたが。
 2016年の悪夢のような激しい痒みも再来する事となり、一時は微熱まで出るわ、夜な夜な腕を掻き続け眠れやしないわ、散々な日々を過ごすことと相成った。 (その間もエッセイ公開は続けたが、右腕をボリボリ掻きつつの執筆だったものだ。)
 本日になって腫れがひき始め、やっと“生きた心地”がしている現在である。

 昨日金曜日は定例のランニング練習の日だったのだが、現在「藪蚊恐怖症」に襲われている身にして、どうしてもそれを避けたく思った。

 ただ外で過ごす予定の日に家に引きこもるのも、我が性質としては絶対に嫌だ!

 そこで思いついたのが、「そうだ! カラオケ行こう!!」 だったのだ。 (どんだけミーハーか、お前は!) と自分でも言いたくなりそうだが…


 実は今現在、音楽スタジオにてのフルート自主練習中に、過去にカラオケで歌った歌や昔好きだった楽曲をユーチューブ等も参照しつつ、自分で譜面化して利用している。
 譜面化とは言えども、あくまでも“簡易なもの”に過ぎないのだが。 我が脳内に記憶されているメロディラインをフルートにて演奏し易い♯♭の無い「ハ長調」や「イ短調」に書き換える作業をしているだけの話だ。

 その中の一曲が、冒頭写真のジリオラ・チンクエッティ氏による「La Pioggia」(日本語名「雨」)である。
 1969年に日本でシングルレコードとして発売されたこの楽曲を最初に聴いたのは、私が中学生の時だった。 とにかく音楽好きの私の耳に、ジリオラ・チンクエッテイ氏の歌声が響き渡った。 それをラジオで何度か聞いているうちに、イタリア語の歌詞を我が耳があくまでも“空耳”で自分勝手に記憶したのだ。
 これが不思議だ。 今尚、そのイタリア語“空耳”デタラメの「La Pioggia」全曲が歌えてしまうのだ。
  
 いや、当時中学生時代には私が好きだった他の名曲(ビートルズ等々)の歌詞もすべて記憶している。 ただ英語の歌詞に関しては既に英語を習っていた立場でもあるし、その歌詞を記憶可能なのはある程度当然でもあろう。
 
 そんな中、当時も今も全く経験の無い「イタリア語」の空耳歌詞記憶がどれだけ正確なのか、あれから50年近くの年月が経過した今知りたくなったのだ。

 そして、私はカラオケ店へ出向いた。
 もちろんの事、他の楽曲も沢山歌った。

 少し面白かったのは、マッシュ・マッカーンによる「霧の中の二人」の歌詞だ。
 これも中学生時代に憶えた英語の歌詞だが、当時は歌詞内容など何ら理解せずして勝手に男女恋愛の曲だろうと考えていた。(“I love you”のフレーズがやたら多い曲である。)
 昨日カラオケ画面で見た英語文字のその歌詞内容は私の勝手な解釈とは大いに異なっていた。 それは単なる男女恋愛を語るものではなく、要するに「愛の普遍性」を語ろうとしたのではないか、と私は初めて理解した。


 最後に、ジリオラ・チンクエッテ氏による「La Pioggia」(日本語名「雨」)に話題を戻そう。

 いやいや、私が中学生時代に“空耳”で憶えた歌詞が今でもほぼその通りで3コーラス歌えたのだ!
 まあ要するにイタリア語とは、日本のローマ字に通じるものがあるのかもしれない。
 それだからこそ、我が中学生時代の“空耳”が50年の年月を超越して生きているのであろう。

 まあ、たまには藪蚊に食われてみるもんだ。
 そんな思いも抱いた、昨日の我が突如の“カラオケエンジョイ”でもあった。
 

「高輪ゲートウェイ」だと? 何だそのダサい駅名は!!

2018年12月06日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞2018.12.05付朝刊 一面記事より転載した、建設が進む新駅「高輪ゲートウェイ」駅近辺の航空写真。)


 一体どうしたんだ?!?
 何でもいいからカタカナ入れりゃ、ちょっとお洒落っぽいかな? なるその一昔前の陳腐でダサい感覚は!?!
 (などと言いつつ、この私も娘に授けた命名が“カタカナ”なのだが…。  ただ決して“お洒落っぽさ”なるありきたりで平凡な路線を目指した訳ではないぞ!!  命名元原語の、紀元前から継承されている素晴らしき歴史的・学術的由来こそを尊重したいがために、敢えて漢字での当て字を避け、原語のカタカナを死守した結果だ! 


 早速ネットより、この「高輪ゲートウェイ」駅名に関する情報を以下に要約引用しよう。

 山手線の新駅は「高輪ゲートウェイ」。
 「ゲートウェイ」と聞くと完全にPCメーカーを思い出してしまう。 牛の模様をトレードマークにした「ゲートウェイ(Gateway)」というPCメーカーがあった。 現在はエイサーに吸収されブランド名だけ残っているそうだが。
 さて、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」。 
 今回の新駅に関しては、駅名の公募が行われた。 応募総数は64,000件を越え、13,228種類の駅名の応募があった。 その結果は以下の通り。
 1位 高輪(たかなわ) 2位 芝浦(しばうら) 3位 芝浜(しばはま)
 「高輪ゲートウェイ」は130位で、応募があるにはあったようだ。
 その選定理由は「この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています」とし「新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担う」からだそうだ。
 なぜ「ゲートウェイ」が採用されたのか?
 この再開発エリアは「グローバルゲートウェイ品川」というコンセプトが掲げられ、「世界中から先進的な企業と人材が集い、国際社会に受け入れられる街」を目指している。 つまり1位の「高輪」と、開発コンセプトの「ゲートウェイ」の合わせ技である、ということのようだ。
 「高輪ゲートウェイ」の応募数は36件で、関係者が応募していたのでは‥‥などと陰謀論めいたことも考えてしまう。 それくらい突拍子のないネーミングだろう。
 路線図マニアが気になること。
 山手線の新駅が「高輪ゲートウェイ」に決まったことを受け、「高輪ゲートウェイ駅」を路線図にどうやって入れるかという興味深い視点の記事も公開されている。
 この長い駅名、路線図にとっても一大事。 路線図マニアとしては「『高輪ゲートウェイ』という長い駅名を、品川と田町のあいだにどうやっていれるのか?」が、どうしても気になるところだ。
 「高輪ゲ」とするわけにもいかないだろし、確かにこれは難問だ。
 JR東日本は先立って調整していたかもしれないが、「JR以外にも影響はあります。地下鉄や私鉄にも山手線の駅は描いてあるんです」ということで、他鉄道社からは「なんでやねーん」という声が上がったりしているかも?
 いずれにせよ決まってしまった「高輪ゲートウェイ駅」が、どんな歴史を歩んでいくか、見守るほかはない。「どこに住んでるの?」「高輪ゲートウェイ」いつか馴染む時がくるのだろうか。
 「高輪ゲートウェイ」は2020年春に開業予定。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 一旦私見だが。

 上記ネット記述内にある『高輪ゲートウェイ』の応募数は36件で、関係者が応募していたのでは‥‥などとの陰謀論…… 」なる記載が事の真相なのではないか? と私も同意したくなりそうだ。

 加えて、「この長い駅名、路線図にとっても一大事」との上記情報内記載も、大都会東京に住む我が身としても大いに気になるところだ。  
 私の場合はJRではなく東京メトロ沿線住まいだが、土地勘があまりない鉄道駅近辺を訪れる際には必ずや「鉄道網路線図」を鞄の中に携帯する。 そのため、あのB5程度の狭い四角四面に「長~~い駅名」を付け加える事が“至難の業”である事実に十分に想像が付く。 上記ネット記述者がおっしゃる通り、「高輪ゲ」とでも記載せずしておそらく他に方策はない事であろう。
 たった今、手元にある「メトロネットワーク」路線図を確認したところ、「押上(スカイツリー前)」なる半蔵門線の駅名が記載されている。 ただ、当該駅の場合都内でもやや閑散とした(?)地に位置しているため駅名全部を記載することが叶っているようだ。
 片や、新駅「高輪ゲートウェイ駅」とは、大都会東京都心の大動脈である「山手線」の一駅である。 「田町」「品川」間との実に狭い隙間にその駅名を入れ込まねばならない。  
 実際問題「高輪ゲ」とでも記すしか方策が無く、何だか“ゲロ”でも出そうな感覚だが……


 最後に私論でまとめよう。

 日本国内でダントツ一番の乗降客数を誇っているであろう大都会東京の大動脈「山手線」新駅の命名が「高輪ゲートウェイ駅」…。
 これが「高輪ゲ」と路線図に記載され、都民皆が当該駅を「高輪ゲ」との愛称(??)で呼ぶのも近いのだろう。

 まあ、あくまでも「愛称」とは「愛称」に過ぎず、山手線新駅が「高輪ゲ」の愛称で事が済まされるならば。
 今後に至ってはその地を訪れる事が稀であろう私には、さほど関係の無い話題とも言えるが…。