原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子がコメント対応に悩み疲弊していた頃

2020年03月12日 | その他オピニオン
 本日、本エッセイ集にて5本前に公開した「ネットが社会を分断?? ネットにそんな大それた力は無い。」 に関連するバックナンバーを発見した。


 2010.03.22公開、「自己のオピニオンと“公開性”とのかけひき」と題するエッセイがそれなのだが。
 以下に、ほぼ全文を引用させていただこう。

 今週一杯で終了するNHKの連続ドラマ「ウェルかめ」の本日(3月22日)の放送の中で、編集者として生きていこうとしている若き主人公が、出版物の“公開性”故にもたらされる編集者が負うべき責任について考慮する場面があった。
 (あくまでも原左都子の記憶に頼れば…) 「たとえ一地域限定で無料で配布する小冊子であろうと、編集者にはその公開性に基づく責任がある。」云々…  との主人公のセリフに対し。 周囲の友人や家族、元編集者仲間が、 「とりあえずは自分なりのメッセージをまとめて記事を作り小冊子を一冊作成してみてはどうか?」等の後ろ盾応援を贈るというような、本日のドラマのストーリー展開であった。 

 上記のドラマにおける若き主人公の悩みは、ネット上で公開されている「ブログ」という情報媒体にも共通する課題であろう。

 ある意味では地域限定の出版物よりも、全世界に張り巡らされているネット上における情報公開の方が、その公開範囲が比較対象にならない程に広大であることは事実だ。 また、地域がコミュニティを形作っている構成体であるのと対照的に、ネット世界とは不特定多数の個々人がアクセスできるという異質な特徴もある。
 さらに出版物が紙を媒体とした実質的な情報源であるのに対し、ネット上の情報とは時間の経過の影響を受けやすく、また削除機能の存在等により実質性に欠けるという“はかなさ”もその特徴とする情報の媒体なのであろう。

 そのようなネットの特質を開設以来心得つつ、情報を公開し続けている我がブログである。
 「原左都子エッセイ集」の場合は、ご覧の通り時事等の社会問題に対する“自己のオピニオン”の公開を第一義の趣旨として発信しているのが特徴である。 一方で、現在国民2000万人のブロガーが公開していると推測されるブログがネット上で発信しているその情報の内容は、皆様もご存知の通り多種多様である。
 例えば世の物議を醸すべくもないような“穏やかな内容”のブログ(例えば、家族やペットの紹介、写真や絵や小説や料理等のご自身の趣味の公開、等々)に比して、我がオピニオンブログなど“公開性”の持つ意味合いが世の多大な反響を伴うのであろうと、筆者である私は重々認識している。
 そのため過去において“公開性”に鑑みた「原左都子エッセイ集」の公開基準に関する私論を、バックナンバー記事において再三公開し続けてきている。 それは我がオピニオンを世に発信することに関して、あくまでも自己の責任において対応しようとの意思を表明したいからに他ならない。

 その上で、ブログというネット上における情報発信媒体を最大限有効利用したいがために、「原左都子エッセイ集」においては開設以来コメント欄をオープンにし続け、読者の皆様より頂戴するコメントに全力で返答させていただいてきた。
 年月が経過して、残念なことにその作業に筆者である私が疲れ果てているのも事実であり、先だっての数本前の記事で、皆様より頂戴した「コメント公開に関する基準」を設けさせていただくことと相成った次第である。
 それでも今尚「原左都子エッセイ集」に対する様々なメッセージを(コメント欄以外のルートからも)少なからず頂いている現状である。

 ネットを通じてブログにご訪問下さる方々とのお付き合いとは、あくまでもネット上の“言論”の域を超えていないのは否めない事実であろう。
 それにもかかわらず、「原左都子エッセイ集」の言論によるオピニオンの範囲を超えて、「私」という人間像を「原左都子エッセイ集」と同一化し勝手に創り上げてメッセージを頂くことも多い現状である。  ただの一度たりとてお会いしたこともなく、ましてや語り合わせて頂いたこともない方々から、私の人格にまで触れるがごとくのメッセージを頂戴するのは、この私とてご勘弁願いたいというのが正直なところである。
  一例を挙げると、  “うだうだと文句ばかり垂れてる奴だ”  “社会批判ばかりしている人間は嫌いだ”   “もっと素直になったらどうか” …… 
 (うだうだと文句ばかり垂れて日々暮らしていけるはずがない。 人間とは皆本来多面性を持った生き物だ、と言いたくもなるよなあ。)

 皆様のお気持ちも分からなくはない。 この種のメッセージを寄せて下さる方々とは、おそらくネット情報に“癒し”や“心のオアシス”を求めておられるのであろう。
 申し訳ないのだが、「原左都子エッセイ集」はその類の要望に応えられるブログではないのかもしれないことを、ここで改めてお詫びしたい思いである。 あしからず… 
 話を冒頭の話題に戻して、「ウェルかめ」の主人公のごとくの若き世代の女性にとっては、情報の“公開性”の責任よりも、失敗や批判を恐れずにとにかく自己のメッセージを編集者としてまとめて発信してみることがさしあたっての課題となろう。 (その意味でこのドラマの終盤での趣旨は正当と言えよう。)

 一方で若くもない私が綴る「原左都子エッセイ集」は、やはり情報の“公開性”の責任を最優先するべきなのは当然の選択肢であると認識する。 
 ただし“公開性”の責任を最優先した上でも「原左都子エッセイ集」があくまでもオピニオンブログの立場を貫く場合、読者の皆様との多少の“軋轢”は今後も覚悟するべきかもしれない。

 ただ、“公開性”の責任と読者への“迎合”は似ているようでまったく異質の存在である。
 “軋轢”を耐えて尚、読者への“迎合”は是が非でも回避しなければ、たとえ無名の一庶民が無料で発信しているブログであろうと“自己のオピニオン発信”の真の継続は不可能であると私は心得るのだ。

 (以上、2010.03公開バックナンバーより引用したもの。)


 2020.03.12 今現在の私見だが。

 いやはや、何だか当時の自分が痛々しくすらなる。 😪 
 この頃かそのもっと以前より、日々コメント対応に相当悩み胃を痛めていたのであろう。

 穏健に無難にブログを公開しようと目指すブロガーが増加し始めた反面。
 叩ける相手はとことん叩いて自己のストレス発散をしよう、と企むブロガーが蔓延っていた時代背景ではなかっただろうか?
 まさに「原左都子エッセイ集」など、後者の“格好の餌食”だったのかもしれない。

 2010年当時は、今からちょうど10年前。 実際の私もまだまだ若気の至りの残影があった頃だろう。  現在同様ブログに写真を公開する機会もあったが、この頃は自分でも外見的に年齢よりもずっと若い風貌だった記憶がある。 
 ブログ上で実年齢を公表し始めたのは還暦過ぎた頃からだが、もしかしたら10年前頃の我が風貌が実年齢よりずっと若く見えたのかもしれない。 

 実際、とてつもなく失礼なコメントも幾度となく頂戴した。 (既に削除処理を施しているかもしれない。)
 私側としては、こちらが年長者であり教育職経験もある身にして、若い世代のご意見を出来る限り受け入れるべく対応するべき、との下手な使命感もあった。
 そんな自身の力量に釣り合わない無理を、コメント欄にて重ねていた事と振り返る…。

 そのように考えてくるに、私が2011年末にブログ・コメント欄の閉鎖措置を執ったのは、やはり必然だったと結論付けられる。

 今後は私側こそが皆様のブログに失礼なコメントを書き込む事無きよう、十分に留意しつつ。 
 我がオピニオンブログ公開を今後も力強く全うしよう!!

我が家の2011.03.11のあの日

2020年03月11日 | 時事論評
 (写真は2011年3月11日午後2時46分頃、東北・関東地方で発生したM9,0大地震一波大揺れ直後に撮影した我が家の被災状況の一部。 棚からCD類が大量に落下し床に散乱した。 余震中の撮影のため大きく手振れしています。)


 その時、外出予定があった私はその準備に取り掛かろうとしていた。
 「あっ、揺れている。これは地震だ。」
 通常地震発生直後には地震速報は出ないため、もうしばらく様子をみてから後テレビのスイッチを入れようとしていたら、どんどん揺れが大きくなる。 (これは尋常な地震ではないぞ)と思い始めるのと同時に、和室に設置してある高さ230cm程の書棚が前後に大きく波打ち始め、上部が後ろの壁にぶつかってはドーンと大音量を発し開き戸が全開してしまった。 咄嗟に(中の書籍が飛び出したら大変だ!)と思った私がその扉を閉めようと和室に駆けつけたところ、横の机の上に山積みにしてあった書物や資料等々が机の揺れと共に和室一面に放り落とされてしまった。 そして、書棚の揺れはますます大きくなるばかりだ。
 この時私は、ここで書棚を押さえていたのでは必ずや倒れて、もしかしたら我が命を失うであろう事がやっと想定できたのだ!
 (書棚が倒れる心配よりも自分の命をつなぐ心配をするべきだ!)と少し冷静さを取り戻してみるものの、和室から見えるリビングルームの置物はすべて床に放り落とされ、壁に掛けていた絵画等も落ちて散在している。
 尚、揺れがおさまる気配はない。
 とりあえず自分の命を守ることを優先した私は、自宅内の物が落下しない場所に立った。 立っていられない程の揺れであるのだが、座ると上から物が落下してケガをする恐怖感で座る気になれないのだ。

 やっと一波が通り過ぎた後に尚小さな揺れが続く中テレビのスイッチを入れると、東北地方の大津波警報が発信され 「すぐに高台に避難して下さい。しっかりした高いビルの上階に避難して下さい!」 との悲鳴にも似たアナウンサーの指示が流れている。
 私自身は東京地方に特化した情報こそが知りたいのだが、そんなことよりも大被害を及ぼす津波警報が優先されるのは当たり前である。

 これは自分で今取るべき方策を判断するしかないと悟った私は、とりあえずベランダから周辺地域の状況を観察した。(参考のため、いつもは手で開けるにも力がかかる程の重量があるベランダ側の大型二重ガラス窓が、先ほどの大揺れで開いた状態である。)
 一見したところ近隣住居の中に倒壊した家屋はなく平静を保っている様子で、近くの公立小学校から児童向けの地震発生のアナウンスが聞こえては来るものの“古い校舎”が崩れている様子もない。
 
 おそらくこのまま自宅にいるのが一番安全だと悟った私は、まだ大揺れ余震が続く中、家中の見回りを開始した。
 台所に行けば食器棚の下段から食器が転がり落ちている。(食器棚上段に関しては開き戸を固定できる構造であるため、棚内部での落下にとどまっている。)
 娘の部屋でも、やはり学習机の上の教材や書棚の中身が部屋に落下し散乱している。
 そして、身内の部屋では(上記写真のごとく)オーディオ棚の上に積み上げてあったCD類が床一面に散乱している状況だった。
 (その後の我が複数の知人等からの情報収集によると、我が家は集合マンションの“上階部”に位置しているために低層部、あるいは一戸建て住居より“揺れ”が激しかったと考察できるのだろうか…??)


 次の心配は我が娘! であるのは親として当然である。
 首都圏の交通網は全面マヒ状態だ。 そろそろ娘の下校時かと思い早速携帯通話を試みたものの、報道で見聞しているごとく携帯電話は一切繋がらない。
 16時を過ぎてパソコンからメールをしてみると、やっと繋がった! どうやら学校の指示で学内に留まった方が安全であるため学校で待機しているとのことで、娘からそのメール一報を受けて一応安心した私である。
 もし娘が早い時間に帰宅した場合、自宅内の惨状を見せてトラウマに陥らせることは避けたいと考えた私は、結構激しい余震が続く中果敢にも散乱物の“片付け”行動に入ったのだ。

 ある程度の片付け後、今度は夕食の準備をしようとするとガスが付かない。(そりゃそうだろうなあ。この余震が続く中“火”など使ったものなら被害を拡大するだけだ。)と悟った私である。 我が家では電気と水道が寸断されていなかったことが大いなる救いだった。

 娘に話を戻すと、首都圏の交通網は昨日中の復旧が不可能状態のようだ。
 「下手に大混乱の首都で“帰宅難民”になるよりも、もしも学校で一夜を明かせるならばそれが一番の安全策!」との私の指示に素直に従った我が娘は、所属高校の体育館で「緊急対策グッズ」を配られ眠れぬ中何とか一夜を凌いだようだ。
 今朝から復旧したJR等を大混雑の中乗り継ぎ2時間程をかけて帰宅した我が娘は、今回の記録的大震災により人生初めての惨劇を自らの体で経験して疲労困憊した様子で今現在眠りこけている。 (目覚めたら、今後のトラウマとならぬよう親として重々フォローしてやるつもりだ。)

 今回の記事では、東京地方に住居を構える原左都子が昨日より経験している大地震の現況について伝えてきた。
 東日本の太平洋側各地では、今尚津波警報対処を余儀なくされている。
 そして原子力発電所の放射能漏れの事態も深刻である。
 日本の歴史上最大級である今回の大震災の被害状況は、今後の調査と共に大幅に拡大するであろうことを察していたたまれない思いだ。
 東京の我が家でも今まだ余震が続いていて、油断できない今後の日々である。


 あれから9年が経過した2020.03.11の本日。

 今、当時の惨劇を振り返るに。

 何と言っても大都会にて発生した交通網大渋滞下に於ける「帰宅難民」を余儀なくされ、高校の体育館にて一夜を過ごした娘の安否こそが最大の懸念だったものだ。 
 あの日から9年の年月が経過した今尚、我が脳裏に一番に思い浮かぶのは、娘が体育館内で心細く過ごしたであろう一夜のその情景だ… 

 あくまで東京に暮らす我が身として9年前の東日本大震災を振り返る場合、そういう結論となる事実をどうかお許し頂きたい。

 その直後期に「福島原発」から北西風に乗って東京方面へ日々押し寄せる放射能にも苦心させられた。
 東京都の水道水も放射能汚染し、我が家にてその水道水で飼っていたメダカが3月下旬に突然大量死に至った事実に関しても、私は我がエッセイ集にて公開している。😱 

今更「子ども達は公園へ行っていい」回答、政府・文科省もどこまで出遅れているんだ?

2020年03月11日 | 時事論評
 先ほど、ネット上で見た情報を以下に引用しよう。

 政府の休校要請を受け、自宅などで過ごしている子どもたちについて、文部科学省が「屋外での運動や散歩を妨げるものではない」とする見解を、全国の教育委員会などに示した。 「子どもが公園に行ってもいいのか」などの問い合わせが相次いだためという。
 文科省は安倍晋三首相が一斉休校を表明した翌日の2月28日以降、考え方を各教育委員会などに伝え、Q&A形式で公開している。 3月9日には「臨時休業でも、児童生徒が外出したら効果がないのではないか」という問いの答えを更新。風邪の症状があったり、風通しの悪い空間で密集する場所に出かけたりするのでなければ、「屋外で適度な運動をしたり散歩をしたりすること等について妨げるものではなく、感染リスクを極力減らしながら適切な行動をとっていただくことが重要」とした。
 当初は「実効性を担保するため、基本的に自宅で過ごすよう指導をお願いしています」との文面だったが、文科省へ問い合わせが相次いだ。 地方議員らを通じ、子どもが出歩いていることを疑問視するような見方も伝えられたという。 健康教育・食育課の担当者は「もともと散歩や公園に行くことを制限しているつもりはなく、いったん整理しておこうと考えた」と話す。
 また、Q&Aには「児童生徒が外出して運動をしてもよいのか」「学校の校庭や体育館を開放して、児童生徒が運動する機会を提供してもよいのか」などの項目も新たに加えた。 運動不足やストレスを解消するために運動することも大切で、ジョギングや縄跳び、校庭・体育館の開放を否定しない、としている。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 全国小中高一斉休校措置が執られた3月初頭より、私がいつもランニング練習をしている都立公園内は、休校中の子ども達で溢れんばかりだ。

 親に連れられた比較的小さい子ども達から、小学生団体、部活中らしき中学生、数多くの子ども達が公園ライフを楽しんでいる。
 
 公園内の人口密度が高く多少の走りにくさはあるものの。  子どもが一人で家に閉じこもるよりもずっと健全な過ごし方だろうと、子ども達の合間を縫って走りつつ肯定的に観察している私だ。


 今更、文科省が間抜けな出遅れ発言をせずとて…

 そんなこと、各家庭の判断に任せれば済む話じゃないか?
 何ですって? 地方の教委が文科省の判断を仰いだのだって?? 教委が独自に判断すれば済む話じゃないのか?? 教委もまるで指導力が無いなあ。

 極論だが、これ程までに世界規模で新型コロナウィルスが蔓延してしまった現在、何処にいたって感染する時はすると、腹でもくくるしかしょうが無いようにも思えてくるが…

 まあそのうち、子どもの命は親が責任持って守ろうよ。
 休校中、日々塾に通いつめている子ども達もいるらしいが。 狭い室内に子どもが大勢集まる塾に通わせるより。 
 大規模公園で遊んでこい! と指示する親の方が、よほど健全な精神の持ち主かと、私など思うけど。
 ただ公園内は散歩を楽しむお年寄りも多い。 感染すると症状が重篤化するそれら高齢者の方々への感染防止のため、公園内では距離を置いた方が良いか、とも思うが。


 学校休校措置が執られて以降、既に何度公園でランニング練習をしただろう。
 ある時、小学校高学年程の男子団体に出会った。 皆が長い枝を拾って、大木の上部にある実か何かを落として遊んでいるようだった。 その大木の下を私がランニングで通り抜けようとしたところ、リーダー格の少年が、「危ないから今はやめよう!」と全員を指導し、皆がそれに従い私が通り過ぎるのを待ってくれた。 

 ありがとね!  みんないい子達だね! 
 新型コロナウィルス感染にこれからも気を付けながら、元気に公園で遊んでね!😊 


我がエッセイ集“栄光の時代”はとうの昔に過ぎ去り…

2020年03月10日 | 人間関係
 NHK連ドラ「スカーレット」主人公の息子氏 “たけしくん” がドラマ終盤に至って患った 慢性骨髄性白血病 の今後が大いに気がかりだが…


 それはひとまず置いておいて。

 2本前に公開のエッセイ「ネットが社会を分断?? ネットにそんな大それた力は無い。」の続々編の形となるが。

 このエッセイテーマとダブる内容の我がエッセイ集バックナンバーを発見した。

 早速、2009.01.16公開のオリジナルエッセイを再掲載した「再掲載『自分と他人の境』と題する2019.08.16付エッセイの一部を以下に引用させて頂こう。

 このオリジナルエッセイを読み直すと、今から10年程前の当時の我が“思考回路”を振り返る事が可能だ。 
 2度目の大学にて自分の専攻ではない「哲学」にはまった事に関しては事ある毎に触れているが、その頃の“哲学かぶれ”から未だ脱却していない我が脳内模様がやや懐かしくもある。 

     (冒頭から大幅略)
 人はいろいろな色をその色として認識している訳だが、本当に皆同じ様に見えているのであろうか。 もしかしたら私が“赤”だと認識している色がAさんにとっては私の認識の“黄”であったり、Bさんにとっては“緑”であるのかもしれない。 言語で表されている対象物の認識の感覚とは、実は人により異なるのではなかろうか…。

 この命題はまさに哲学的であり心理学的である。 金沢氏が書かれているように、この命題を実証していくためには数冊の哲学書が必要であろう。 また心理学分野においてはもう既にその解明が進展しているのかもしれない。
 今のところ残念ながら私はその分野の学術知識をさほど持ち合わせていないため、ここでは専門的な話は素通りさせていただくことにする。

 それにしても、「他人の感覚」とはいつの世も捉えにくいものである。 自分と他人との間には必ずや“境目”や“隔たり”が存在するのが人間関係における宿命であるようにも思える。
 他人に対して好意を抱いたり興味を持ったりすると、自分とその他人との感覚を接近させ、その境目や隔たりを“超越”して自分の感覚を「他人の感覚」と融合させたい欲求に駆られるのが人情なのだが…。

 他人の心とは永遠に分からないものであるのか。 それとも、科学技術の進歩により「他人の感覚」が原理的に解明できる時代がもう既に来ているのであろうか。
 他人の心とはわからない方が、実は人間関係は奥が深くて面白いのかもしれない…。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーを再掲載したもの。)


 
 このエッセイには、大変興味深い“コメント”を数多く頂戴している。

 引き続き、それらのコメントを以下に再掲載させていただこう。

他人の感覚な~ (ドカドン)
2009-01-16 17:28:23
他人の感覚や感情が分かったら、世の中無味乾燥な世界になるやろな?
また、エロな事を考えていても、他人に分かるのならエロの感情を常に持っている私は、一生外を歩けない。
人は、時には自分を小出しに、時には爆発的に自分を激昂させる・・・、感情豊かに自分を表現させる方法やもんね!
他人が思う「赤」が、自分の思う「黄」ではないやろか?は、私も経験しました。
感覚の違いは、あって当たり前・・・、妻が面白い映画は、必ずしも私も面白いわけではない。

ドカドンさん、エロもすばらしい感覚じゃないですか! (原左都子)
2009-01-16 20:21:49
やっぱりドカドンさんも経験されましたか。
色って、人との感覚の違いを認識しやすい概念かもしれませんね。
でも、ドカドンさんも若かりし頃には自分が好きな人とは同じ感覚を共有していたいと思いましたでしょ?
年齢を重ねてきますと、他人との感覚の違いって結構楽しめる要素でもありますよね。
で、ドカドンさんが持ち続けている“エロの感覚”はすばらしいじゃないですか!
人類をはじめ生物が代々にこの世に生き長らえるためには“エロ感覚”は絶大なパワーですし、必要不可欠な感覚ですよね。
ドカドンさん、今後も引き続き“エロ感覚”を失わないようにして下さいね!

錯角? (じぇーん)
2009-01-16 23:22:50
確かに好きな人とは多くを共有したいですよね。価値観が同じ人なので一緒にいて…など。
そう思い込みたいんでしょう。正確には。
でも歳をとって経験値が上がるとそうでないと気がつくことが多いような。少なくとも私は。
ところで個人でも幼少の頃と今とでは色の見え方は違うそうです。
目の水晶体に濁りが入って。幼い頃の白は今よりもっと白かった、と。
こちらも歳をとって失われるものですかねぇ…。

性懲りも無く (issei)
2009-01-17 00:04:04
前投稿のコメントでは低年齢層のおこずかい問題に触れず、いきなり中、高校生のアルバイト問題を一方的に語ってしまい、大きく的をはずしたコメントに大失笑された事と思います。今日も時間が無い。
私も他人を思いやる心とかをいつの頃から芽生えたかと言うようなことは記憶にありません。しかし、「あんなことをされたくないな」と言う記憶はずいぶん小さい頃からあったと思います。色と形の感覚は機械で計算どおりに表現したものを皆で見ているわけで絶対的な評価は出来ています。音については人により感じているものが違うようです。それは音の幅が大きく複雑で聴く人の顎と頭蓋の構造などによる差異が出るように思います。

じぇ~んさん、経験値が上がると他人の感覚の受容量が増えますね。 (原左都子)
2009-01-17 11:36:58
そうですね。
年齢を重ね経験値が上がっていく程に他者の感覚の受容量が増えて、他者との感覚のズレを楽しむ余裕ができてきたりもしますね。
そして、加齢と共に感覚的なものの見え方が変化するのと平行して、実際の体の機能の低下による老化と共に実際に見える風景も変わってくるというのは、生命体にとって合理的な身体と感覚の変遷であるのかもしれません。
今後は、既に霞がかかった頭で霞がかかった風景を楽しみたいものです!

isseiさん、問題なしです。 (原左都子)
2009-01-17 11:45:54
isseiさん、何もお気になさいませんように。
私の方こそ、返答コメントを書かせていただくときに、的外れであったり独りよがりであったりする事がしょっちゅうです。(この前も、isseiさんへの返答コメントで失敗をしでかしたばかりですが…)
特に、沢山のコメントを一度に集中して頂き、それに対する返答を一気に書かせていただく時に、上記の失敗をよくやります。
書き直せば良さそうなものですが、ついついそのままにしてしまっています。
常連のコメンテイターの方々は皆さんお心の広い方ばかりでいらっしゃり、お叱りも受けずにまた新記事にコメントを書きにいらして下さいますので、ついつい甘えさせていただいております。
音に関しては実際に聞き手によって受容している感覚が違うというのは興味深いお話ですね!

感覚と言語 (ガイア)
2009-01-17 17:11:07
冒頭から変な話ですが、私は、私の中にもう一人の私という他人が同居しているように思えます。ですから、自分の事さえ本当は分からないのです。
ましてや、他人の感覚など捉えようがありません。だからと言って他人を無視したり、付き合いをしない、という訳ではありません。
寧ろ他人の感覚を掴みたいとイマージネーションを拡げます。それが人間の人間たる所以ではなかろうか、と思います。
想像力(又は創造力でも良いと思いますが)を働かせて他人の感覚と自分の感覚が一致した時、そこに共有する慶びと価値が生まれます。言葉に言い表し難いインスピレーションの様なものを感じます。
金沢創氏が今後どの様な展開をされるのかは分かりませんが、数冊の哲学書が必要だ、とされているのはこの辺りのことを指しているのではないでしょうか。
ところで、感覚を色のみに限って言いますと、色は言語に置き換える事が多いのですが、言語に置き換えた時、他人とズレが生じるは当然です。同じ赤と言っても赤い色は無数にあります。
この無数さには民族の違いや色を職業として扱う人とそうでない人との間では大きな開きがあります。
例えばイヌイット。雪や氷に伴う色が沢山あり、それらに対応する言語もデリケートな程沢山あります。
例えば、画家やデザイナー。彼らは魔術師のように色を操ります。色に関してはそれを扱い表現出来るように徹底的にトレーニングを行います。美大の基礎科目ではデッサンと共に色彩構成の課題が嫌と言うほど課せられ、それによって色を覚えてゆきます。でも、使っていないと色を忘れ、表現できなくなります。この辺りは音の感覚と似ています。
拡大解釈をすれば言語や文章の感覚も同じだと思います。
感覚を言語に置き換えると難しいですし、ズレが生じます。言語は便利であっても、時には不便であり、無力です。
コメントの観点があらぬ方向に行ってしまった様です。

感覚の共有? (ドカドン)
2009-01-17 18:55:28
>>若かりし頃には自分が好きな人とは同じ感覚を共有していたいと思いましたでしょ?
若い時に限らず、今も普通にそう思いますよ。
好きな人との共有が、たどり着くのが結婚の様に思いますね?共有の中には、感情や感覚、生活用品から金銭まで全てを含むのでしょうね?
若い頃の共有は、肉体的な快楽に走りそうですが、本来肉体関係の前には、心の共有があるべきなのに、性欲がその手順を狂わせてしまいます。
今の風潮は、心の共有を持ち合わさない快楽至上主義で、恋愛を進行させている様に思えるのです。
心情、感情、感覚の共有は、若い時に限らず常に持ち合わせる本能の様な部分ですが、これが出来た時、次の肉体的な共有(結び付き)に進める様な恋愛に、戻そうよと思います。
質問の趣旨から、また脱線ですかね?

Unknown(abstra)
2009-01-18 01:18:59
こんばんは。
私は、人間には他人とリンクする能力があると思っています。ただ、それを自由に操ることができないだけなのではないか、そんなふうに思います。
全てのものは、きっとどこかで繋がっている。そもそもが、それぞれ個別に存在しているという確証は何もない。
物にも感情があるように感じるときがあり、そんなときにこんなようなことを考えちゃいます。
哲学でもなんでもなくて、ただの個人的な感覚にすぎませんが。

Unknown (ガイアさん、私もそうです。)
2009-01-18 11:38:10
ガイアさん、私なんか何人もの私が心の中に内在していますよ。その一人ひとりがいろんな場面で顔を覗かせます。別に多重人格者という訳ではないのですが、そういう人間の多面性を常に味わいながら生きております。
若かりし頃は、他者に対してこういう感覚の持ち主だと決め付けてしまうことが多かったように思うのですが、加齢と共に、他者の持つ感覚の多面性を観察するキャパシティが備わってきて、人間関係の幅が広がりますよね。
そして、感覚の相違からたとえ一旦ギクシャクしても、また違った側面から別の魅力を見出す事も出来て、関係を修復する能力も備わってくるように思います。
感覚を言語で表現することは、本当に至難の業です。私など、これで失敗ばかりしているようにも思うのですが、さしあたっての表現方法として言語は便利ですので、他に表現手段を持ち合わせていない私の場合はこれを用いることになるでしょう。

訂正とお詫び (原左都子)
2009-01-18 11:39:30
上記(↑)のガイアさんへの返答コメントは名前が抜けしたが、原左都子が書かせていただきました。

ドカドンさんて、まっすぐに生きていらっしゃるイメージがあります。 (原左都子)
2009-01-18 11:54:59
こちらこそ本文の趣旨からはずれまして恐縮ですが、いつもドカドンさんのコメントを読ませていただきますと、ドカドンさんて、本当にまっすぐに真剣に生きていらっしゃる方というイメージがあります。
ドカドンさんと対比して我が身を振り返ってみますと、歪みの大きい人間であることをいつも思い知らされます。
肉体的な快楽への欲求が心情、感情、感覚の共有の手順を狂わせる…、確かにそういう恋愛も多いのかもしれません。ただ、人間とは肉体のある生命体であり、心と肉体は切り離せない部分もあると思うのです。そういう意味では肉体的な快楽も恋愛の重要な要素であり、それが先行してしまう場合もありうるのか、とも思います。
もちろん、売春や風俗など、それのみが目的である行為は私も否定しますが。
確かに、恋愛においてたとえ肉体的快楽が先行して場合も、お互いの心を、感覚を、確かめ合うことは重要ですね。

abstraさんのおっしゃる通り、全てのもののつながりが世の中を構成していますね。 (原左都子)
2009-01-18 19:56:43
abstraさんから私のブログにコメントをいただけるのは、2度目のことと認識させていただいております。
abstraさんのブログのファンである私にとりましては、とてもうれしいことであり、また、何だか返答を書かせていただくことに緊張すら感じる一瞬でもあります。
全ての存在が個別ではなく、そしてまた個別であることを信じたい私です。
もう既に年老いた私にとりましては、“個別”とは内面から欲する言葉であります。この“個別”を求めて旅する人生であるようにも感じます。
ところが、abstraさんがおっしゃる通り、生命体は決して個別には生きられません。
個別を欲する人間など、そもそも生き方を誤っているのでしょう。
それでも個別を愛する人間が存在し、それを誤った事とも認識しつつ、ちぐはぐな人との繋がりを求め彷徨いつつ生きていてもいいのではないかと、私のような未熟者はいつも思いつつ生き永らえております。
また、是非コメントを書きにお越し下さいますように。

 (以上、本エッセイ集2009.01.16付バックナンバーを、頂戴したコメント群と共に再掲載したもの。)


  2019年8月現在(再掲載時)の我が心境を語ろう。

 現在コメント欄を閉鎖している関係で、過去の“コメント欄の栄光”を振り返ると、いつも過去の「原左都子エッセイ集」を羨望してしまう私だ。
 ならばコメント欄を再開すればよい、との結論には達しにくい。
 この10年間のうちに、「ブログ」を取り巻く環境が大きく変遷した気がする。
 ブロガー間のマナーが向上したとの利点と並行して、ブロガー同士の関係性が希薄化している感を抱く。
 この10年で私自身も年齢を重ねた。 10年前の“新鮮味”が私の内部に未だ存在するのかどうかも疑問だ。 
 コメント欄を閉鎖している現在の「原左都子エッセイ集」とて、もちろん“悪くはない”。
 これはこれでブログ上の対人関係という“面倒臭さ”も無く、執筆の自由度が高まっているとも解釈可能だ。
 とにかく、今はこれで納得しよう。

 (以上、2019.08 当該エッセイの再掲載版を引用したもの。)


 2020.03.10、今現在の私論でまとめよう。
 と思ったが、上記8ヶ月前に記した再掲載版にその私論がきちんとまとまっていることに今気づいた。
 その回答とは、まさに丸ごとその通りだ。 付け加える事は無い。

 今一度丸ごと反復するならば。
 現在コメント欄を閉鎖している関係で、過去の“コメント欄の栄光”を振り返ると、いつも過去の「原左都子エッセイ集」を羨望してしまう私だ。
 ならばコメント欄を再開すればよい、との結論には達しにくい。
 この10年間のうちに、「ブログ」を取り巻く環境が大きく変遷した気がする。
 ブロガー間のマナーが向上したとの利点と並行して、ブロガー同士の関係性が希薄化している感を抱く。
 この10年で私自身も年齢を重ねた。 10年前の“新鮮味”が私の内部に未だ存在するのかどうかも疑問だ。 
 コメント欄を閉鎖している現在の「原左都子エッセイ集」とて、もちろん“悪くはない”。
 これはこれでブログ上の対人関係という“面倒臭さ”も無く、執筆の自由度が高まっているとも解釈可能だ。
 とにかく、今はこれで納得しよう。
 
 そういう事だ。

 そこで本日は観点を変えて、何故私が2011年末頃にコメント欄閉鎖措置を執ったのかを思い返してみた。
 その第一の理由とは、やはりブログを取り巻く環境が少しずつ移ろい始めた事実であろう。  エッセイを公開すればすぐさま怒濤のごとく押し寄せていたコメント群に陰りが見え始めていた時期だった。
 常連コメンテイターが激減し、新入りコメンテイター達に入れ替わる中。
 申し訳ないが、コメント内容に学際色が低下し始め、寄せられたコメントを読ませて頂いても、我が内面から湧き出る感動も薄らぐことを実感させられる日々だった。  特に新入りコメンテイター氏達のコメント内容に感情移入出来ず、それに返答を書くことが“義務”のようにすら思えて来てしまい…

 そして思い切って2011年末頃に私はコメント欄を閉鎖し、現在に至っている。

 このように分析・考察してくると、我がブログがコメント欄を閉鎖したのは、ネット世界の移り変わりと共に必然的行動だったと結論付けられよう。

 誰とて、時代の変遷には逆らえないものだ…

昨日(2020.03)公開エッセイ、私としては何年かぶりの“快心作”だったつもりが…

2020年03月09日 | 時事論評
 今一度、昨日公開エッセイの核心部分を以下に振り替えらせていただこう。


 朝日新聞2020.03.03付「争論・ネットが社会を分断」と題する記事から私論を導くこととしよう。

 朝日新聞記事より、前書き部分を引用すると。

 インターネットは多様な意見が交わされ、相互理解を深める「公共圏」になると期待されていた。 だが今は、社会を分断する原因になっているとの批判が強まっている。 ネットの言論について実証研究を重ねる2名の大学教授に話を聞いた。

  ・ 分断の原因はネットか?
  ・ 分断の中心は?
  ・ ネットは社会の「鏡」か?

 (以上、記事の前書き部分を引用したもの。)

 一旦私論だが、一体ネット上の如何なる媒体を捉えて、朝日新聞は上記提案を成しているのだろう?

 私が日頃ネット上で馴染んでいるのは、当該「ブログ」との媒体と、SNSのひとつ「Facebook」のみだ。  そのうち、現在Facebookは単にブログ記事を転載しているに過ぎず、友達付き合いやその発展系の議論は一切成していない状態だ。

 そんなネット環境下での我が印象とは。

 「ネットが社会を分断」????  そんな大それた力(ちから)が現在のネットにあるとは到底思えない。
 一昔前、私がブログを開設した頃のネットは、大いに風紀が乱れていた。
 記事をアップすると同時に押し寄せるエロコメントやトラックバックの数々…。 ネット画面を開けば、エロ写真やエロ情報が氾濫し。
 少し偏りがあるエッセイを公開すると、怒濤のごとく押し寄せる誹謗中傷ご意見。

 そんな中、真面目に議論するコメントも沢山頂いた我がブログだった。
 その頃こそが、我が「原左都子エッセ集」“華の時代”だったものと懐かしく振り返るが…。

 その後ブログ世界は、一見“道徳心旺盛”に進化(後退?)を遂げたと私は分析する。
 確かに、一見“平和かつ無難”に生まれ変わった印象はある。

 ただ、そこには既に「議論」の余地など皆無だ。
 皆さんブログ内容を綺麗にまとめ、それに対する反応もすべてが挨拶程度のさりげない内容に始終するに至っている。
 それに従わないと、すぐさまバッシング行動に出るブログもある様子だ。 ほんの少しでも反論意見を記入しようものならば、門前払いあるいは無視に徹する行動に出るブログに接した経験がある。 (もちろん、こちらとてそんなブロガーは願い下げなのだが。)

 それほどまでに自己の安泰を守ろうとするブログとの媒体に、まさかまさか、「社会を分断する力」が宿る訳もなかろう。
 
 この朝日新聞記事に対し私と同類のご意見を述べられている大学教授氏のご見解の一部を紹介しよう。

 いまのネット空間は、確かに分断しているように「見えます」。 それは、少数派が積極的にネットで意見を発信する一方で、中庸派はネットの議論にはほとんど参加しない「サイレントマジョリティー」になっているからです。 (中略)
 その要因として、ネットには新聞や雑誌、テレビに比べ、人々を穏健化させる働きがあると考えられます。 
 (以下略すが、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)

 原左都子の私論だが。
 まさに上記大学教授氏がおっしゃる通りの記述を、私もブログ上の人間関係に於いて経験する機会が現在多い。
 実に“サイレントマジョリティー派”で満たされている現在のブログ世界であるとも言えよう。

 (以上、昨日公開エッセイ「ネットが社会を分断?? ネットにそんな大それた力は無い。」より一部を引用したもの。)



 ここからは言い訳になるが、私としては昨日当該バックナンバーを公開した時点から、その反応の“乏しさ”を予想していたとも振り返る。

 確かに時代は、めくるめく移り変わっているのだろう。
 ブログを公開することにより大勢のブロガーが、ご自身の“穏健生活”を目指そうと、誰からもそれを責められる訳もなかろう。

 ここは、“オピニオンエッセイブログ”を13年にも及ぶ年月に渡り公開し続けている原左都子こそが、今後進むべき道程を修正するべきか??
 (そんなことあるわけもなく…。)

 我が若き頃より培って来た信念をこの先変更出来るはずもなし!! との原点に立ち戻り。
 今までのスタンスで我がエッセイブログを公開し続ける事こそが、我が進むべき道! との結論に至るのは必然だ。