松尾芭蕉も杜甫を好み、傾倒していたようである。芭蕉の遺品のなかに「杜子美詩集」(杜子とは杜甫のこと)があり、生涯を通して杜甫を尊敬していたことが窺える。「奥の細道」の冒頭にも、杜甫の人生のように、「旅の道中」で息を引き取りたいと述べている。
有名な冒頭の部分を次に記す。「月日は百台の過客にして、行かふ年も又旅人也。‥‥古人も多く旅に死せるあり」と。この「古人」を西行、宗祇などと解釈する場合が多いが、私はそれに杜甫を加えて考えている。
中尊寺に立ち寄ったときの有名な俳句、「夏草や 兵どもが 夢のあと」の前の文章に、「さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと」と杜甫の詩「望春」を引用している。
この「望春」の詩は、安禄山の乱の最中に賊に捕らわれ、幽閉中の作である。都長安は破壊され、幽閉から逃げ出した杜甫は流浪の旅の果て、天険の蜀道を通って成都へ行く。成都では、知人でもある蜀の長官厳武から官職を得て、成都郊外に草庵を営み、やっと安定した生活に戻ることができた。その時代の代表的な名詩を次に示す。
絶句ニ首 其ニ
江碧鳥逾白 江碧にして 鳥逾いよ白く
(みどり) (いよ)
山青花欲然 山青くして 花然えんと欲す
(も)
今春看又過 今春 看すみす又過ぐ
(み) (す)
何日是帰年 何の日か こ是れ帰年ならん
(いずれ) (きねん)
この平和で落ち着いた生活のなかでも、長安・洛陽への望郷の想いは絶つことはできないのだ。瑞々しい春の情景を歌ったあと、「今年の春もまた過ぎていった。いずれの日に、長安に戻れるのであろうか」と。
成都の草庵に住まう杜甫のもとに河南・河北の地が賊の手から回復された知らせが届く。故郷洛陽へ戻ることができるようになった杜甫の喜びがいかほどか。その喜びを胸に次の名詩が生まれる。
絶句四首 其一
両箇黄鸝鳴翠柳 両箇の黄鸝 翠柳に鳴き
(りょう)(こうり)(すいりゅう)
一行白鷺上青天 一行の白鷺 青天に上る
(いっこう)(はくろ) (のぼ)
牖含西嶺千秋雪 窓に含む 西嶺千秋の雪(成都の北西に聳える雪山)
(せいれい せんしゅう)
門泊東呉萬里船 門には泊す 東呉万里の船(東呉=現在の南京市周辺)
「洛陽へ向かう」という想いを胸に秘め、窓から見える美しい風景を絵画的に詠っている。
「東呉萬里船」の語に杜甫の篤い思いは込められていよう。万里離れた東のほうの呉の沢山の船が停泊しているのを見て、杜甫は長江を下り、呉を通って洛陽へ帰れる日を願ったことであろう。
有名な冒頭の部分を次に記す。「月日は百台の過客にして、行かふ年も又旅人也。‥‥古人も多く旅に死せるあり」と。この「古人」を西行、宗祇などと解釈する場合が多いが、私はそれに杜甫を加えて考えている。
中尊寺に立ち寄ったときの有名な俳句、「夏草や 兵どもが 夢のあと」の前の文章に、「さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと」と杜甫の詩「望春」を引用している。
この「望春」の詩は、安禄山の乱の最中に賊に捕らわれ、幽閉中の作である。都長安は破壊され、幽閉から逃げ出した杜甫は流浪の旅の果て、天険の蜀道を通って成都へ行く。成都では、知人でもある蜀の長官厳武から官職を得て、成都郊外に草庵を営み、やっと安定した生活に戻ることができた。その時代の代表的な名詩を次に示す。
絶句ニ首 其ニ
江碧鳥逾白 江碧にして 鳥逾いよ白く
(みどり) (いよ)
山青花欲然 山青くして 花然えんと欲す
(も)
今春看又過 今春 看すみす又過ぐ
(み) (す)
何日是帰年 何の日か こ是れ帰年ならん
(いずれ) (きねん)
この平和で落ち着いた生活のなかでも、長安・洛陽への望郷の想いは絶つことはできないのだ。瑞々しい春の情景を歌ったあと、「今年の春もまた過ぎていった。いずれの日に、長安に戻れるのであろうか」と。
成都の草庵に住まう杜甫のもとに河南・河北の地が賊の手から回復された知らせが届く。故郷洛陽へ戻ることができるようになった杜甫の喜びがいかほどか。その喜びを胸に次の名詩が生まれる。
絶句四首 其一
両箇黄鸝鳴翠柳 両箇の黄鸝 翠柳に鳴き
(りょう)(こうり)(すいりゅう)
一行白鷺上青天 一行の白鷺 青天に上る
(いっこう)(はくろ) (のぼ)
牖含西嶺千秋雪 窓に含む 西嶺千秋の雪(成都の北西に聳える雪山)
(せいれい せんしゅう)
門泊東呉萬里船 門には泊す 東呉万里の船(東呉=現在の南京市周辺)
「洛陽へ向かう」という想いを胸に秘め、窓から見える美しい風景を絵画的に詠っている。
「東呉萬里船」の語に杜甫の篤い思いは込められていよう。万里離れた東のほうの呉の沢山の船が停泊しているのを見て、杜甫は長江を下り、呉を通って洛陽へ帰れる日を願ったことであろう。