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名古屋の空襲について         ネット虫

2006年10月28日 23時51分59秒 | Weblog
・・・ウイキペディアによれば・・・

空襲の始まり

1942年4月18日にアメリカ軍のB-25爆撃機によるドーリットル空襲が行われ、名古屋にも初の空襲があった。

1944年7月、サイパンなどマリアナ諸島をアメリカ軍が制圧し、ここが日本本土に対する空襲の基地となった。同年12月13日、B-29爆撃機90機による、航空機関係の工場であった三菱発動機大幸工場(戦後、のちに三菱重工業名古屋工場、工場撤退後の跡地はナゴヤドーム)に対する初の本格的空襲が行われた。

天候等の関係から思うように爆弾はこの工場に命中せず、その後執拗に爆撃を繰り返し6回のこの工場に対する空襲でやっと壊滅的な打撃を与えた。工場に当たらなかった爆弾は周辺の民家に命中し、民間人の死者を多く出した。また、この12月13日には、「東洋一の動物園」と謳われた名古屋市東部の東山動物園においても、治安維持を理由に猛獣類が多数射殺された。

空襲は、最初は日中に三菱財閥系の工場や名古屋港など軍需関係を中心に行っていたが、1945年頃からは民家への空襲が始まり、3月頃からは焼夷弾による深夜の空襲が多くなった。

2月15日には焼夷弾2万発が市中心部の千種の三菱発動機工場周辺に落とされたが、これは3月の空襲に比べればまだまだ小さいものだった。

大空襲へ

3月12日の夜、名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行われ、市の5%が焼失したとされる。

3月19日の午前2時頃、爆撃機230機(310機との説も)による名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行われた。この空襲により一夜にして15万1332人が被災し(死亡826人)、家屋3万9893棟が焼失したとされる。中区、中村区、東区などの市中心部は焼け野原となり、1937年に竣工した国鉄名古屋駅の焼けこげた姿が遠くからでもよく見えたという。

6月には熱田空襲が行われ、約1000名にのぼる死者をだした。その後も空襲は行われ、名古屋市は他の大都市と同様に壊滅的に破壊された。

東山動物園では、1944年2月16日に一般観覧が中止され、軍が用地を接収した。戦況の悪化に伴い、いらつく兵士が動物園の重要書類を燃やしてうっぷん晴らしをしたり、食糧不足でドイツの動物園や木下サーカスから買い入れた動物も含めた多くの動物が餓死したりと苦難が続いた。

終戦後、更地となった名古屋市中心部に100メートル道路と呼ばれる久屋大通・若宮大通が作られた。
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「私の戦争体験記」空襲の記憶②       爺老

2006年10月28日 22時30分07秒 | Weblog
 身を寄せていた主税町の母の里がついに空襲に会いました。
 ちようどその日は叔父叔母は子供たちの疎開していた長瀬へいっていました。
 その晩は、私と姉と叔父の友達と昔からいた女中さん二人といました。しばらくすると空襲警報の合図。隣の山口夫妻と一緒に防空壕にとびこんで間もなく、あたり四面を震動せるような轟音がして、しばらくして見ると庭一面に火が飛散していました。 幸い、庭に落ちたのは油脂爆弾一発が書斎の外側の壁際に落ちただけで、火はそこから東側の池を中心にしたあたりに小さい炎になって一面に燃えているだけでした。炎は小さかったので手で水をかけたらすぐ消えるほどでした。消し終わって東の方を見たら、炎の赤い照り返しが見えたので、あわてて大屋根に登って見たら、隣の川瀬さんの家が焼け落ちて火の海、これはいかんと表に出て消防ポンプ隊を呼びに行き「永田さんの家に火が入る !!」と言ったが、「どこの小僧だ。」というような顔で取り合ってくれません。
 やむなく家へ戻ろうとしたら門にも小さい火がついていたので消し、家へ入ろうとしたら玄関の間の天井板の外れから大屋根裏まで見え、もう既に大広間の上まで火が入っていました。
 もう母屋は防ぎ様がありません。せめて、離れでも救えないものかと渡り廊下を外そうとしましたが、何も道具がなく、西側の戸をはずすことぐらいでした。
 その時、今村大尉が来てくれましたが、もう手がつけられませんでした。そこへ姉と女中さんが来て、火に囲まれると危険だからと、西の家へ抜ける非難口へ案内してくれました。
 もう諦めて全員避難しました。振り返ると、仏間から新屋敷まで火が入っていました。
 あくる朝、女中さん達が使い慣れた食器などを掘り出していた時、叔父叔母が帰ってきました。 叔父は「きれいに焼けちゃったな。」とすずしい顔をして言いました。今思えば叔父はどんな想いで言ったのでしょう。
                   
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こんなご案内があっても?  文科系

2006年10月28日 20時58分49秒 | Weblog
お世話になった友人のお子さんが、「新風やきもの5人展」というのをやります。プロ独り立ちを目指す陶芸の新人たちの作品展で、友人のお子さんは瀬戸窯業高校を卒業して、そこの研究科に通われています。学童保育の指導員を夫婦で勤めながら苦労して育てられたお子さんの晴れ舞台なのです。興味のある方は是非観にお出かけください。
プロの卵たちの「焼き物の新風」は、爽やかな一時を提供してくれるものと信じて疑いません。気に入ったものがあれば、もちろん買うことも出来ます。

 時 11月11日(土)~17日(金)11時~18時(最終日は~16時)
 所 ギャラリースミ3F(241-0628、千代田1交差点の西南西50m。
             千代田1は矢場町と千早との中間点南側です)
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