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安倍政権と世界の報道 3  へそ曲がり

2006年10月01日 07時45分38秒 | Weblog
「しんぶん赤旗」30日付の記事です。併せて、米下院外交委員会公聴会でのハイド委員長とラントス議員の“靖国史観”批判発言の詳細について転載します。

1 マレーシア  「靖国・歴史問題での今後の対応に注目」
 
 マレーシア各紙は、安倍新政権について社説を掲載し、中国、韓国との関係改善を口にする安倍氏の靖国神社参拝や歴史問題での今後の対応に注目しています。
 中国語紙・南洋商報28日付社説は、「国際社会の最大の関心事は、安倍氏が中日関係の修復に挑戦できるかどうかにある」とし、次のように述べています。
「安倍氏は靖国神社参拝は個人の問題であると強調し、参拝継続を示唆してる。『戦争責任については歴史家の判断にまかせる』と繰り返し述べ、あいまいな立場をとっている」「その一方で『主張する外交』と言い、平和憲法改定と米国との軍事協力強化をめざしている。これで果たして中日関係が前進するのだろうか?」
 英字紙ニュー・ストレーツ・タイムズ24日付社説は、「小泉前政権は平和憲法の改定に着手し、自衛隊への束縛をゆるめてイラク駐留軍への給油のためにインド洋に派遣した。歴史をゆがめる教科書も採択した」と指摘。「安倍氏は、目立たないが(小泉氏より)『国家主義者』だと伝えられる。第二次世界大戦中の日本の残虐行為の記憶を持つ人びとは、その言葉を聞くとまゆをひそめる」と述べています。
 同社説は「靖国神社参拝は、日本が自らの足元から正す問題である。安倍氏は、日本がかつての歴史を繰り返さないと改めて保障しなければならない」と強調しています。

2 タイ【ハノイ=鈴木勝比古】  「東アジア共同体に向け協力すべき時と強調」

 タイの英字紙ネーション29日付(電子版)安倍晋三新首相就任にあたって社説を掲げ、安倍首相が靖国神社参拝をやめて中国との関係を改善し、東アジア共同体に向けて協力するよう呼びかけました。
 社説は「彼(安倍首相)は過去を気にかけず、日本をより強い国にしようとしている。これは日本が過去と決別することである」と指摘。安倍氏があいまいさを残していることについて「日本では許されるかもしれないが、地域との関係ではより有害である」と述べ、「日本の立場を率直、誠実に説明する」ことを求めています。
「アジア全体は日本が強大になることに積極的な見方をしていない。日本の指導者による靖国神社参拝は論争の種であり、韓国と中国では反日感情を引き起こしている」と述べています。
 そして「もし安倍氏が小泉首相の慣習を引き継ぎ、悪名高い戦犯を含む日本の戦死者を参拝し続けるなら、日本の対外関係に取り返しのつかない損害を与えることになろう」と警告しています。
 社説は最後に、「日本にはもはや諸隣国に誤解を与えている余裕はない。地域の強化と東アジア共同体に向かって協力すべき時である」としています。


 米下院外交委員会公聴会でのハイド委員長とラントス議員の“靖国史観”批判発言の詳細

1 ヘンリー・ハイド委員長  「遊就館が教える歴史は事実に基づかない」

 日本では戦没者に敬意を表するため、首相が8月15日に神社を参拝した。それは日本の近隣諸国の間で若干の懸念を引き起こした。その神社は有罪となった戦犯たちにも敬意を表しているからだ。
 ヨーロッパは論争的な過去を葬り去ることができたのに、なぜ東アジアはそうできないのか。ヨーロッパは戦争から復興して北大西洋条約機構(NATO)を結成し、欧州連合(FU)を設立して共通通貨ユーロさえ導入したのに、なぜ東アジアは基本的な安全保障と経済制度さえ欠如しているのか。ホローコースト(ユダヤ人大虐殺)を含む20世紀のヨーロッパの歴史はアジアの歴史に勝るとも劣らないほど悲惨だった。ヨーロッパ諸国は冷戦期、ソ連の脅威にたいして共同戦線を示すために元枢軸国と連携することができた。
 ヨーロッパが問題を抱えた過去を乗り越えようと行動している一方で、アジアではいつも「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のようだ。
 第二次世界大戦世代の一員として、第二次世界大戦中に何が起こったかの真実は、広く行き渡るだろうし、そうしなければならない。東京にある博物館(遊就館)が、アジアでの第二次世界大戦は西洋の帝国主義のくびきからアジアと太平洋の人々を解放するために日本が起こしたものだと若い世代の日本人に教えているということを知ったが、私の世代の者にとっては困ったことだ。
 私はちょうど韓国、フィリピン、シンガポール、ソロモン諸島を訪問したところだ。日本の占領中に記憶された悲惨な経験について率直に話す人はいたが、それらの国の人で、日本の皇軍を解放者として懐かしく記憶しているとわれわれの代表団に話す人は1人もいなかった。この博物館で教えられている歴史は事実にもとづいておらず、是正されなければならない。

2 トム・ラントス議員  「ナチス指導者に花輪をささげるようなもの」

(イラク戦争への強力など同盟国としての日本の役割を評価した後で)
 米日の今日の関係はかつてなく強固だが、米日の関係をこのまま自動操縦装置にしておくのは大きな誤りだ。われわれが共有する誓約と緊密な協力の歴史に照らしてみて、私は日本の強力な友人を自認しており、友人の間においては互いに率直に話をするのが義務だと確信している。
 日本が自らの過去に誠実に対処することができないでいることは、日本の国民にとって多大な損害であり、北東アジアにおける他の主要関係者を怒らせ、地域の緊張を激化させることにより米国自身の国益を損なう。
 日本の歴史健忘症のもっともひどい例が日本の首相たちによる靖国神社参拝である。第二次大戦の生き残りとして私は、なぜ日本の指導者たちが自国のために殉死した日本人たちに敬意を払いたいか完全に理解する。自由で民主的な国家の指導者であれば誰でもそうするであろう。
 しかし、第二次大戦をくぐり抜けたアジアと米国の生存者にとって、14人のA級戦犯が祀られている靖国神社への参拝は、ドイツでヒムラーやヘス、ゲーリング(いずれもナチス幹部)の墓に花輪を置くにも等しいだろう。
 日本の次期首相にに対する私のメッセージは非常に簡単だ。戦争犯罪人たちに敬意を表することは道徳的に破綻しており、日本のような偉大な国にとって恥ずべきことである。この慣わしは終わらせるべきである。
 日本政府はまた、南京大虐殺を否定し、日本の第二次大戦開始は他のアジア諸国を帝国主義から保護しようとしただけのことにすぎないと示唆している教科書を承認した。私はこうした修正主義の教科書がごく一部の学校でしか実際には使われていないと理解している。しかし、日本政府がそうした教科書の使用を承認したことは、北東アジアの諸国の心を傷つけている。 
 歴史を否定するものは、必ずそれを繰り返す。この行為(修正主義教科書の検定合格)も終わらなければならない。日本の右翼の超国粋主義者を除くすべての人々にとって、日本が自らの過去に率直に公然と向き合う意思・姿勢が最高の利益となることはきわめて明白だ。

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閑話休題 ”発達論をちょっと” その1  文科系

2006年10月01日 07時04分51秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
問題意識はこういうことでした。まず、その子自身の能動的活動というものが、「『ガリ勉でないのに勉強できるし、スポーツも音楽もできて、あの人得だなー』という人が、高学年から中学にかけて目立っていく、そういう子の原動力です」と。そして、さらにこう付け加えました。「これに言語力が備わっていけば鬼に金棒。言語力の正体って、これが意外に難しいんですけど」と。 こういう位置づけの中の言語力についてまとめます。

以下今回はこのような項目でまず、予備知識としての言語説明を進めます。①感覚と言語、②具体的言語と抽象的言語、③外言と内言、ということで。

1 感覚と言語
感覚(的知識)とは人間の内面の元素みたいなもの。出生直後は見えはしても意味のなかった視覚像などが一つ一つ意味を持っていくことです。「オッパイが(パパが)オッパイだ(パパだ)と分かるようになる知識」ね。もちろん視覚像を視覚だけで捉えるのではなく、オッパイをくわえた感じ、持った感じ、飲んだ味の感じ、そして見えた感じとしてのオッパイなどと、自分の五感を体験に総動員して捉えるものね。こういう感覚が豊かな子がまず、内面が豊かということ。
これが、五感を総動員してよく遊ぶというようなことを通じて、外界に積極的に働きかけるように育った子ほど生まれやすい。そして、この感覚が言語の基礎にもなっていく。「オッパイってこういう感じ」というのがあって、そこに「オッパイ」という言葉が冠せられるということ。大人は「パンってこんな感じ」を軽視して、「パン」という「言い方の約束」に拘ってしまうけど、そんなのオウムの「パン」と一緒で無意味です。周囲の全てに「(Aと呼ぶ物って)、こんな感じだ」が、豊かにある内面がまず豊かということですね。

2 具体的言語と抽象的言語
豊かな感覚的知識・知能が、言語的知識・知能の基礎になりますが、言語にも段階があります。前者は目に見え、手で触れるようなもの。後者はそうでないもの。中間もありますかね?
車、足などは、具体的な物だとはわかりますね。「物の名前」は具体的。走るとか、泣くとかの動詞にもまー具体的なものが多い。こういうのは3歳までで十分手に負えます。ところで、勇気、真善美、「善い」、「真実だ」なんて、触れないでしょう?「そして」、「だから」、「しかし」なんて「接続詞」はみんなすごく抽象的なものです。「あの子『可愛い!』」は、中間に見える?この「可愛い」、厳密には抽象的なんですが、使い方がかなり勝手でも良い言葉で、あの子と結びついてるから具体的? 
とにかくこういう抽象的言語がそのように正確にどんどん使えるのが小学生。中学年では見た物、やったことをどれだけずらずら書けても、良い作文とはいえません。名詞、動詞と接続詞「それから」だけの文章では、どれだけ多い記憶を書きつづってももうだめです。抽象的言語がいっぱい出てこないといけない。特に自分が感じたものを抽象的言語にしたり、自分の考え、推理、理解などを接続詞で繋いだりね。

3 外言と内言
外言とは、普通の喋り言葉のことで、誰にも分かります。しかし後者の存在は、ほとんどの人が知らない。自ら使ってきたのにです。厳密に難しく言うと、思考を進めるための言語です。その原形を述べれば分かってもらえる。小学校1,2年などで算数計算を喋りながらやる時期があるでしょう、あれです。「10繰り下がって、11から3を弾くからここは8で、繰り下げた所は10引いたのをよく覚えといて」というやつ。「自分で自分に言い聞かせる1人言葉」ね。だから「内言」と言う。内言は内言らしくやがて心、頭脳の内側で無意識に操作されて、外には出てこなくなる。「Aさん、さっきいたのにもういない。トイレにでも行ったかな?」とか、「昨日レジから2万円ばかり消えたみたいだから、これとこれとこれの可能性をよく見ていよう」などなど。
大人になって悩ましい複雑な問題の対策を考えようとする時、文字に書いたり、それを表にしたりして「整理していく」ことがあります。これは有能な人に多いですが、内言を内言らしく意識して使っているということ。直感的に簡単に答えを出さない。課題を全面的に見つつ、その修正、積み上げもしながら考え抜いていく。

                            (続く)


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