①6~7歳ほどまでの思考はこんなものです。「コップを倒せばミルクが流出する」など、ある法則的な行為・結果のイメージを結びつけたモノ。「雨が降れば地面が濡れる」など、ある状態の法則的変換の前と後をイメージする力もあります。ただしこういう制限がある。現状の物に関わって、それがこうなればということで結果が見えるだけで、これ以降のように「結果からいくつかの原因を類推する」のではないという段階の「思考」です。「僕がこうしたらこうなる」と、「これが起これば、あれはこう変わる」の一方通行です。つまり自然に「法則的に起こる」ような変化の前の場面から後を記憶する段階に過ぎません。この段階の思考はだから、試行錯誤(による調節)のみです。やってみて失敗して、またちょっとやり方を変えてみるというような。
②これが次の段階ではこうなります。「机にミルクがこぼれ、コップが床に落ちている。母さんがやったらしい。急いでいて、片づけられなかったんだ」とか、「地面が濡れている。さっき雨が降ったんだろうな」とかです。つまり、「ある状態に接して逆に原因を類推する思考」です。もちろん真実はこうかも知れません。「机に足跡があるから猫が落としたんだ」、「家の前だけ濡れているから母さんが水まいたんだ」。こういう類推が多くできるほど慎重で、賢いということでしょう。行動する前にどこをどう変えようかと、ちょっと考えてみるという段階になりますね。望む結果をもたらそうと想定した、それへの要因類推力を使って。
③さて、次の段階は9歳頃からこうなり初めていきます。ここで重要になるのが先回述べた「抽象的言語」です。今述べたような「ある状態に接して逆に原因を類推する思考」を抽象的な言語の世界でもできるようになることです。僕がここで貴女から「言語能力の発達を説明してくれ」と言われて応えているこの姿は、全く抽象的な操作ですね。「倒れたコップとミルク」とか「地面が濡れてる。雨かな?」という具体的に目に見えるような世界のことではありません。人は一般にこれが苦手なので、「具体的に説明してくれ」というのでしょう。例えば算数は半分以上は抽象的な思考ですが、特に割り算などは抽象性が高い。割り算にはそもそも、10の中に5が何個分あるかという意味と、5等分すると1個分はいくつになるかという二つの意味がある。だから割り算を使う、それこそ具体的な応用問題などは難しくて、子どもが苦労する。小学校の算数で子どもが最も躓くところですね。
さて、前回と今回の、これだけ難しい図式を覚えていただけば、応用はもう簡単でしょう。応用とは「これも大事、あれも大事」と必要条件をばらばらに暗記するだけですが、本質理解とは、「必要・十分条件」を大なり小なり自分で考えることができ、それぞれの子に応じたその大切さ順位なども自分で観察できるようにするもの。これでこそ、本日ご紹介した①や②ではなく、③のようなものですね。だからこそ人は、ピアジェは、それこそこんなに抽象的で、かつ難しい問題に挑んできたのでしょう。
それでも次回には、思いつく限りの応用をいろいろ書いてみます。それこそ自分の子育ての体験も入れて。僕は共働きで、二人の子の保育園、学童保育の送迎を基本的に僕がやった。4人で朝食を食べながら車に乗って連れ合いの職場まで1時間も通い、また自宅近辺に戻って園に送り出す。車の中で二人と色々やったことが、今はとても懐かしい。30歳を超えて独身の男女二人は今でも、僕とデイトして飲んでくれます。「自然に人間同士として付き合ってきた」。これが、僕の父親としての最大の自慢、喜びです。
(続く)
②これが次の段階ではこうなります。「机にミルクがこぼれ、コップが床に落ちている。母さんがやったらしい。急いでいて、片づけられなかったんだ」とか、「地面が濡れている。さっき雨が降ったんだろうな」とかです。つまり、「ある状態に接して逆に原因を類推する思考」です。もちろん真実はこうかも知れません。「机に足跡があるから猫が落としたんだ」、「家の前だけ濡れているから母さんが水まいたんだ」。こういう類推が多くできるほど慎重で、賢いということでしょう。行動する前にどこをどう変えようかと、ちょっと考えてみるという段階になりますね。望む結果をもたらそうと想定した、それへの要因類推力を使って。
③さて、次の段階は9歳頃からこうなり初めていきます。ここで重要になるのが先回述べた「抽象的言語」です。今述べたような「ある状態に接して逆に原因を類推する思考」を抽象的な言語の世界でもできるようになることです。僕がここで貴女から「言語能力の発達を説明してくれ」と言われて応えているこの姿は、全く抽象的な操作ですね。「倒れたコップとミルク」とか「地面が濡れてる。雨かな?」という具体的に目に見えるような世界のことではありません。人は一般にこれが苦手なので、「具体的に説明してくれ」というのでしょう。例えば算数は半分以上は抽象的な思考ですが、特に割り算などは抽象性が高い。割り算にはそもそも、10の中に5が何個分あるかという意味と、5等分すると1個分はいくつになるかという二つの意味がある。だから割り算を使う、それこそ具体的な応用問題などは難しくて、子どもが苦労する。小学校の算数で子どもが最も躓くところですね。
さて、前回と今回の、これだけ難しい図式を覚えていただけば、応用はもう簡単でしょう。応用とは「これも大事、あれも大事」と必要条件をばらばらに暗記するだけですが、本質理解とは、「必要・十分条件」を大なり小なり自分で考えることができ、それぞれの子に応じたその大切さ順位なども自分で観察できるようにするもの。これでこそ、本日ご紹介した①や②ではなく、③のようなものですね。だからこそ人は、ピアジェは、それこそこんなに抽象的で、かつ難しい問題に挑んできたのでしょう。
それでも次回には、思いつく限りの応用をいろいろ書いてみます。それこそ自分の子育ての体験も入れて。僕は共働きで、二人の子の保育園、学童保育の送迎を基本的に僕がやった。4人で朝食を食べながら車に乗って連れ合いの職場まで1時間も通い、また自宅近辺に戻って園に送り出す。車の中で二人と色々やったことが、今はとても懐かしい。30歳を超えて独身の男女二人は今でも、僕とデイトして飲んでくれます。「自然に人間同士として付き合ってきた」。これが、僕の父親としての最大の自慢、喜びです。
(続く)