「美しい日本」についての論争。どこか変です。
議論すべきは、日本の美しいものを守れるのか?
美しいけれども守れないものをどうするのか?である。
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日本語は美しい。
しかし政治家は、日本語という美しいものを使わず、なぜ英語を使うのか?
なぜホワイトカラー・エグゼンプション?なのか。
政治家は美しい日本語をどうして使わないのか?
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会社は社員のものでもあるというのは日本の美しい考え。
経営難になれば、リストラ(日本語ではない)によって社員を減らし、
安い契約社員を使う。社長はヒラ社員の数百倍の給料を貰う。
これは厳しい競争を勝ち抜くためには必要かもしれないが、美しくない。
政治家や経営者は、生き残るためには美しさを捨てなければならないと、
正直にいうべき。
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平和憲法の9条も美しい。
憲法改定は、美しい日本をつくるためではなく、日本の美しさが世界の現実にあわない。政治家はそう正直に国民に話すべき。
そう話すことによって、問題を正しく議論できる前提が整う。
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日本は厳しい選択を迫られている。
あいまいなスローガンで論点をぼかすのは美しくない。
これ、アメリカ・コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授の意見です。
コトバの戦場でよく使用されるマヤカシ・ミサイルを粉砕する真っ当な意見です。
(2月4日・中日新聞より・落石)