九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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今年も平和のともしびウォークに参加しましよう!      昭和区九条の会

2008年09月18日 12時30分42秒 | 国内政治・経済・社会問題
~12月8日~ ・・・冬の平和の日・・・

 12月8日は、日米開戦の日、ジョン・レノンが暗殺された日です。
「昭和区九条の会」では、『冬の平和の日』と位置づけて千種、みずほ、名東九条の会と一緒に『平和のともしびウォーク』を行ってきました。
 昨年は12月8日の午後5時30分に手づくりの『ともしび』を持ち、500名を超える市民が瑞穂区・昭和区・千種区を平和を願って歩きました。
 今年は、県内や名古屋市内の九条の会にも参加いただき、県内各地で『平和のともしびウォーク』を行い、12月8日を『冬季の平和の日』として戦争反対、平和をまもれ、9条まもれの声を県民の皆さんに伝え、平和のアピールができれば素晴らしいと思っています。
 前記の四つの九条の会は、今年は、みずほ・昭和コースと千種・名東コースをつくり最終地点(千種駅東公園)で合流する予定です(昨年の話し合い)。
 県内、市内の「九条の会」の参加の方法は、みずほ・昭和コースと千種・名東コースに合流される方法、お近くの九条の会と一緒に『平和のともしびウォーク』を行う方法などがあると思います。
 ともしびのつくり方、夜間におけるウォークのノウハウ、その他の注意事項などについてはいままでの経験をお話します。連絡先がわかる「九条の会」には追ってご連絡をするつもりですが、よろしければ以下へご連絡下さい。

  【連絡先】 昭和区九条の会事務局
         (電話・FAX)052-731-2749 (舟橋)
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戦場 心の傷 ママはイラクへ行った     NHKのTVから

2008年09月18日 12時26分38秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
★先日、NHKで「戦場 心の傷」の2回シリーズを放映しました。いずれもイラクなどの戦争がもたらす人々の深い傷についてのドキュメントで感銘を覚えました。中でも米軍の女性兵士の傷は深くそれは酷いものでした。近日中に再放送され、さらに多くの人々に視聴され平和への願いが広まることを願って紹介します。
                         (ネット虫) 
************************************

 アメリカ軍はイラクなどに、総兵力のおよそ11%にあたる19万人の女性兵士を送り込んできました。その3分の1は子供を持つ母親兵士です。女性兵士に直接、戦闘を行う任務は許されていませんが、イラクではどこからが前線なのかが曖昧で、しばしば銃撃戦に巻き込まれるのが現実です。子どもに銃を向け、殺害することさえあります。

 これまでにない状況を経験し、その後、故郷に帰還した母親兵士に今、深刻な問題が生じています。戦場で負った心の傷が原因で「以前のように子どもを愛することができない」、「子どもを愛おしく思う心さえなくした」という母親が増えているのです。
マーシーさん(26)は12歳のイラク人少年に突然、背後から銃撃され、撃ち殺した経験からPTSD(心的外傷後ストレス障害)になりました。症状は息子を出産した後、悪化した。自分の息子の顔がイラク人少年の顔に重なってしまうのだといいます。育児が出来なくなり、いまは入院治療を続けています。

 イラク人の復興を支えたいと行ったイラクで見た厳しい現実。番組は、家族との葛藤に苦しむ元母親兵士の姿を通して、多くの女性が“前線”で闘うという、これまでにないアメリカの戦争の闇を描いていました。

★いかに女権尊重・男女平等?の国とはいえこの酷い現実をアメリカ国民はどう受け止めているのでしょう。

コメント (3)
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ラジオと玉音放送④   中野寂音

2008年09月18日 09時15分09秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
私は昭和十七年一月日本放送協会(現NHK)に入社、技術部に所属していた。
昭和十九年十二月から一年間軍隊にいた。
その間四月から十二月まで中国にいた。
これが昭和激動の時代であった。

復員後日本放送協会に復職、八月十五日の放送局の模様を、
当時の技術担当者から直接聞くことが出来た。
「玉音放送」の録音盤のことも聞いたが、
当時の記録はすべて廃棄したので「玉音放送」は聞くことは不可能であった。

民間放送の開始とともに名古屋のCBCに入社した。
戦後十年位経過した頃、玉音放送録音盤と関係が新しく始まった。
私と日本放送協会に同期に入社した先輩寺田さんが、
CBCに入社東京支社で同僚として仕事を始めた。
その時「玉音放送」を聞かせてくれた。
始めて聞いた天皇陛下の声しかも実に鮮明で雑音もない。
当時NHKの放送では「玉音放送」は雑音の中から聞こえる声であった。

寺田さんは「玉音放送」の複製盤を自宅に持っている。
そのコピーである。
寺田さんは終戦の八月頃は中継局勤務で放送会館にはいなかった。
戦後会館の録音室勤務となった。

戦後アメリカ軍将校に「玉音放送」録音盤の複製を依頼された。
当時の複製担当者春名氏と寺田氏は複製盤を三枚作成した。
その一枚は春名氏の録音盤、現在NHKで保存されている「玉音放送」である。
もう一枚が同僚だった寺田さんが預かった。
戦後十年経過した頃、「玉音放送」のテープに複製したコピーを
寺田さんから聞かされた。
複製盤は十回再生すると雑音で聞けなくなる。
いままで三回再生した。
現在NHKで放送される玉音放送より音は良質である。
録音盤の雑音は少なく天皇陛下の声が鮮明に録音されている。
このときはじめて玉音放送をゆっくりと聞くことが出来た。

戦後二十八年八月十五日午後二時、寺田さん保存の録音盤は、
CBCテレビ「ワイドショー&YOU」で放送された。
寺田さんの一生をかけた執念の昭和音風景「玉音放送」
録音盤コピーは、CBC資料室に保存されている。
寺田さんは平成十二年病気のため亡くなられた。

戦後三十年頃、友人から手書きの「戦争終結の詔書」のコピーをいただいた。
「玉音放送」を聞くときはこの詔書を開いて、難解な漢字文を目で確かめて聞く。
明解な理解が出来るようになった。

                    終り

コメント (1)
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