私がこのブログを知ったのは、戦中(京大)俳句の随想がある、と教えられてのことでした。
そのエッセイに魅きつけられて早速に生半可なコメント(長谷川素逝について)を寄せると、それに対してどこで得られたのか詳細な考証の教示が返ってきて瞠目しました。
生意気にも驚いたのは、俳句については「あること」でいささか驕るところがあったからですが、
その小鼻を軽くへし折られたように感じ、これまた早速「お気に入り」に入れさせてもらいました。
それからはブログ散策者と知るとこのブログを紹介し、それは京都、東京に及びました。
そして私も大いに楽しませてもらい、勉強もさせてもらいました。
その状況を変えたのは、3、11でした。
本当に言いたいことは、決して攻撃的になることはないと言い聞かせながらも、気が付いてみたら私の口ぶりは粗暴になっており、それに関わるコメントも気立ち、波荒れることしばしば。
そうした中で、私の知人である睦子、影丸、メロンパンはこのブログから離れていきました。影とかメロンはどうでもいいですが、「ともしびウォーク」に感動し、何枚も新聞記事をコピーして話の種にしていた睦子さんには、申し訳なく残念無念の思いがあります。
そして最近、コメントに登場の「にんじん」「元デモシカ教員」はこれまた私の知人ですが、彼らのコメントは私の言説に寄せられてのものが多く、……。
ということで責任の一端、私にもあるのではないかと、筆をとった次第です。
まだ昨年末のことです。
管理人さん、文科系さんの病の報告から、共感と互いを思い遣る緊張感がみられたのは。
それから半年、なぜこうなったのでしょうか。
文科系さん、らくせきさんの、本ブログを盛り上げようとの思いは皆々言うようによく判りますが、
本来の趣旨は、「戦争だけはすまい、そのためには9条をどう考えたらいいか」ということにあると思い、
このことよろしくお願いいたします。
なお、3、11以降の私の思いについては、6月21日らくせきさんの「新聞記者のみなさんにお願い」に付着したコメント「くどいかもしれませんが」と「最後の言葉とならないことを祈って」に記したとおりです。