保安院の大罪(25) 「体制側にも大亀裂」(2)
こういう記事をネットで報告し合うことが、起こり始めた「慎重論」を励まし合い、拡張しあっていくことになると信じて、続けます。僕だって、自分のブログ記事を別のブログで紹介されれば気持ちがよい。たくさんの所に載れば、嬉しい。他の大マスコミだってそうに違いないと思うのです。ここはとにかく「生まれ始めた芽を、大切に育て合うこと」。
人はとにかく誉め合うことです。「あれだけの事故だったのだから、人も変わる。どんな人も変わりうる」とばかりに。
今回は朝日のニュースです。「昔、原発無条件推進の流れができたころにこんな抵抗を感じていた」と述懐する官僚らの話を、実名と現在のポスト付きで掘り起こしています。とても面白い。このニュースなどは、変わり身の速いマスコミの、いち早く上げたアドバルーン、風見鶏に見えなくもありません。(と、マスコミもおだててみる)。こうなってくると、中日新聞、東京新聞は、長谷川幸洋氏の経産省との大げんか公表に典型的に見えたように、早くから公正という意味で格調が高かったように思います。
【 核燃料サイクル、官僚に慎重論 もんじゅ事故前の証言録
2011年7月21日3時4分 朝日新聞
核兵器に使われるプルトニウムの大量保有につながる核燃料サイクルについて、旧通商産業省や科学技術庁の幹部が1991年、膨大な経費がかかることや日本の核武装に対する国際社会の警戒感を招くことを理由に慎重論を唱えていたことが分かった。
原子力政策の重鎮で原子力委員を務めた故・島村武久氏が、原子力にかかわった政治家や学者らを招いた研究会に出席した当時の担当官僚の証言録に残されていた。核燃料サイクルの中核を担う高速増殖炉「もんじゅ」の事故前で、政府が研究開発を奨励していた時期に証言されたものだ。
90~93年に通産省資源エネルギー庁技術課長だった谷口富裕氏は、核燃料サイクルについて「全体的展望、戦略に欠け、経済的に引き合わない」と指摘。プルトニウムの大量保有につながるため、「政治的には(各国が)日本に警戒心を高めている中でうまくいくわけがない」と語った。
今は東工大特任教授の谷口氏は、朝日新聞の取材に「高速増殖炉を進める建前論と電力ビジネスの実質論がかみ合っていないと心配だった」と話す。担当省庁の幹部が疑問を持ちながら見直しが進まなかった理由について「技術的、客観的事実より、それまでの経緯や立場が大事になってしまう傾向がある」と、原子力行政の体質に問題があったとの認識を示した。
同じ時期に科技庁核燃料課長を務めていた坂田東一氏は研究会で、政府の原子力委員会の専門部会について「核燃料サイクルありきだった。(是非論を)1回議論しかかったが、そこまでいくと収束できない。だから姑息(こそく)だが(議論をやめた)」と証言した。
のちに文部科学事務次官となった坂田氏は取材に「国家を挙げて進めてきた。担当課長にとって(継続は)大前提だった」と説明。「世界でプルトニウムに厳しい目が注がれていることにもっと注意を払うべきだと思っていた」と語った。】
こういう流れを観るときに、こう語ったのが昔の左翼。
「こんなの、文殊だけのこと。形勢不利と観た経産省が、条件闘争を始めただけだよ。騙されるな」
ところで、条件闘争でも何でも、長い間に何も政治的生産がないよりは遙かにマシだと、僕は思いますね。条件闘争で勝った分、自分が矛先を緩めない自信があるのであれば、なにも条件闘争をクサスコトハナイ。その具体的前進をさらに利用すれば良いだけのことだ。
こういう記事をネットで報告し合うことが、起こり始めた「慎重論」を励まし合い、拡張しあっていくことになると信じて、続けます。僕だって、自分のブログ記事を別のブログで紹介されれば気持ちがよい。たくさんの所に載れば、嬉しい。他の大マスコミだってそうに違いないと思うのです。ここはとにかく「生まれ始めた芽を、大切に育て合うこと」。
人はとにかく誉め合うことです。「あれだけの事故だったのだから、人も変わる。どんな人も変わりうる」とばかりに。
今回は朝日のニュースです。「昔、原発無条件推進の流れができたころにこんな抵抗を感じていた」と述懐する官僚らの話を、実名と現在のポスト付きで掘り起こしています。とても面白い。このニュースなどは、変わり身の速いマスコミの、いち早く上げたアドバルーン、風見鶏に見えなくもありません。(と、マスコミもおだててみる)。こうなってくると、中日新聞、東京新聞は、長谷川幸洋氏の経産省との大げんか公表に典型的に見えたように、早くから公正という意味で格調が高かったように思います。
【 核燃料サイクル、官僚に慎重論 もんじゅ事故前の証言録
2011年7月21日3時4分 朝日新聞
核兵器に使われるプルトニウムの大量保有につながる核燃料サイクルについて、旧通商産業省や科学技術庁の幹部が1991年、膨大な経費がかかることや日本の核武装に対する国際社会の警戒感を招くことを理由に慎重論を唱えていたことが分かった。
原子力政策の重鎮で原子力委員を務めた故・島村武久氏が、原子力にかかわった政治家や学者らを招いた研究会に出席した当時の担当官僚の証言録に残されていた。核燃料サイクルの中核を担う高速増殖炉「もんじゅ」の事故前で、政府が研究開発を奨励していた時期に証言されたものだ。
90~93年に通産省資源エネルギー庁技術課長だった谷口富裕氏は、核燃料サイクルについて「全体的展望、戦略に欠け、経済的に引き合わない」と指摘。プルトニウムの大量保有につながるため、「政治的には(各国が)日本に警戒心を高めている中でうまくいくわけがない」と語った。
今は東工大特任教授の谷口氏は、朝日新聞の取材に「高速増殖炉を進める建前論と電力ビジネスの実質論がかみ合っていないと心配だった」と話す。担当省庁の幹部が疑問を持ちながら見直しが進まなかった理由について「技術的、客観的事実より、それまでの経緯や立場が大事になってしまう傾向がある」と、原子力行政の体質に問題があったとの認識を示した。
同じ時期に科技庁核燃料課長を務めていた坂田東一氏は研究会で、政府の原子力委員会の専門部会について「核燃料サイクルありきだった。(是非論を)1回議論しかかったが、そこまでいくと収束できない。だから姑息(こそく)だが(議論をやめた)」と証言した。
のちに文部科学事務次官となった坂田氏は取材に「国家を挙げて進めてきた。担当課長にとって(継続は)大前提だった」と説明。「世界でプルトニウムに厳しい目が注がれていることにもっと注意を払うべきだと思っていた」と語った。】
こういう流れを観るときに、こう語ったのが昔の左翼。
「こんなの、文殊だけのこと。形勢不利と観た経産省が、条件闘争を始めただけだよ。騙されるな」
ところで、条件闘争でも何でも、長い間に何も政治的生産がないよりは遙かにマシだと、僕は思いますね。条件闘争で勝った分、自分が矛先を緩めない自信があるのであれば、なにも条件闘争をクサスコトハナイ。その具体的前進をさらに利用すれば良いだけのことだ。