九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

放射能汚染は想像以上です。     あんころもち

2011年07月28日 23時38分32秒 | Weblog
 お久しぶりです。
 ずーっと書き込んではいませんでしたが、ROMはしていました。
 7月27日、衆議院厚生労働委員会で「放射線の健康への影響」について述べた参考人・児玉龍彦氏( 東京大学教授 東京大学アイソトープ総合センター長)の意見陳述がネットで見聞できます。
 この人は御用学者ではない方の人で、「プルトニュウムを飲んでも大丈夫」といった同僚の東大教授をちゃんと批判しています。
 この陳述で注目すべきは、どこそこの箇所が〇〇シーベルトといった点としての数値の問題は統計的なまやかしで、本当に問題にすべきは地域全体の総量的な放射能の蓄積だということです。局部的な除染では解決しない面や空間の汚染ということです。
 胎児や子どもたちへの長期にわたる影響もわかりやすく説明しています。
 これを聞くと、事態はチェルノブイリより軽いといった生半可なものではないことがよくわかります。
 ご参考までに。

  http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo
  または http://t.co/2HAFKkk
  双方とも同一の内容です。
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自信満々の九電会長       只今

2011年07月28日 16時43分33秒 | Weblog
九電のメール問題を調査する第三者委員会の郷原信郎弁護士(辞め検)と九電会長・社長の三人が記者会見した模様を
28日の『西日本新聞』が報じています。
 それによると、社長からの辞表をポケットにしたままの松尾会長は東電の勝股会長同様、霞ヶ関を初めとする政官財のみならず
※マスコミもいまだ掌握しているという満々とした自信がみてとれます。
 以下は、その『西日本新聞』の抜粋紹介です。

 =松尾会長は百人を超す報道陣を前に、おうような笑みを浮かべた。
  2週間前、やらせ問題を〈社会常識〉に反すると総括した真部社長の会見とは一変。この日のトップ二人には、責任の自覚は見えなかった。
  記者が重ねて問うた。「辞任届けを自分の一存で伏せているような会社に、原発の運転を任せて大丈夫と住民は考えると思うか」。松尾会長は「九州電力はとりわけ信頼できる会社だと思われている」と言い切った。
 郷原信郎委員長は、「大震災以後も変わらない九電の体質に問題がある」と問題の背景を指摘した。

 * この問題を大手各紙は、「社長の辞表は会長一任」と殆ど一段記事としている。
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随筆  「ハーちゃんと黒猫」(リメイク版)  文科系 

2011年07月28日 10時12分40秒 | 文芸作品
  ハーちゃんと黒猫  
                                  
 間もなく十か月になる孫のハーちゃんは、わが家の黒猫・モモに異常な関心を有している。まだハイハイができなかったころからのことだ。そして今続いている場面は、こんなふうだ。
 わが家に来訪中(週に三~四度は来ている)にモモの声が聞こえたとする。たちまち顔色が変わる。いつも笑っている彼女が急に目をしかめ加減にして、一種厳粛な表情、体勢を浮かべる。大人で言えばさしずめ「今、何か重大事態が起こった」と、そんな感じだ。その顔で、辺りをきょろきょろ見回す。その時にモモの姿が見えようものなら一騒動だ。猛烈なハイハイで追いかけていく。たいていは「オー、オウ」という感嘆詞を伴いながら。この迫力にはおおいに迷惑そうなモモの方、ささっと逃げの体勢に入り、たいてい最後は二階へ跳ねて行ってしまう。階段の下のハーちゃん、未練たらしくしばらく二階をのぞき込んでいる。その厳粛な表情を崩さないままで。
 仕方がないから、連れ合いが二階からモモを連れてきて、首輪を保持して抱え込み、座り込むとする。ハーちゃんは例の表情を崩さず、文字通りに「迫る」迫力で急接近だ。このときもおおむね「オー、オウ」が付いている。さてそれなら目の前のモモに触るかというと、これがなかなか。モジモジというか、コワゴワというか、とにかくあまり触らないし、手を取って触らせても指先だけで毛先に触れるようなもんだ。触りたくてしかたないのだけれど、触るか触らないかというこの動作にまた、みんなして笑っている。
 こういう同じことが飽きもせず、慣れもせず、もう一か月も続いてきた。

 さて、そんな一か月の結末としてこのごろ起こったことが、これだ。
 例えばハーちゃんの家というようにモモがいない所で、僕が「ニャーォン」とやる。するとハーちゃん、たちまち例の表情、体勢に変わって、辺りを探し始める。彼女の目の前であえて見えるように動かしている僕の口から出た声だなどとは露ほども思わない様子できょろきょろしている。それほどに、モモの印象が強すぎるということなのだろう。「声の方向」とか「動かしたこの口からこの声が出ている」ということなどが、まだ分かっていないのかも知れない。こんな場面、反応が何日か続いたあと、面白いことが起こった。それは、僕の「ニャーォン」に対して、「お前の声だ」とばかりに僕を見つめるようになった二、三日あと、数日前のことだった。
 モモを目の前にした時のハーちゃん自身が、その擬声を発したのである。それも下手なものだが、二種ばかりを何度も。一つは、「ギャワン」と鋭い感じで、もう一つは「ギャーワーン」と間延びした感じといえようか。この擬声は多分、彼女が最初に覚えた言葉の一つだ。慣れ親しんできた大事な大事なママ、その呼び名とほぼ同時に出たのだから。彼女にとって、モモの印象がそれだけ強烈に続いてきたということだろう。
 そして昨日驚いたのがこれ。穏やかで柔らかい「ギャワン」が連発されているのである。「ヤッター」とか「イイネ」とか、何か嬉しい心を表わす歓声のように。
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