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籾井発言について再びUnknownさんへ   大西五郎

2015年02月09日 09時50分45秒 | Weblog
籾井会長の談話にたいするコメントへの反論です。コメント欄ではなく投稿として扱いました。(らくせき)


Unknown(Unknown)さんは「そもそも公共放送なんて中途半端な立場がおかしい」とNHKの存在形態から論を説きますが、NHKがどうあった方がいいかという問題と、放送法に規定されて放送業務を行なっている現在のNHKがどのような放送をすべきかは別問題です。
重ねて申し上げますが、籾井発言の問題点は、放送法によって本来政権から独立して問題を採り上げ、評論すべき放送局が政権の顔色を覗うという公共放送としての自立性を失っていることです。
放送法第三条は「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」
放送法第三条の二①は「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めることによらなければならない。
一、公安及び善良な風俗を害しないこと。
ニ、政治的に公平であること。
三、報道は事実をまげないですること。
四、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
籾井会長の発言はこれに反していることを指摘したのです。
NHKが将来どう在るべきかの意見ではなく、籾井発言が現在のNHKがとるべき放送の在り方(籾井発言の可否)についてのUnknown(Unknown)の見解をお聞かせください。
さらにUnknown(Unknown)さんは「事実上税金に等しい集金をしているのに、公的にはどの省庁の支配下でもない」とおっしゃいますが、放送局が特定省庁の支配下に置かれたら、言論・報道の自由という立場は果せなくなります。
また「国民の放送局と称していますが、それを検証判断するのは内部の数人」というのも、どういうことをおっしゃっているのか意味不明な文章です。
公共放送ということについてはイギリスにBBC(British Broadcasting Corporation)という放送局があります。イギリスではテレビ受像機やビデオデッキを所有するときには許可書を買う制度があり、それがBBCの財政に繰り込まれます。それでBCCはどこからも規制を受けず、自主性を保っています。フォークランド紛争の時も、アメリカが始めたイラク戦争でも、政府の方針を批判しました。参考までに申し上げました。
                                 大西五郎

なお、この放送法は戦争への道を後押ししたことを反省、平和を大切にするという精神で制定されたものです。
名無しさんがこのことを知っていて、批判されるのなら、こまったものですが。
いかがですか?                             (らくせき)



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辺野古から抵抗の報告   文科系

2015年02月09日 05時40分24秒 | Weblog
 これも阿修羅掲示板からの転載だが、辺野古住民らは今、国家権力とのこんな闘いの真っ最中なのだと知ることができた。まさに闘いという表現そのものの先頭に立っているのが、名護市・稲嶺進市長。その意外に明るさ漂うインタビュー報告部分が、レポーター渡瀬夏彦氏の文章と共に、秀逸と感じた。


『(前略)
1月27日午後、名護市役所で行なわれた稲嶺(いなみね)進市長の会見に駆けつけ、その言葉にじっと耳を傾けた。

悲しみと悔しさと怒りとを一生懸命にこらえているような、複雑な表情の稲嶺市長は、この異常な緊急事態を受けてなお、あくまで冷静沈着な筋の通った発言をした。
だからこそ、会見内容の大切な部分を、きちんと紹介しておきたい。この民意に寄り添う誠実な地元市長の意思表明会見を、じっくり読んでいただきたい。

まず、知事が第三者委員会の「埋め立て承認の瑕疵(かし)」の検証が終わるまで作業中止を求めた翌日の出来事だが、と問われて―。

「知事は県民の代表です。先の知事選で相手候補に10万票近い大差をつけて『辺野古移設は駄目だ』という県民の意思が示されています。その県民の意思を受けて、知事は作業中止を求めたわけです。しかし、国はその意思をまったく無視している。無視イコール差別ともいえる形で物事が進められている感じがします。
国側は、いつでも法治国家(前知事の埋め立て承認を受けているから、法的に問題ない)という言い方をされますが、民意をまったく無視することが法治国家のあるべき姿かなぁと感じます。
選挙期間中は選挙に不利になるかもしれないから作業は止める。しかし選挙が終わったら(結果に関係なく、防衛省沖縄防衛局が)すぐに工事業者入札の公告をしたりする。これは、民意に関係なく、国はやるんだぞ、というパフォーマンス、見せしめ、と感じざるを得ません」

警備当局が「安全確保」と言っていることについて―。

「逆に過剰警備によって、危険を伴うことが海上やゲート前で起きています。だから、抗議の人たちの手が薄くなった、寝静まった時間を見計らうようなやり方をする。今日も台船が、夜が明けてみたら、そこに来ていました。防衛局のお得意技かな、と感じます。
法にのっとっているなら、テレビカメラの前で、あるいは新聞の文字を通して説明をした上で、明るい時間にやればよいのに、なぜできないのか。ある日突然、襲いかかってくるという感じです」

いわゆる「移設工事」(正確には新基地建設工事)への思いと、名護市の立場をあらためて問われて―。

「今は『移設』の前段のボーリング調査の段階で、無謀、横暴な作業が進められていますが、いざ埋め立て工事がそのまま進められていくかというと、わたしは決してそうは思わないんですね。
防衛局が県への申請を取り下げた部分や、名護市の許可が必要な部分も、何ひとつクリアされていません。それらは直接埋め立て工事に関わる必要事項です。いま(ボーリング調査関連作業を)権力で強行しておりますけれども、これが埋め立てまでスムーズに進むとはとても思えないですね」


読者の皆さんは、どう感じられるだろうか。

民意に基づき、「海にも陸にも新しい基地はつくらせない」という公約を2010年1月の初当選以来、守り抜いている市長の言葉の重みと説得力は伝わるのではないだろうか。
腹が据わっている。この市長の言葉は、国が仕掛けてきた「沖縄制圧戦争の武力行使」に対して、ひるむことなく立ち向かおうとしている誇り高き沖縄県民にとって、間違いなく大いなる励ましになる。

連日連夜、民意を無視した強行工事のガードマンと化している海上保安官や県警機動隊の諸君と、自然を愛し平和を希求してやまない市民県民・全国からの支援者との衝突が繰り返されている。
本当に悲しく腹立たしい光景である。だが、目の前にいる、過剰警備をさせられている公務員ひとりひとりは、わたしたちの敵ではない。

翁長雄志(おなが・たけし)知事が選挙期間中に時折発した言葉を借りれば「どこか高い所から、笑って見ている人がいませんか」という話だ。

わたしたちは、誰が当事者なのか、しっかり見極めなければならない。

●この続き、PART3は明日配信予定!

(取材・文/渡瀬夏彦 撮影/森住 卓)

■週刊プレイボーイ7号「政権の言うことを聞かない沖縄が“武力”で圧殺された日」より 』
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