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随筆 ギター、この5年間の前進?  文科系

2015年02月07日 09時53分59秒 | 文芸作品
 62歳から先生について12年目のクラシックギターだが、近ごろとんと上達しない。去年などは新曲をやらず、僕の暗譜リスト群の手直しに丸1年を費やしてしまった。暗譜リスト群というのは、この12年間にいろいろ出し入れしながら選び抜いてきた大好きな20数曲を暗譜リストにしているということ。そして、その都度のレッスン曲以外にこのリスト群を週に一回りほど、その日の気分に任せてあれこれいろいろ弾き回しを楽しんできたということ。暗譜していれば、読譜作業が不要な分自由な弾き回しを楽しめるということ。こういうこと全てが、僕のギター極楽生活の一部になってきたということでもある。その内の未完成難曲いくつかへの再挑戦だけで、去年一年が過ぎてしまったのである。もっとも、音楽の演奏なんて、どんな曲も常に未完成に決まっているのだが、僕の場合の未完成基準は酷くって、言ってみるならばこういうこと。「先ず、人には聞かせられない」。

 なお、ギター曲をご存知の同志のために去年再挑戦した曲名を上げれば、こんなところである。ソルのエチュードセゴビア編集20曲集のうち第14番と17番、バッハBWV998プレリュード、そして、大聖堂全3楽章などだ。

 さて、今やっているこの大聖堂。楽譜6頁のこの曲を初めにやったのは、10年2月から翌年1月頃まで。1日1時間以上は弾き続けて約1年粘ったが完成と言うにはほど遠いままに、自分で「ひとまずレッスン打ち切り」としたものだ。未来への宿題として暗譜リスト群に残したというと聞こえはよいが、この宿題が一応でも完成するか否かは自分でも分からないのである。僕にとって特に難しかったのはこの第3楽章だった。
( この悪戦苦闘ぶりを覗いてやろうという同志がいらっしゃったら、次の拙稿をご覧下さい。
10年8月25日 随筆 「大聖堂」第三楽章
9月13日 随筆 「老いと錯覚」、「老いと付き合う」
10月24日 随筆 バリオス「大聖堂」第三楽章 )

 さて、中4年置いて同じ難曲に再チャレンジして約一か月。何と多くの発見、気づきがあったことか。やはりこの5年の継続に紆余曲折があるにせよ、いろんな力を付け加えてくれていた。ちっとも進歩していないとか、予期せぬミスばかりが目立つようになって退歩しているとかに、ほとんど気を取られていたのに。

①第1楽章は、旋律をこの間に覚えたアポヤンド奏法で響かせられるようになって、この楽章の曲想に不可欠な緊張感が生まれた。
②第2楽章は、連続する和音と和音の構成音一つ一つを、注意すれば聴けるようになっている。もう少し広く言えば、聴きながら弾き、弾きながら聴けるように少しはなっている。ちなみに、複数のことになかなか注意が払えないのが老人のギターレッスン、これがなかなか難しいのである。とそのことを自覚することさえ、なかなか難しかったのである。
③過去もっとも難しかった第3楽章は、こんな曲だ。「最速アルペジオ、スケールなどの中から低音・高音の旋律、副旋律を響かせることが出来れば、痛快・『音楽』この上なし」と。これが一番変わったというのが、先生が一番力を込めくれた論評だった。この楽章らしい速さで弾けるようになったと先生が言われた変化には、この5年間における二つの前進が関わっている。
 一つはこのこと。昔特に苦労した左手小指の悪癖がほぼ修正された。薬指に連動したり、強く撥ねたりという癖が消えているのだが、この2年苦闘してきたおかげなのである。二つ目はこれ。右手の薬指が滑らかになって、その音の粒がそろうようになった。

 いくら年を取っても、根気よくやってみるものだ。数年単位で観ると驚くように前進している。物忘れも絡む判断の遅れとか、筋肉の硬化とかから偶発的なつまらないミスが増えて人前で弾くのはどんどん難しくなるが、それ以外の技量自身は確実に上がっている。そう思えた。

 母が、熱中していた三味線を全て放り出してしまったのが78歳。発表会について行けなくなったからのようだが、その年まで僕はあと4年(亡くなった93歳までは、あと19年)。そこまでは確実に弾いていたいとは心に決めてきたことだが、僕の音楽人生、どう終わっていくのだろう。
コメント (2)
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