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別エントリー激論?への「僕の総括」   文科系

2015年07月04日 21時18分26秒 | その他
 別エントリー6月29日「仮想敵政策『中国脅威論』2」で、現在まで57にも及ぶコメントが付く激論?があった。名無しさんが3人?(僕の推察である)も並び出て、長文も続いたりで、僕がまじめに読む気にならなかったのである。それなのに返事を書いてしまったのがまずかった。お詫びするべき所かも知れないが、それはしない。今後のためもあるので、その理由を書いた別記コメントをエントリーにも載せておく。


『僕の総括 (文科系)2015-07-04 13:05:08
 上記最後のコメントは、正真正銘の名無し君。僕の7~8年来の凸凹コンビ。この人への積年の軽蔑が、他の名無しの文章を僕をしてほとんど読まなくさせた上に、これらの方にも移ってしまった。それが上の僕の実際の姿。そう正直に申し上げておく。その他の名無し(2人は居ると思われるが)には、お詫びするしかないかもしれぬ。
 
 が、この場合僕はお詫びなど敢えてしない。そもそも、名無しの後に名無しが2人も続くという方が、よほど異常であって、かつ作為的ではないか。僕が今までこのブログで、何回もこう警告してきたはずなのだし。今回はたとえば、
『ここに来られる皆さんへ。ハンドルネームを書かないunknown氏は全員同一人物とはみなさないが、そういうお方には僕として応えたいときには応えるけど、一切無視する(権利が僕にあると考えている)。書かないお方が悪いのだ』。
 以上が僕の「憎悪」なるものをお詫びしない理由である。そして今後のために、こうも申し上げておく。僕は「名無しunknown」そのものを憎んでいる。unknown君はそれに相応しい言動を十二分にここで数年来示し続けてきたのだから。

 彼は今回も間違いなく、こう思っているのだろう。
「しめしめ、もめたもめた。もうちょっと火が付かないかな」
 この直前、最後のたった2行のコメントも、明白にそういう魂胆を示している。

 まーこれはこれで、こんな時代一つの「話題」なのかも知れないからこの凸凹コンビとしてはずっと適当につきあっていくつもりだ。とは、ずっと申し上げてきた通り。

 ただ、こうは思ったところだ。新たな名無しさんにはなるべくコメントを差し上げない方がよいだろうと。そもそも、僕の軽蔑の対象である名無し君と違うかどうかを判別するのが面倒だし、名無しを一人前に扱うことそのものが僕の倫理原則に合わないからである。』
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書評 「プーチン 人間的考察」(2)  文科系

2015年07月04日 20時41分58秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 1 目次とこの本の方法

 まず、目次はこうなっている。
「はじめに 体制」、 序章 方法、 第1章 住宅、 第2章 柔道、 第3章 KGB、 第4章 東独、 第5章 市役所、 第6章 盗作、 第7章 上昇、 第8章 人誑し(ひとたらし)、第9章 人脈、 第10章 贅沢、 第11章 家族、 第12章 マッチョ、 第13章 転換、 「おわりに」、である。
 
 この本を上記全13章のように書こうと企画した方法論についてだが、序章においてこう語られてある。プーチンの「人間そのものに焦点を当てる」と。1990年以来激変したロシアでは新国家制度はまだ未成熟だから支配する人間に従属する部分が大きいと解説し、プーチンのパーソナリティー、信条体系、管理スタイルなどを中心に進むと言う。そこから、プーチンの個人年表中心という書き方になったということだ。

2 簡単なプーチン年表 ただし、大統領就任まで

 1952年10月7日、レニングラードで生まれる。父は1911年生まれで、鉄道車両の機械工。KGB工作員で、ナチによるレニングラード900日包囲(市民の4分の1が死んだ)を体験している。母は同じ年生まれで、貧しく、雑役婦をしていた。ギリシャ正教信者で、プーチンにも洗礼をさせている。祖父は、レーニンの別荘のコック。レーニン死後はその妻クループスカヤにもつかえ、その後はスターリンのコックとしても働いた。13歳で柔道を習い始め、21歳でサンボも。26歳の時、レニングラード125ポンド級柔道チャンピオンに。
 1975年 レニングラード国立大学法学部卒業、KGB(ソ連国家保安委員会)勤務を始める。
 KGBにいつ入ったかは分からない。10代半ばに志したとか、大学3年に入ったとかの説もある.
 1985年 東独ドレスデンのソ連領事館に派遣され、90年1月まで駐在。その間、ソ連に87年から始まったペレストロイカ、グラスノスチを国外から観て、89年にはベルリンの壁崩壊をドイツで体験する。
 1990年 帰国し、レニングラード国立大学副学長補佐。
 1991年 ペテルブルグ市役所・対外関係委員会議長。8月守旧派のクーデター発生で、KGBに辞表提出。ソ連邦崩壊。
 1992年 ペテルブルグ市役所副市長
 1994年 ペテルブルグ市役所第一副市長
 1996年 市役所を退職、2か月後に再選されたばかりのエリツィン大統領の大統領府総務局次長
1997年 大統領府副長官兼管理局長
 1998年 連邦保安庁長官
 1999年 病気がちのエリツィン大統領の後継者に指名されて、首相代行、そして首相に。年末には、大統領代行に。
 2000年3月 大統領に当選。

3 全体的感想

 方法論として人間そのものに焦点を当てるというだけに、プーチン個人の生い立ち経歴部分とか、周囲のその都度の関係諸個人については大変詳しい。ただ、政治・社会体制とか、そういう歴史論とか、人間を観るにしてもその本質的考察などという面では、正直言って物足りなかった。この本には、そういう内容を書かざるを得ない部分も当然あるのだ。「はじめに 体制」とか、「序章 方法」、「第8章 人誑し」、「第13章 転換」などがそれである。が、まさにこういう章の内容自身が最も物足りなかったのである。正直言ってこんな感じだ。勤勉によく勉強しているが、学者の晩年を懸けたような大部の著作としては、物足りなかったと。この作者、今年79歳になるはずである。
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