日本にある韓国の文化財が数点、初めて里帰りしたのは1958年のことだった。韓日会談のムード作りのためだった。韓国人はこれを「文化財の返還」と言った。だが、日本では違っていた。日本人は「贈与」だと言った。65年の韓日基本条約で約1200点の文化財が戻ってきた時もそうだった。韓国人は「返還された」と言ったが、日本人は「引き渡した」と言った。2010年に朝鮮王室儀軌を返還した際も「お渡しした」だった。
「返還」とは所有者に戻すという意味だ。これは韓国の文化財を盗んだり奪ったりしたことを認めるということだ。韓日基本条約後に日本から送られた「無償3億ドル、有償2億ドル」を韓国人は「請求権資金」と呼び、日本人は「経済協力資金」と呼ぶ。これが日本の「言葉遊び」だ。
両国は1965年に国交を正常化した際、条約文で「1910年8月22日およびそれ以前に韓国と日本の間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効であることを確認する」(訳注:原文ママ、日本語の同条約は「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」)とした。1910年の韓日併合条約が無効かどうかは当時、争点だった。この条約が無効なら、日本による36年間の植民地統治は違法になる。当然、謝罪と補償が伴わなければならない。日本の外務省は知恵を働かせ、「無効」の前に「もはや」という入れなくてもいい言葉を入れた。韓国はこれを「韓日併合条約はもともと無効だという意味」と解釈した。日本は「1948年の韓国政府樹立後に効力を失ったという意味」と言った。植民地支配は合法的だったというこじつけだ。現在の韓日間の歴史認識問題は「もはや」という言葉に端を発するわけだ。
「明治日本の産業革命遺産」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産登録でも、日本の「言葉遊び病」がぶり返した。世界遺産委員会でユネスコ日本大使が「forced to work」と言ったことをめぐり、韓国外交部(省に相当)は「日本が韓国人の強制労働を認めたもの」と受け止めた。しかし、日本は外相が「強制労働を意味するものではない」と否定した。
強制労働者については「forced laborer」という明確な表現がある。ユネスコ日本大使がこの言葉を避けた背景には、強制労働という言葉の意味合いを薄めようという意図がある。そうだとしても、ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判の判決文には「forced to work」が明らかに強制労働を表現する言葉として記載されている。ユネスコ日本大使が言った通り、「劣悪な環境で本人の意思に反して無理やり働かされた」のならそれは強制労働であり、ほかにどんな言葉が必要だというのだろうか。心を開いて対話しようとしても、日本の薄っぺらな下心がこれを阻む。外交部も日本が「言葉遊び」をする口実を与えないよう、いっそう気を引き締めていかなければならない。
同じ事実に名前をつけることは当事者の価値観によって異なるという良い例。
言語学者の出番ではないと思うけれど・・・どう名付けているんだろう?