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琉球新報より  らくせき 愛知・自民を落とそう

2015年11月06日 10時48分52秒 | Weblog

米国家安全保障会議(NSC)が1973~76年に、72年の沖縄復帰を契機とした政治的圧力で在沖米海兵隊を撤退する事態を想定し、海兵遠征軍をテニアンに移転する案を検討していたことが、機密指定を解除された米公文書などで分かった。遠征軍は米本国以外で唯一沖縄に拠点を置く海兵隊の最大編成単位。米海兵隊は普天間飛行場などを運用しているが、当時米側はその「本体」である海兵遠征軍ごと沖縄から撤退し、テニアンに移転することを想定していた。文書はテニアンに滑走路や港湾などを備えた複合基地を整備する必要性に触れ、同基地は「返還に向けて沖縄の戦略部隊や活動を移転できる」とした上で、対応可能な部隊として「最大で遠征軍規模の海兵隊」と挙げている。日米両政府が沖縄を海兵隊の駐留拠点にする理由として説明する「地理的優位性」の根拠が一層乏しくなった形だ。

 米軍統合参謀本部史によると、73年に在韓米陸軍と在沖米海兵隊を撤退させる案が米政府で検討され、国務省が支持していた。同文書もテニアンの基地建設に言及しているが、計画は74年に大幅縮小された。理由の一つに「日本政府が沖縄の兵力を維持することを望んだ」と記し、日本側が海兵隊を引き留めたこともあらためて明らかになった。
 文書は野添文彬・沖国大講師が米ミシガン州のフォード大統領図書館で入手した。野添氏は統合参謀本部史でも詳細を確認した。
 フォード図書館所蔵の文書はNSCが73~76年に作成した「ミクロネシア研究」つづりに含まれている。海外の基地は「受け入れ国からの政治的圧力に対して脆弱(ぜいじゃく)だ」と分析し、米領内での基地運用を増やす利点に触れている。
 一方、米軍統合参謀本部史(73~76年)は、ニクソン政権が73年2月の通達に基づき太平洋の兵力を再検討、在沖海兵隊と在韓米陸軍の撤退を含む4案を議論したと記している。国務省は77~78年度にかけ最大の削減案を支持、軍部は最少の削減を主張した。73年8月、大統領は「現状維持」を選んだ。統合参謀本部史は「沖縄返還で当初予想された部隊移転を強いられることにはならなかった」と振り返っている。(島袋良太)






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「よたよたランナーの手記」(142) 好調、及び、自薦エントリー  文科系

2015年11月06日 06時51分31秒 | スポーツ
 涼しくなったので、1時間走の距離を100メートルずつ延ばして来た。その結果は、10月28日に9・7キロまで来た。ここまでを、先回に書いた。以降は、29日20キロサイクリングのファストラン。30日は時間が取れなかったから50分で8・1キロ。31日と3日はLSDで、それぞれ9・5キロと戸外を1時間。5日にはちょっと頑張って、9・8キロに届いた。例によって前半は4・8キロの、後半が5キロ。だから、低速ウオームアップから始める前半の4・8キロの方がきついくらいで、後半はほぼ時速10キロとほとんど無理をしていない。現在の力でも、いますぐにまだ延ばせるということである。

 久しぶりの外走りは蹴る力など脚筋には確かに良い。が、心肺機能の方はここのところそんなに好調とは言えない。今日でも10・5キロ時で心拍数155前後になる。僕の継続限界値に近い数字である。せめて150を切って欲しいのだが、暑くなり始めてからは無理をせず10キロ時以上ではあまり走っていなかったから、今は仕方ないのだろう。11キロ時で走る時間をおいおい増やしていけば解消する問題だと考えている。

 先回書いたスクワットと爪先立ち、そして外走りは、老人のランニングには不可欠だと認識してきた。走っているだけではランに必要な筋肉強度が維持できなくなって、どうしても故障がちになるのだ。爪先立ちは両脚で100回と、片足ではそれぞれ20~30回をやる。


 なお、過去のこの「手記」のどれかがこのブログ・エントリーのアクセスベスト10に時々上がってきます。ついては、いくつかの自薦エントリーを上げておきたいと思い立ちました。
①第45回に僕のラン経歴が(そこのコメントも含めて)書いてあります。14年3月29日のエントリーです。09年末に慢性心房細動が起こって、それに対する「完治療法」としての心臓カテーテル手術(10年に2回)前後3年のブランクから、ラン再開をして以降のことを書いています。ランナーにはこの病気が多いそうですから、不整脈を抱えた方には特に参考になるのではないでしょうか。手術後の僕はラン禁止を言い渡されたのですが、それでも走り始め、不安がないという実績を認めてもらってここまで来られたという、その経過の一端が分かると思います。
②ランの生活全般への効能は凄まじいものです。これらは、ラン中断3年などを経験したものにとっては恐ろしく鮮烈なものでした。14年12月27日です。
③これから走れる身体かどうか、走れるとしたらどうしたらよいか。これは同年12月30日の第95回にあります。ちなみに僕はいろんなスポーツをやって来ましたが、ランナー入門は59歳の時です。
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