元外務省官僚の天木直人が『11月10日発売の月刊文芸春秋の官僚人事ゴシップ欄である霞が関コンフィデンシャルを読んで驚いた。』と前置きして、こんなことを語っている。
『斎木次官が来年夏まで続投し、その後は一気に人事がすべて若返るというのだ。これまで巷間しばしば伝えられて来た、次期次官を含めたた外務省幹部人事がすべてふっとび、外務省の常識が通用しない人事が行われるという。
もと外務官僚である私には、この記事がどれほど衝撃的な記事か、よくわかる。
これまでの外務省の人事は、内部の出世争いによる派閥人事はあったが、それでも次官が決まれば、外務官僚の間で暗黙の了解と秩序が保たれた。
そして、その次官は、派閥人事を行う一方で、自らの人事権をなんとか組織の為に使うことに腐心した。
それが官僚組織の掟だった。
ところが斎木次官の去った後の外務省は、もはや誰も次期次官の予想がつかなくなったのだ。
次官が外務官僚を掌握するという時代は終わり、局長たちがみな次官ではなく政権を向いて動くことになる。次官の権限と権威が吹っ飛び、次官はただの幹部のひとりとなる。』
僕は、天木直人がこういう変更に驚くという事実に、逆に驚いた。このブログでもずっとこう述べてきたからである。官僚は政権の方針に従うべきだ。特に外務官僚は、アメリカのスパイもどきという習慣を改めろ、と。今は安倍政権だが、新政権が出来た時に外務省がアメリカのスパイとしてその政権を潰すという、鳩山内閣に対して行ったような行為が出来なくなることはこの上なく良いことである。
また、この変更が事実としたら、外務省のアメリカへのスパイ行為を流石の安倍政権も見るに見かねたのだろうとさえ、僕は推測した。もちろん、安倍政権らしい極右の立場からそう見たのだろうが、それにしても官僚が時の政権に従うなどということは当たり前過ぎることである。
官僚自治共和国(利権集団)が、特にその牙城・外務省において潰れたとしたら、それはこの上なく良いことである。
『斎木次官が来年夏まで続投し、その後は一気に人事がすべて若返るというのだ。これまで巷間しばしば伝えられて来た、次期次官を含めたた外務省幹部人事がすべてふっとび、外務省の常識が通用しない人事が行われるという。
もと外務官僚である私には、この記事がどれほど衝撃的な記事か、よくわかる。
これまでの外務省の人事は、内部の出世争いによる派閥人事はあったが、それでも次官が決まれば、外務官僚の間で暗黙の了解と秩序が保たれた。
そして、その次官は、派閥人事を行う一方で、自らの人事権をなんとか組織の為に使うことに腐心した。
それが官僚組織の掟だった。
ところが斎木次官の去った後の外務省は、もはや誰も次期次官の予想がつかなくなったのだ。
次官が外務官僚を掌握するという時代は終わり、局長たちがみな次官ではなく政権を向いて動くことになる。次官の権限と権威が吹っ飛び、次官はただの幹部のひとりとなる。』
僕は、天木直人がこういう変更に驚くという事実に、逆に驚いた。このブログでもずっとこう述べてきたからである。官僚は政権の方針に従うべきだ。特に外務官僚は、アメリカのスパイもどきという習慣を改めろ、と。今は安倍政権だが、新政権が出来た時に外務省がアメリカのスパイとしてその政権を潰すという、鳩山内閣に対して行ったような行為が出来なくなることはこの上なく良いことである。
また、この変更が事実としたら、外務省のアメリカへのスパイ行為を流石の安倍政権も見るに見かねたのだろうとさえ、僕は推測した。もちろん、安倍政権らしい極右の立場からそう見たのだろうが、それにしても官僚が時の政権に従うなどということは当たり前過ぎることである。
官僚自治共和国(利権集団)が、特にその牙城・外務省において潰れたとしたら、それはこの上なく良いことである。