本日先程、作家・高村薫のある文章を紹介した。その同じ人物が、同じ「作家的覚書」(岩波新書)でこんなことを述べていると知った。
『さて、いまの時代を個別の要素に分解して見てゆく前に、もう少し大きな括りで、私たちの社会がいまどういう地点に立ち至っているのかを確認しておきたいと思います。
まず、日本の景気後退はすでに二十年以上に及んでいるのですが、一方でアメリカやアジアはひとまず順調に成長しているので、日本の国民総生産も、一人当たりの国民所得も、相対的に順位を下げ続けております。若い世代は知らないことですが、ジャパンアズナンバーワンと言われて世界第二位の経済大国だった時代は、はるかに遠くなったという実感があります』(164ページ)
この表現が、僕が最近ここで何度も強調してきた日本窮状の最重要の思考と、その表現法までがそっくり同じだと知った。こういう「政治不在日本の象徴数字」とも言えるような国連数字が以下のようにはっきりと存在するのである。これとちょうど同じことを高村が上でこう前置きしていることが、特に要注意なのだと愚考する。
『いまの時代を個別の要素に分解して見てゆく前に、もう少し大きな括りで、私たちの社会がいまどういう地点に立ち至っているのかを確認しておきたい』
『日本国民一人当たりGDPの歴史的推移というものだ。各国比較順位も含めて。一九九五年、二〇〇五年、二〇一五年で、こう推移している。順位は、五位、二三位、三二位と極端に落ちていく。一人当たり金額も、四万三千七七四ドルが三万四千六二九ドルにまで落ちた。この劣化ぶりが、九五年と一五年とそれぞれ十位の国との比率を観てみると、非常によく分かる。日本が三位であった九五年は十位の国の一二六%だったものが、二〇一五年には五七%にまで落ちてしまった。他国がどんどん上がってきた間に、日本GDPだけが急減しているからだ。十位の国はこの二〇年に、三万四千八七一ドルから六万五一四ドルにまで上がったのである。これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれてアメリカまでを買い漁った当時からの、黄昏れた日本国の末路なのである。』
『さて、いまの時代を個別の要素に分解して見てゆく前に、もう少し大きな括りで、私たちの社会がいまどういう地点に立ち至っているのかを確認しておきたいと思います。
まず、日本の景気後退はすでに二十年以上に及んでいるのですが、一方でアメリカやアジアはひとまず順調に成長しているので、日本の国民総生産も、一人当たりの国民所得も、相対的に順位を下げ続けております。若い世代は知らないことですが、ジャパンアズナンバーワンと言われて世界第二位の経済大国だった時代は、はるかに遠くなったという実感があります』(164ページ)
この表現が、僕が最近ここで何度も強調してきた日本窮状の最重要の思考と、その表現法までがそっくり同じだと知った。こういう「政治不在日本の象徴数字」とも言えるような国連数字が以下のようにはっきりと存在するのである。これとちょうど同じことを高村が上でこう前置きしていることが、特に要注意なのだと愚考する。
『いまの時代を個別の要素に分解して見てゆく前に、もう少し大きな括りで、私たちの社会がいまどういう地点に立ち至っているのかを確認しておきたい』
『日本国民一人当たりGDPの歴史的推移というものだ。各国比較順位も含めて。一九九五年、二〇〇五年、二〇一五年で、こう推移している。順位は、五位、二三位、三二位と極端に落ちていく。一人当たり金額も、四万三千七七四ドルが三万四千六二九ドルにまで落ちた。この劣化ぶりが、九五年と一五年とそれぞれ十位の国との比率を観てみると、非常によく分かる。日本が三位であった九五年は十位の国の一二六%だったものが、二〇一五年には五七%にまで落ちてしまった。他国がどんどん上がってきた間に、日本GDPだけが急減しているからだ。十位の国はこの二〇年に、三万四千八七一ドルから六万五一四ドルにまで上がったのである。これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれてアメリカまでを買い漁った当時からの、黄昏れた日本国の末路なのである。』