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随筆紹介  終のくらし   文科系

2019年06月02日 13時15分05秒 | 文芸作品
 終の暮らし  S・Yさんの作品です


 介護施設での殺人や虐待などの報道を目にすると、胸がざわつくようになった。
母が有料老人ホームに入居しているからだが、最近、頓に不安になる。
 母の部屋は北向きで陽が入らないうえに窓は隣の建物の壁が迫っている。入居してまる二年になるが、なぜ兄夫婦は母をこんな部屋に入れたのか、当時は他に部屋が空いてなかったのかもしれないが、それにしてもだ…。母に面会に行くたびに思うことである。
 母は朝起きて窓のカーテンを開けても目に入るのは土色の壁だけ。お天気が良くてもお日さまも青空も見ることはない。母は外の景観を見ることは皆無だ。逆に廊下を挟んだ向かい側の部屋の窓からの景観はすばらしい。田園が広がり、遠くに山々が望め、成田山や犬山城まで見える。陽が入るので部屋も明るくて暖かい。
 薄暗い部屋の窓際でベッドに腰掛けて折り紙や編み物をしている母を見ると胸がふさがる。陽も入らないので今の時期は寒い。廊下のほうが暖かいぐらいだ。昔の人だから窓からの明かりだけで用が足りる、電気を点けるのは勿体ないと言うのだが、私は部屋に入ると真っ先に明かりを点けて暖房を強にする。
 そんなときに偶然にも向かいの部屋が空いたことがあった。それも三部屋空いたのだ。母は部屋を替わりたいと施設の事務長や介護士に伝えたという。が、聞き入れてもらえなかったらしい。そこで私は生まれて初めて「袖の下」というものを用意した。効果があるのかはわからない。私としては不本意だが、死ぬまであの部屋にいなければならない母を思うと、なりふり構ってはいられない心境だった。
 結果的に「袖の下」を持参した日は、施設側に何かトラブルがあったようで、事務所には多数の人が出入りしていて渡しそびれてしまった。ならばと、次はまず高価な菓子折りを持参して挨拶に行ったのだが、事務の女子しかいなくて話にならない。そのうちに母が、「もういい、もういい。もうこれ以上言うな」と言い出した。なにか母なりに思うところがあったようだ。
 この施設で暮らしているのは母だから、母が居辛くなるようではいけない。そう思った矢先、廊下で若い男性の介護士に私は呼び止められた。マスクをしていたが、私は初めて見る顔だった。彼が小声で私の耳元で言うには、母がこのところ妙なことを言うのだという。箪笥の中からゴキブリが出たとか部屋に誰か入ってくるとか、要は妄想と幻覚があるのだと。早い話、九四歳の婆さんが呆けてきたと言いたいようだ。
 この日、私は息子と連れ立って面会に行ったので、お昼に母を外食に連れ出していた。母は私と孫との久しぶりの外出にとても喜んだ。午前中から六時間ほど一緒にいたが、いつもの母と何ら変わりはなく、相変わらず頭の回転は速く、記憶力は私たちが舌を巻くほど正確で口も達者だった。介護士の言う意味が腑に落ちないが、所詮、私たちはたまに会いにくるだけで、母の日常を知っているのは介護士の人たち。私は母の変化にまったく気づかなかったということか。でも、息子もお祖母ちゃんが呆けているとは思えないという。
「部屋にゴキブリが出るの?」尋ねると「ああ、箪笥の引き出し開けたら飛び出してきてびっくりしたわ」母は笑いながら言った。
 施設から帰るなり、その近辺に住んでいる義妹や姪っ子に電話を入れてみた。彼女らはよく母に会いに行っている。やはり誰もが母が呆けていることに気づいていなかった。
 私は気が滅入って次に母に会うのが怖かった。
 
 半月後、私は独りで母に会いに行った。薄暗い部屋にいつもの元気な母がいる。
 母のお喋りに相槌を打ちながら、えぇっ! 思わず私は叫んでしまった。なんと母はゴキブリを仕留めていたのだ。ゴキブリは居たんだ。幻覚じゃなかったんだ。
「どうやって捕まえたの?」母は足腰が弱っているので敏捷には動けないはずだが…。
「そりゃああれは素早いで簡単にはいかんわ。なに、そのうちに何回もベッドの近くに来るもんで、杖の先で突いた」と言う。ゴキブリの進行方向とスピードを考えて杖を振り下ろし一撃で倒すなんて、宮本武蔵並みの婆さんだ。ゴキブリは羽が少しもげただけで形態は保っていたので、介護士にわかるように部屋の出入り口にしばらく置いておいたそうだ。母の部屋に侵入して引き出しやカバンを触るのは、近くの部屋のホントに呆けた婆さんで、母の妄想ではなくて事実だった。母は部屋にカギを掛けるようにと言われたそうだ。
 母は自分のことは大方できる。洗濯も最近では大物以外は自分でして、陽の当たらない窓辺に干している。器用なので、手芸作品や折り紙の作品をせっせと作り、部屋中に飾り、食堂やイベント会場まで母の作品が飾ってある。
 薄暗い部屋で読書をしたり、作品を作っている母を見て、施設の人たちは何にも感じないのだろうか。いやそれにもまして、そこに入居させた兄夫婦も何も感じないとしたら想像力が著しく欠如した人たちだろう。景観のいい部屋に入居している人たちは認知症で車椅子が多く、介護士の目の届く食堂に連れてこられている時間が長い。比べて一日中暗い独房のような部屋にいる母が哀れでならない。母は介護認定が受けられない要支援なので、国からの補助がない。施設側は介護認定が重い人ほど補助金が沢山入り、儲かるシステムなのだとか。母のような人は世話はかからないがお金も入らないということなのか。
 夜、ベッドに入り、窓から夜空を見上げると空気が澄んで月がくっきりと浮かんでいる。ああ、母はお月さまも星空も見ることができないんだ。自宅にいるときは気ままに散歩もできたのに、今は施設から一歩も出られない。私は今夜もまた寝付けそうにない。
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随筆   こんな赤ワインを待っていた   文科系

2019年06月02日 01時10分41秒 | 文芸作品
 こんな赤ワインを待っていたという話をしよう。大衆ワインの歴史の試練が浅い日本では、特に必要な話だろうと前置きして。
「ちょっと良い箱ワイン」が、とうとう出てきた。初めから言っておくとオーストラリアからの輸入で、ボルトリ・カベルネ・プリミウムリザーブという2リットルの商品である。値段は1580円也。

 日本の箱ワインの歴史は実に浅く、僕の経験では良いものは全くなかった。
「こんな安いワインをどうして壜ばかりで売るのだろう?」
「だからこそ、箱ワインなどはっきり言って安かろうというものばかりじゃないか」
「そんなはずはない。ちょっと良い箱ワインがいつか必ず出てくる」
 僕は待ちに待っていたのである。ちなみに、現在78歳の僕は30年を超える「毎晩の晩酌は赤ワイン」という歴史を持っている。それも毎晩のワインだから手頃な値段で良い品を探してくるというのを、最大の趣味の一つにしてきた歴史だ。

 ここで僕なりの良いワインの定義をしておこう。ワインの質はブドウの質で決まり、その良いワインのブドウというのは太陽がいっぱい当たって育ち、かつ水っぽくないブドウと言うに尽きる。甘みも渋みも強くって、プラス香りが少々高ければそれが良いワインと、僕なりに考えてきた。ただ、こういうブドウで作ったワインは味が濃過ぎるから、良い樽で長く寝かせてこそ本当に良いワインになるのだが、そういうワインは皆高価だからその中間の品ということだ。若くても飲める程度の適当に濃いブドウで、香りが高ければ良い、と。このボルトリカベルネは、壜にしたら2000円近い価値があるのではないか。ワインって本当に値段じゃないと改めて思ったことだった。

 オーストラリアから良い箱ワインが入ったというのは、それなりの必然性があると思う。日本へは輸送費が高いから、コルクも倹約してスクリューをという近年のワイン王国なのだ。箱ワインなら輸送代がなお安くて済むということだろう。ちなみに、僕がオーストラリアワインを知ったのは、2005年に3か月ほど、シドニーにホームステイしていた時だった。手頃な値段の美味しいワインの多い国だと知ったのである。ちなみに、スペインのワインも過小評価されすぎだと思う。テンプラニージョというスペインブドウを美味しいと思う人ならば1000円も出せば十分、同じ値段のチリワインを買うよりもはるかにお値打ちである。
コメント (2)
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