去年から、多くの国民がこの五輪開催を批判し、政府との間で国民的議論が続いてきた。
①民主政治にとって最も大切なものは国民、人間の命。世界の命を賭けてまで五輪を強行する意味は一体どこにあるのか。
②この批判に対して政府は五輪の大義名分と、ただ「安心、安全にやる」とだけ答えてきた。
③この政府答弁はまともな答えとは言えず、専門家からも含めて厳しく批判されていた。安全安心と念仏していても、今までの経過から見るとただやりたいだけで「安心安全」に関してあまりにも無能をさらけ出してきたと批判された。コロナを国内ばかりではなく、国外にもばらまくことになったら、一体どう責任を取るのか、と!
さて、現在はもう、日本や諸国の命に関わる「コロナ鎮圧」に政府が失敗したことは明らかになっている。何度目かの緊急事態宣言を出さねばならず、来日選手団などからコロナ感染者が続々と出ているうえに、彼らとの濃厚接触者はどうも野放し状態に等しいと報道されている。これでも五輪を開くとしたら、IOCや日本政府はもう大量殺人者ではないか。
子どものようにただ願望だけでここまで突き進んできた政府だったが、すでにもう責任を取るべき時に来ている。オリンピックは止めよ。さもなければIOCも日本政府も大量殺人の確信犯である。