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掌編小説 夕風が通るカウンターで  文科系

2021年07月10日 12時12分43秒 | 文芸作品

 木目が透けて見える、薄灰色・半楕円形の大きなカウンターが気に入ってなのだろうか、この頃思い出したように入る店だった。シートにへたばり込んだとき、五月の夕暮れの風に迎えられたように感じた。
〈南北の窓を吹き抜けてる、高台の風らしい。それにしても『風』に思い入れなんて、柄にもない。これも疲れすぎの症状なのだろう、横浜単身赴任も一年過ぎたし・・・〉後半は、半分つぶやいてもみながら、出されたおしぼりで顔をぐるぐる拭き回す。
「壜生ビールっ!」と告げて右の方に目をやったそのとき、〈ウンッ?!〉何か心が騒いだようだ。曲がったテーブル沿い三つばかりのシートを隔てたその先のカップルが、彼の注意をひいたのだ。首を数度コキッコキッとゆっくり回しながら、二人をうかがってみる。
〈女は二十代半ば、黒のちょっとスケスケっ! いい女じゃん。男は四十代中頃、俺よりちょっと若いか。おしゃれしてるけど、この女には似合わんな〉
 二人の会話は音楽会か何かのことで、それもかなり突っ込んだ話のようだ。女が、隙間ないという感じで男に張り付き、その肩やら背中やらに手を持って行く仕草も、えらく男の目に障った。
〈ちっくしょう、良いところ行く前なんかなあ。そういや俺は、三週間も家に帰れてないよ〉
「義理で抱いたことはない」と言い切れる、名古屋の妻の姿態がちらついてくる始末だった。急に手が伸び、薬を飲むような顔でコップを飲み干した。すると、自分ながらわけが分からなかったが、四つ先のシートのその男に身体を傾けて、話しかけていた。
「羨ましいことで・・・」
 二人が顔を見合わせたあと、男の方がこちらに微笑みを返しただけで、何も言わない。
「単身赴任の身には目に毒ですよ。今からもっともっと良い所へ行かれるんでしょ?」 

 とこんなやり取りが男二人の間でちょっと続いた時、女が携帯を取りだして何か番号を入れ、男の脇をつついてそれを差し出す。ちらっと画面を見た男が頷いて、通話を始めた。
「もしもし、母さん? いまテツコと飲んでる。横浜出張はこれがあるから良いんだよね・・・ピアノも学校でも家でもかなり情熱的にやってるみたいだよ・・・」
〈えっ、親子? それに、女は、音大生。か? 娘とオヤジで飲みに来るかぁ?〉
 この語尾を、もう一度つぶやくように繰り返していた。
 びっくりしたという以上に、どういうものか、自分の一部が否定されたような、ある苦さを感じていた。
〈娘が、オヤジと飲みに来るかぁ?〉もう一度繰り返していた。そして、自然なように父に手を触れていたさっきのイメージが浮かび、ふりかえって、あからさまに娘を見つめた。娘は、父の電話に合わせて微笑んだり、軽くうなづきかけたりしている。それを見つつ彼の頭に一瞬閃いたのは、こんなことだった。
「日頃とっても良い父さんしてるんだろうな。こういう人の仕事ぶりって、一体どういうもんなんだろう?」
 この父娘のイメージを軽く払うように、彼は、また苦い顔で一気にコップを飲み干した。

 

(1999年1月、同人誌に初出)

コメント (2)
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