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2014年の「ドンパス戦争」   文科系

2022年04月19日 07時20分42秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

   これまでのエントリーで、2014年ウクライナ・マイダン革命の暴力を焦点にしてこの戦争の淵源を観てきた。「地上から戦争を無くする」と言う立場の僕として、当然のことながらロシアの開戦を憎んでも余りあるものとしてのことである。

『(2013年末から14年初頭にかけての反政府運動において)2014年2月に突然、暴力革命の様相を帯びるに到り、ヤヌコビッチ(2010年の選挙でウクライナ南部、東部を基盤として選ばれた大統領)は国外逃亡に追い込まれます。その背後の事情は明らかではありませんが、整然たる市民運動のなかに過激な暴力を持ち込む極右勢力が紛れ込んだようであり、そのなかにはネオナチ的な人たちもいたようです。』(月刊誌「世界5月号」の塩川伸明東大名誉教授「ウクライナ侵攻の歴史文脈と政治理論」)』

  次いで、この塩川論文を一歩詳論した形の以下を紹介した。岩波新書「アメリカの制裁外交」(杉田弘毅元共同通信論説委員長、現在国際ジャーナリストの著作。2020年2月第一刷発行)から。
『 クリミア半島は帝政ロシア時代の19世紀から保養地として知られ、ロシア系住民が60%を占め、ウクライナ人は25%と少数派だった。黒海に突き出ている半島にはロシア黒海艦隊の基地があり、ロシア海軍が地中海に出る戦略的要衝である。
(中略)
 ウクライナでは2013年11月から親ロシアのビクトル・ヤヌコビッチ政権への激しい市民デモが起こり、翌14年2月には政権が崩壊。これを受けて親ロシア派の武装勢力がクリミア半島の議会や空港を占拠し現地の政治権力を奪取し、さらには半島全域で行われた住民投票で96・77%がロシアへの編入を支持し、欧米が猛反発する中、3月18日プーチンはクリミアの編入を宣言した。(中略)
 米ロ関係は冷戦時代に逆戻りしたと称されるほどのものだ。ロシアは主要8カ国会議(G8)からも追放された。もはやロシアは仲間ではない、という宣言だ』

 さて、以上で述べられた2014年ウクライナの「激しい市民デモ」とか、「ネオナチ的な人たち」の「過激な暴力」とかはどんな様相であったのか。月刊誌「世界」4月14日臨時増刊号の「未完の国民、コンテスタブルな国家」(松里公孝・東京大学大学院法学政治学教授)から紹介してみよう。このような歴史から、ドンパス二共和国とクリミア領有が問題になっているわけである。
 2月20日キエフの独立広場周辺で「スナイパー虐殺」事件が起こり、数十人が犠牲になった。「銃で人が殺されている、スナイパーを探し出せ」から起こったものだ。この時、キエフに上京していたヤヌコビッチ支持派がこの事件に恐怖を感じて8台のバスでクリミアに帰ろうとした途中、暴力事件が起こった。マイダン活動家(右派民族主義者)にバスを止められて数時間にわたる暴行を受けたのである。これらに連動して、クリミア議会で、またオデッサの労働組合会館放火事件で、多くの死者が出る襲撃事件が起こった。この論文末尾にはこんな文章もあった。

『特徴的なのは(右翼)革命派が、これら暴力事件を携帯電話で録画し、自らソーシャルメディアに盛んに公開したことである。これは常識ある市民を恐怖のどん底に突き落とした。ユーロマイダン革命中は、凄惨な死体の録画がユーチューブ上に溢れていた。(中略)残虐シーンのソーシャルメディア上での公開は、ドンパス戦争から今日に到るまで変わっていない。(中略)ドンパス戦争による人民共和国側の民間人死者が約2600名に達していること、戦争犯罪を命令または執行したウクライナ軍人ほかの名が現時点で85名特定され、400以上の刑事事件がすでに立件されている』

 なお、この筆者・松里公孝は、「露ウ戦争」の歴史的構造的背景を3つあげている。「ソ連解体の後始末」、「(アメリカ)一極世界の終焉」、そして「今回の戦争の遠因は、2014年のユーロマイダン革命である」というものだった。

コメント (1)
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