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ウクライナ、2013,4年の暴力革命と内戦状態   文科系

2022年04月14日 00時10分06秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

   ロシアのウクライナ侵攻に日本マスコミが燃え上がっている。ちょうどイラク戦争前に大量破壊兵器に、戦争が起こってからはアメリカ軍動向だけに、日本マスコミが燃え上がっていたように。ただし、このイラク戦争報道では「(「侵攻側による」)ブチャの大量殺人」のようなニュースはほとんど知らされなかった。後にウィキリークスがすっぱ抜いた「アメリカ軍ヘリコプターからのイラク一般市民への機銃掃射(をそのヘリコプター内部から映した映像)」のような被害者側残酷記事は皆無だったと記憶する。そう、戦争が一旦起こったら、何でもありなのである。人が、仲間を殺された相手に対しては鬼にもなるのだし、そもそも特殊スナイパーなど重要任務を帯びた兵士が一般市民の中に隠れて動くなども普通のことだろうから。
 だから戦争はいけない。ただし、ロシアのウクライナ侵攻が憎んでも余りあるものであるのは、イラク戦争がそうであったのと同じでなければならない。だからこそ、イラク戦争の原因「嘘の大量破壊兵器」と同じように、今のこの戦争までの経過、原因を知りたい。このウクライナ戦争も外っておけば、「戦争はなくならない」「だから国防力が必要なのだ」「戦争力は戦争抑止力である」などなどの感性、観念を社会に浸透させていくのが必然と思われるから。もっとも、嘘の理由を人々が焚き付けられて戦争が起こる、などは絶対にあってはならないことであろうが。

 一体、ウクライナ戦争経過にも、あそこで止まれていれば、・・・という時点がどこかになかったのだろうか? もう一度、ウクライナを、特に深刻だったその東部紛争の歴史をより深く振り返ってみよう。
 
 12日エントリーの初めに2014年のウクライナ・マイダン革命についてこういう文章を紹介したが、今回は以下のその文章内容をもう一歩突っ込んだ当時の状況報告を紹介、詳論したい。先ず12日のエントリーから。

『(2013年末から14年初頭にかけての反政府運動において)2014年2月に突然、暴力革命の様相を帯びるに到り、ヤヌコビッチ(2010年の選挙でウクライナ南部、東部を基盤として選ばれた大統領)は国外逃亡に追い込まれます。その背後の事情は明らかではありませんが、整然たる市民運動のなかに過激な暴力を持ち込む極右勢力が紛れ込んだようであり、そのなかにはネオナチ的な人たちもいたようです。このような「マイダン運動」の暴力革命化は、ロシア語系住民の多いクリミアやドンパス二州の住民を刺激し、前者のロシアへの移行、後者における「人民共和国」樹立を引き起こしました。これは国家秩序の非立憲的な変更であり、諸外国から強く非難されました。もっとも、当事者たちからすれば、その前にキエフで非立憲的な暴力革命があったということが正当化根拠とされるわけです』(塩川伸明東大名誉教授「ウクライナ侵攻の歴史文脈と政治理論」)』

 さて、まさにこの時の状況について岩波新書「アメリカの制裁外交」(杉田弘毅元共同通信論説委員長、現在国際ジャーナリストの著作。2020年2月第一刷発行)が、詳しい状況報告をしている。ちなみに、以下のこの事件によってこそ、G8がG7になったのである。つまり、ロシアがここから追放された。

『(2014年のロシアによる)クリミア併合とその後の(ロシアへの)制裁は、ロシアと米国の関係を決定的に悪化させ、中ロを接近させた。その結果、北方領土返還の道筋も見えなくなった。地政学的に大きなインパクトを持つ対ロシア制裁とはどんなものなのだろうか。
 クリミア半島は帝政ロシア時代の19世紀から保養地として知られ、ロシア系住民が60%を占め、ウクライナ人は25%と少数派だった。黒海に突き出ている半島にはロシア黒海艦隊の基地があり、ロシア海軍が地中海に出る戦略的要衝である。
(中略)
 ウクライナでは2013年11月から親ロシアのビクトル・ヤヌコビッチ政権への激しい市民デモが起こり、翌14年2月には政権が崩壊。これを受けて親ロシア派の武装勢力がクリミア半島の議会や空港を占拠し現地の政治権力を奪取し、さらには半島全域で行われた住民投票で96・77%がロシアへの編入を支持し、欧米が猛反発する中、3月18日プーチンはクリミアの編入を宣言した。
 軍事力を使った領土の獲得という暴力的な国際行為をしばらく世界は見たことがなかった。思い出すのは、1990年にサダム・フセインのイラクによる油田国クウェートの武力併合だが、この時は1年もたたずに米国率いる多国籍軍がウゥエートを開放した。
 クリミアはしかし、米国が重視するような豊富な石油埋蔵を誇る地域でもない。米大統領のオバマは最初から軍事力行使の選択肢を放棄し、制裁以外に手はないと宣言していた。こうして冷戦後もっとも激しい対ロ制裁を科すことになった。米ロ関係は冷戦時代に逆戻りしたと称されるほどのものだ。ロシアは主要8カ国会議(G8)からも追放された。もはやロシアは仲間ではない、という宣言だ』

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