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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

日本社会のひずみが、子供の世界まで ‥‥千里眼‥‥

2007年02月19日 21時12分34秒 | Weblog
 2月15日の中日新聞夕刊に、子供についての3つの記事が同時に掲載された。その記事の見出しを、そのまま書いたうえで、その内容を紹介したい。

1.「いじめ事件 4年連続増 - 中学生補導目立つ」「悩める子 癒されず」
 昨年1年間に全国の警察が摘発・補導した「いじめ」にからむ事件は、全年比41. 2%増の233件で、4年連続の増加であった。社会の注目を集めて事件が顕在化して数値が増えた側面はあるものの、表面化した事件はごく一部に過ぎず、実際には、これよりはるかに多いのではないか。と記事は指摘している。

2.「『孤独』日本が突出 先進国中」
 ユニセフが14日に発表した青少年の意識調査である。子供が「孤独」を感じている割合は、日本が突出して高かかった。15歳の少年・少女が孤独感を抱いているのは、日本が19.8%と平均の7.4%を大きく上回っている。疎外感を受けているものも18.1%と、これも世界最高である。これはOECD(国際協力開発機構)が加盟国25カ国の調査結果である。最も幸せと判定されたのは、オランダ、デンマーク、スウェーデンと北欧諸国が続いている。

3.「児童虐待 最多297件摘発」 
       「昨年死亡21人増え59人に」
 昨年1年間に警察が摘発した児童虐待事件は、前年比33.8%増の297件で、統計を取りだした1999年以降で最多となった。死亡した児童も前年より21人増えて59人に達した。
 虐待の内容別に見ると、暴行を加える「身体的虐待」が67.0%、「性的虐待」が25.3%、食事を与えないなどの「怠慢または拒否」が7.7%であった。
 罪種別では、「殺人」が前年の2倍の48件、「強制わいせつ」が前年の3.7倍の26件、保護責任遺棄は前年の2.9倍の20件と、増加がめだっている。殺人と認定されていないものも加えると、児童が死亡した事件は53件で59人にも、のぼる。

* こうした子供の置かれている状況に、私は心の痛みを感じる。日本社会のひずみの表現としか思えないのだ。「いじめ」の問題を教育問題に矮小化して捉えてはいけないと、私は一貫して思ってきた。相当前に、フィンランドの社会福祉の状況を投稿したのも、その視点からの問題提起だったのだ。

*大人が、将来に対する不安を感じ、現状に幸せを感じることができず不安におちいっている、政治に対しても不満を抱いている。そして絶えずストレスに悩まされている。こうした層が相当数を占める日本の状況のなかでは、子供がまともに育つはずはない。
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フィンランドの教育改革 ‥‥千里眼‥‥

2007年02月19日 08時57分37秒 | Weblog
 僅か29歳で文部大臣に就任したオリベッカ・ヘイノネン氏は、深刻な経済危機のなかで、思い切ったフィンランドの教育改革を実施した。その一定の成功が、学習到達度世界一のフィンランドの教育という形で結実したのだ。
 世界経済フォーラムが毎年調査している世界競争力調査では、2001年から2004年、連続世界一位をフィンランドが占めている。05年は2位だが、06年に再び1位を回復した。この世界経済フォーラムは、公的機関ではないが、世界的に最も信頼されている調査だそうだ。
 これを支えたのが、教育のレベルだとオリベッカ氏は言う。IT産業を飛躍的に発展させ、雇用を拡大することができたのは、この教育改革の成功によるものだと彼は言う。

 NHK・BSでフィンランドの教育改革についての特集番組が、先日放送された。東京大学教育学部教授佐藤学氏の質問に対する当時の文部大臣オリベッカ・ヘイノネン氏の回答をメインに、それに関連する養育現場の映像を交えて構成されていた。
 日本の教育に対して、私がこうあって欲しいと思う内容が、フィンランドではそのまま実現していることに驚嘆すると同時に、さすがフィンランドという感想を抱いたのだ。そのフィンランドの教育改革の内容を整理して、ここで紹介したいと思う。

 ソ連邦の崩壊によって、フィンランドとの友好条約は無効と化し、フィンランドにとって有利なソ連との貿易は失われた。そのためにフィンランドは失業者が20%を超えるという深刻な経済危機に襲われた。そのさなかに、僅か29歳という若さで文部大臣に就任したオリベッカ氏は、思い切った教育改革に乗り出した。その教育改革は成功したと評価できよう。OECD(国連経済開発)の学習度到達調査(3年おきに実施される)で、ここ2回連続世界1位になっているのだ。

*教育機会の平等。
 これが最も大切な原則であり、教育改革すべての前提であると彼は言う。ヘルシンキであろうが、北部の辺境地帯であろうが、同質の教育をおこなうことが必要である。その基盤があって始めて、世界の頂点に立てる高い水準の人材を育成することが可能になると彼は言っていたのだ。
  
*教育では、中央が管理しコントロールする必要はない。
 教育には自由が欠かせない。コントロールすれば、現場の自発的意欲を削ぐことに繋がる。重要なのは、現場の意欲・モチベーションなのだ。教育現場を知り抜いている現場にまかせるべきである。として、文部省が統括していた諸権限(教材選択、指導内容、指導方法、授業時間など細かに統括していた)を、教育現場へ任せることにした。今では文部省の役割は、施設などの教育条件の整備と、おおまかな到達度目標の設定のみになっている。各学校に多くの事柄がまかされ、自主的に討議して決められていく。教材・教科書(検定は行われていない)の選定や教科の時間配当・カリキュラムの構成は教育現場にまかされている。そのかわりに、各学校の自己評価が法律で義務付けられている。しかも、それは親や市民に公開されている。日本のように、管理のための報告とは質的に異なるのだ。親と市民の支持のもとに教育がおこなわれるのだ。
 教育の本質にかかわる最も重要な原則がこれであると私は思っている。この原則に反する日本の文部省が、日本の教育をどれほど歪めてきたことか。
 
*モットーとして「一人のおちこぼれも作らない」
学級の生徒数は教育現場と地方自治体の話し合いで決めることができる。小学校では1学級20人が普通である。教育現場の要望によって、それよりはるかに少数のクラスを設置することも多い。もし、正規の授業についていけない場合には授業後に補習をおこなう。これは担任の仕事ではなく、専門の補習担当教員が配置されている。
 子供は一人一人異なっている。学習意欲のありかたも異なっているし、理解のスピードも異なっている。その子供に柔軟に対応していく必要があるのだ。

*考える力・学ぶ力、読解力を重視する。
 現代の社会は未来の予測ができない社会なのだ。変化の激しい社会なのだ。それに対応していく能力を育てるには、考える力が重要なのだ。在学中も卒業してからも学ぶという意欲を持つことか必要なのだ。

*情報読解力を重視する。
 この改革のなかで、すべての学校にパソコンを十分に配置したそうだ。だが、情報処理という科目をフィンランドは置いていない。すべての教科で活用できるよう、ネットワークを作って支援しているそうである。情報読解力と彼は表現していたが、おそらく情報をより分ける力、その情報を読み取り理解する力、情報を利用する力を重視しているのだろう。
  
*教師のおかれている状況
 クラブ活動は教員の任務ではなく、別の専門家が担当する。補習については前記のとおりである。こうして、教員の教材研究の時間を保証しているのである。さらに教員の研修・学習の機会と時間を十分に保証している。日本と異なり、教員の抱える雑務は日本に較べて極端に少ないことは想像できる。教育委員会・文部省への各種報告書の作成はないし、給食費等の集金業務は一切ないのだ。

*教育費はすべて国が負担する。
 義務教育から大学にいたるまで授業料は公費負担である。それどころか、義務教育の教材費、筆記具費、給食費も公費負担である。大学の場合、親元から離れて通学する場合には、生活費の一部も国が負担している。
  
*これほど手厚い教育を日本の1.6倍の教育費でまかなっている。
 国民所得に対する教育費公費負担の割合は、日本の1.6倍にすぎない。この程度で、どのようにしてこれほどの教育が実施できるのか、私には理解てきない、こうした統計では、教育費の中にどういう費目が含まれているのかが、国によって異なっているので、単純な比較はできないが。
 教育費ではなく別費目におそらく計上されているであろう教育関連行政官(国・地方自治体の)の人件費は、フィンランドの場合は日本に較べて極端に少ないことは容易に想像できる。それを加味すると、1.6倍どころか、それをもっと下回っているであろう。

 膨大な放送の内容を整理するのは、きわめて難しかった。不十分な整理に終わったことは、私自身が十分に自覚している。でも、ある程度、フィンランドが目指している教育とはどのようなものかは、掴んでいただけるのではないかと思う。経済危機のなかで、これほど教育に力を入れるフィンランドという国のありかた、さらに、この教育改革を受け入れるだけの土壌がフィンランド国民にはあることに、私は深い感慨を覚える。

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バクダッドの悪夢        まもる

2007年02月18日 22時47分50秒 | Weblog
 バグダッドに住む人々の生活ぶりを伝えるものに8月に出た『バグダッド・バーニング2 いま、イラクを生きる』(アートン刊)がある。著者はイラク女性だが、実名ではなく、「リバーベンド」というインターネット上のブログ名で出ている。今回出たのは第2集で、2004年6月から今年6月までのブログを集めている。
 今年2月11日のブログでは、「襲撃」と題して、いとこの誕生パーティーでおばの家に招かれた時に、夜、治安部隊の家宅捜索を受けた経験を次のように書いている。

 「突然、2人の男が居間に入ってきた。私たちは全員おばのそばのソファに座っていた。いとこのBは目覚めていて、恐怖に目を見開いていた。男たちは大きな軍用懐中電灯を持っていた。一人が私たちにカラシニコフ銃を向け、『お前らのほかに誰かここにいるのか?』と、おばに吠えた。『いいえ、私たちのほかには外であなたたちと一緒にいる夫だけです、家を調べてみればいいわ』。T(別のいとこ)が、どぎつく輝く軍用懐中電灯の光を遮ろうと手を挙げた。が、男の一人が怒鳴りつけたので、その手は弱々しく膝の上に落ちた。私はまぶしい光に目を細めたが、目が慣れてくると、彼らが覆面をして目と口だけを出していることが分かった。いとこたちをちらりと見て、Tがほとんど息をしていないのに気づいた」

 この時の治安部隊の作戦で、おばの地区だけからでも、19歳から40歳までの男たちが、少なくとも12人連行されたという。ほとんどはスンニ派住民だった。別の場所で治安部隊に連れ去られた住民の家族は「彼らが死体で発見されることを予測して、日に何度も死体保管所を訪れている」という。リバーベンドは別のところで、家族を求めて、死体保管所に集まる人々の表情を書いている。

 ブッシュ大統領は米同時多発テロから5年の今年9月11日のテレビ演説で、「サダム・フセインが権力の座からいなくなって、世界はより安全になった」と述べたが、イラクにとっては全く逆だ。米国を襲った暴力は、米国の戦争によってイラクに移植され、さらに地域の矛盾を吸収し、人々の憎しみを食う怪物のように増殖している。ブッシュ大統領がいくら戦争を正当化しようとも、さらに安倍首相が「武力行使を支持したのは正しかった」と国会答弁しようとも、世界がとんでもない暴力を抱え込んでしまったことは否定できない。

   asahicom 川上泰徳記者      


 
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朝日新聞に見る日本の歩み その1 「米機動部隊が本土初来襲」‥千里眼

2007年02月18日 18時02分32秒 | Weblog
 蔵書を古本屋に売るために、ダンボール詰をやっているとき、大正元年から昭和47年までの朝日新聞縮刷版を持っているのに気づいた。このブログの投稿に利用しようと思って、売却することをあきらめた。
 この縮刷版のなかから面白そうな記事、同じ月日の記事などをアトランダムに選んで連載していこうと思っている。その第一弾がこれである。

 昭和20年2月17日
 
   「敵有力機動部隊近海に出現」
     「関東、静岡各飛行場を艦載機波状攻撃」
     「延べ千機以上で来襲 硫黄島に上陸を企図か」

 東京の初空襲は昭和17年年4月18日のことであった。航空母艦に搭載された陸軍の軽量化した戦略爆撃機B25が東京などを爆撃し、そのまま中国大陸まで飛び着陸したのだ。サイパン陥落後、その空港から飛来したB29によるいわゆる「東京大空襲」が、昭和20年の3月10日と5月25日にあったが、この艦載機による空襲は2月17日のことであった。
  
 記事の一部を引用する。「敵機動部隊はまだ本土近海を遊弋中であり17日も引続きその来襲がある事を覚悟しなければならぬ。敵は一部に宣伝ビラを散布した。その内容は勿論取るに足らぬ荒唐無稽なものであるが、戦局の進展と共に今後も電波などによって各種の宣伝戦を活発に挑んで来る。‥‥この種宣伝ビラを拾った者は必ず警察の係官に届けられたし」
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ブッシュのイラク増派の行く末は その2  ‥‥千里眼‥‥

2007年02月18日 13時31分50秒 | Weblog
 アメリカ軍増派直後、新統一司令部を設置し、アメリカ軍とイラク治安部隊・イラク警察を統合的に運用できる体制を整え、大規模掃蕩作戦を展開してきた。
 ところが、増派以前に較べてテロ(一般的にはそう表現されているのでそれに従うが、私はこの表現には異議がある)は逆に激化してきている。大きな事件だけを取り上げても、以下に見るとおりである。1月24日からバグダッド市内での大規模な掃蕩作戦が行われているが、日本ではその状況の報道はなされていない。

・中部カルバラ地区では、1月20日米兵5人襲われ、1人死亡、4人拉致されその後殺害。武装集団は米軍服を着て米兵身分証明書(おそらく模造品)を持ち、2箇所の検問を通過、州庁舎内に入り込み、実行におよんだのだ。この日だけで、26人の米兵が死亡。

・1月28日、バグダード西部のスンニ派の住むアディル地区で、女子高に迫撃砲が打ち込まれ、生徒5人死亡、約20人負傷。同日、サドルシティーのシーア派地区では、爆発で13人死亡。同じく同日、北部キルクーク地区では、自動車爆弾でクルド人16人死亡。

・イラク内務省発表では1月の死者数は1971人。実際の死者数はこれを上回るだろう。

・2月1日には中部ヒッラ地区で、連続自爆テロにより61人死亡。この日だけで、合わせて1日だけで計81人死亡。同日のアメリカ軍・イラク軍の掃蕩作戦では、シーア派の聖地ナジャフ近郊で、武装勢力を約250人殺害。おそらくこれはシーア派のサドル派の民兵であろう。

・2月3日、バグダッド市内のシーア派居住区のサドリア地区でのトラックの自爆テロで、135人死亡、300人以上負傷。一回の爆発の犠牲者としては、イラク開戦後、最悪の死傷者数となった。

・2月4日 バグダッドのイスラム教スンニ派居住のアダミヤ地区複数の迫撃砲が打ち込まれ、15人死亡 50人以上負傷。

・2月5日、バグダッド市内で2台の自動車爆弾で18人死亡、100人負傷。

・2月12日、バグダッド中心部のシーア派の多いショルジャン市場での3台の自動車爆弾テロで79人死亡、165人負傷。さらに1キロ離れた別の市場でも爆弾の爆発で9人死亡し21人が負傷。

 上記以外にも、連日爆弾テロが起こっている。アメリカ軍の増派で、本当にこの悲惨な状況をしずめることができるのだろうか。今のところは逆に激化しているとしか思えない。
 アメリカ軍の掃蕩作戦では、必ず無関係の市民がまきこまれ殺される。イラク人のなかにアメリカに対する憎悪を拡大・増幅していくことであろう。これが、アメリカ軍に対する爆弾テロの温床を拡大していくことになる。

 スンニ派の抵抗勢力・武装勢力は、一つにまとまった組織を作っているとは思えない。小さな組織がそれぞれ、ばらぱらに活動しているとしか思えない。それに較べるとサドル派の民兵組織はまだまとまっているようだ。が、これとて爆弾テロをおこなっている者たちは、やはり統一指導のもとに組織的に行動しているようには見えない。それだけに、掃蕩も困難をきわめるであろう。

 ブッシュは今回の増派で、治安を回復し、イラク政権に治安の権限を以上して、自分の任期中に、アメリカ軍撤退の条件を作るつもりであろうが、それはブッシュの楽観的な願望にすぎない。私はできないと思っている。ある程度表面的には、治安回復に成功したかのような状況を作ることは、ひょっとすると作れるかもしれない。それとて、シーア派とスンニ派の内紛はアメリカ軍の撤退後に再燃するに違いない。憎悪の連鎖はいまや鎮めることができないほど強くなっているのだ。さらに世界にテロを広げていく基盤をブッシュは作ったのだ。

 治安回復のための協力を他国に頼めないブッシュとしては、あれほど無視をし馬鹿にしていた国連に頼る以外には、道はないのだと思う。おそらく、史上最低の大統領という汚名をつけられて任期を終えることになろう。そして、アメリカの中東に対する影響力はかってないほどに後退することになろう。おそらくブッシュ後には民主党の政権が成立するであろう。その有力候補者は皆イラクからの早期撤兵を主張しているが、イラクの混乱を収拾するアメリカの責任をどう果たすのであろか。ブッシュが悪いのだではすまされる問題ではないのだ。

 
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小説「歩く」後編  文科系

2007年02月17日 17時00分17秒 | 文芸作品
 同じ日二十時過ぎ、森本に、定例コースを終えて部屋に入っていく二人を開け放たれたドアの外やや遠くから見る機会が訪れた。森本はその場で仕事らしきものを見つけて座り込み、さりげない観察を始める。
 律子がまずベッドの端に座る。次いで雅実がその前に立ち自分の両手をつかませて、例の「キヲツケ」をやらせている。そのうちの何回かは、立った時の律子の右膝を雅実が右手で伸ばす。「きゅっと真っ直ぐ!」、いちいちそんな言葉が森本にも届いて来る。
 起立の後は、伝い歩きによるトイレ行、入れ歯を外してのうがい、パジャマへの着替えへと続いた。雅実はほとんど手を出さずに、ただ見つめている。森本も改めてあきれるほどに一つ一つの行為がゆっくりで、延々と続いてゆく。トイレなどは中でうたた寝でもしているのではないかと、いぶかられるほどの長さだ。
 そして着替えは、まず腕を袖に通した上着の前で指が何度も何度も行き来している。ボタンの掛け違えなどで律子自身が困ってしまった経験が、後遺症となって残っているようだ。近視力がおぼつかなく、ボタン掛けを指の触覚に頼らねばならぬことの結果らしい。やせ細って、かさかさで、右手に麻痺があるはずの指では、この触覚頼りも随分心許ないだろう、そう森本は見て取った。
 次に、パジャマのズボンの方がまた、大仕事である。脱ぐのとはくのとで二回、座ったベッドから柵を杖にして立ち上がらねばならない。はくときで言えば、座ったまま両脚をそれに通して、それからおもむろに立ち上がり、両手を交互に使ってゴムの部分を腰上までたくし上げていくというやり方だ。その間、残りの片手を震わせながら突っ張って、直立姿勢を支え続けねばならぬというわけである。こういった悪戦苦闘の着替えが結局、正味二十五分も続いたろうか。
 ゆったり座ってこれら全てを見つめていた雅実が、着替えが終わった瞬間に拍手を贈る。褒めていると言うよりも、できたことを喜んでいるという様子だ。律子は大きく肩を下ろして、ニソッとした笑いを返して見せた。
 〈ほんとに、残った自立の力を大切にしようというやり方だ。僕らのような仕事の流れでの付き合いなら、とてもここまでは待てないね。そうしてみると毎日の『回廊一周』は、こういう自立の力を維持していく一番の基礎になると、十分知ってやってたんだよ。たしかに、これができる間は寝たきりにもならないし。それにしても律子さん、なんであんなに頑張れるんだろう。このエネルギーも、息子さんのあの気長さも、二人ながらこんな家族はちょっと見たことがないなぁ〉
 森本は、初めて意識して観察したこの結果に、ゆっくりと幾度かうなづいていた。しかしすぐ後に、彼の肝腎の疑問はこう続いていく。
 〈それにしても、自立を大切にするにしても、それが、あの熱心さの訳ということじゃないでしょう?看る側か看られる側かどっちかが諦めちゃう場合だってあるはずだし?〉
 雅実が帰る素振りを見せた。ベッドに横向きに寝ていた律子が、不自由な右手をひらひらさせながら差し出し、いっぱいの笑顔を贈る。感謝のしるしのようだ。すると、雅実がその手を握り返して、握手となった。最近の帰りの儀式らしい。以前の『さよなら』の儀式は、律子が壁に沿って伝い歩きで部屋の外まで出て、そこで雅実がエレベーターまで歩くのを見送り、手を振って別れ合うというものだったはずだ。彼女は来訪者全てに、そうしていたものだ。
 

 森本が次に佐伯親子を観察するチャンスは、その数日後にやって来た。その日勤務が終わった十九時頃、二人が屋上にいると同僚に聞いて、行ってみることにした。親子がそこでこの頃よく何か「パーティー」をやっているらしいと小耳にはさんだからである。
 屋上エレベータールームの物陰で初めに目に入ってきた光景はこんなものだった。
 夕日が真西にあり二人が東のベンチに座っているとしたら、森本の位置はさしづめ南西というところだろう。既に幾分暗くなった朱一色の光景の中の二十メートルほど先に、遮る物なく親子が見えた。ハーモニカの音が響いている。雅実が吹いているのだ。風が遠い西の山脈から運ばれて来て、律子の細い白髪を絶えずふるわせている。外は意外に涼しいらしい。小さな木製のテーブルには、飲み物の缶がのっている。一本はビールのようで、その脇にあるのはピーナッツだろうか。
 ハーモニカの曲名は覚えていないが、旋律は森本にも確かに聞き覚えがある。それも、学校の音楽の授業で習ったものだ。吹奏二回目に入ったところで、森本は一番の歌詞を口ずさんでみた。律子が目をつぶり曲に合わせてアゴを出し入れしているのが見える、その動きに合わせながら。
 ”いくとせ故郷 来てみれば
咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
 門辺の小川のささやきも
 慣れにし昔に変わらねど
 荒れたる我が家に
 住む人 絶えてなく”
 (作者注 イギリスの歌。日本曲名は「故郷の廃家」。犬童球渓作詞)
 曲が終わって、目を開けた律子が雅実にほほ笑む。職員に人気のある、人の警戒心が解けていくようなあの「可愛い笑い顔」である。いや、あれよりもくつろいだ、小さなほほ笑みと言うべきだろう。それから、雅実がビールらしきものを飲むと、律子が真似をするように缶をゆっくりとあおる。雅実がピーナッツを口に放り込むと、律子もそれをつまんで口に運ぶ。また、西の方から風が来たらしく、二人の髪が揺れ、細められた視線が風上に向けられる。今日二人はもう幾度夕日を見つめたのだろうか。
 〈今の律子さんには、日々の楽しみの全てが雅実さんなんだ。彼の来訪自身が、凄く大きい楽しみというだけじゃなくて〉
 森本が、様々な律子の言動の記憶をたどりつつ、見つけた感じをふっと表してみた言葉である。一人では歩けない。字も読めない。テレビ番組も、言葉が速すぎてまず分かりはしないだろう。他人との交歓でさえ普通のやり方ではおよそ不可能で、彼女はもうほとんど諦めかけているようだ。そんな律子にも、こういう楽しみがあった。
 夕風、夕日、飲み物、ハーモニカ、そして、これら全てを彼女とともにする雅実。今、森本には、目の前の二人のこれまでがほとんど解きほぐされて来るような気がしていた。

 「生きていてくれるだけでよい」とは、ここでもよく聞く言葉である。しかしその気持ちがこういう相手にきちんと伝わるには、大変な行為の積み重ねが必要とされよう。これだけの弱者は嫌でもひねくれてしまうのが普通ではないか。「こんなじゃ、生きていても仕方ないねぇ」、よく呟かれる言葉だ。けれども、周囲の他人が無意識にせよこの言葉を真に受けた体で現に振る舞うとしたら、それはもう論外というものではないだろうか。本人が意志を持ってここまで生き続けてきたという事実が眼前にあるのだから。
 こんな言葉や、それらへの日頃の疑問、抵抗を改めて反芻してみながら、森本は目の前にある夕焼けの中へゆっくりと歩き出していった。
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なぜ自衛隊はイラクにいるのか? 天木ブログより

2007年02月16日 22時32分05秒 | Weblog
・・・米軍の機関紙「スターズ・アンド・ストライプ」によると、三沢の米空軍基地に駐屯する200人以上の米戦闘機F14の分隊がイラクへ向かった。33歳のヒュータス軍曹は「あなたが歴史の一部に参加していないとしても、ちょうど目にしているのだ」と語った・・・米国人にとって歴史とは戦争の話なのだ。この論理では、戦争に従軍しなければ歴史に参加していないことになる。

 ブッシュ大統領はハノイで開かれたアジア太平洋経済協力会議(昨年11月に開催された首脳会議)に出席した。「ベトナム戦争から何を学んだのか」と記者から尋ねられると、大統領は「あきらめないことだ」と簡単な答えを口にした。大統領はベトナム戦争の敗因を「あきらめたこと」と考えているようだ・・・

 彼ら(ヒュータス軍曹やブッシュ大統領)は、米国から遠く離れた土地で常に戦争を続けるべきだと信じている。「あちら」(国外)で戦わなければ、敵が「こちら」(米国)へやって来る。これは第二次大戦や冷戦中の論理である。これらの戦いが相当前に終わっているのに、論理は生き続けているのだ・・・

 ブッシュ大統領がイラクでの戦争に敗れかけているのは明白だ。世論調査と昨年11月の中間選挙は米国民が「あきらめた」ことをはっきり示している。そのような時に、自衛隊の輸送機は、米軍の地上部隊を支援するためイラクの空を飛び、自衛隊の艦船がイラク近海の米軍を助けている。イラクでの戦争は日本の防衛に何の関係もないはずなのに。

 ブッシュ大統領がなぜイラク戦争を始めたのかは理解できるつもりだ。しかし、日本の指導者の行動はどのように説明できるのだろうか。遠い地域へ戦闘部隊を送り続けている日本の指導者の熱心さを、どう解釈すべきなのだろうか・・・

                 
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小説 「歩く」前編  文科系

2007年02月15日 17時45分06秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 二台並んだエレベーターの出入り口外が、そのままホールになっている。このフロアー入所者全員の倍も座ることができるほどのリビングダイニングのホールで、四方の廊下や小部屋の機能までを取り込んだような広々とした空間である。ベージュや薄いクリームなど明るい茶系統でまとめられ、壁や天井なども直線や角を消して曲線、曲面を多用している。安らぎをコンセプトとしたとでもいうような、柔らかさに徹した設計のようだ。そして、一つ一つの椅子上面と背もたれに張ってある布の緑をこの空間全体のアクセントとして設計しているらしく、これは「入所者が主人公です」という主張ではないか。この広く、明るく、ソフトで、優しい空間の緑の上に身をのせて、今、数十人の老人たちが夕食をとっている。
 〈いつも思うけど、こんなに多くの人たちの言うならば『会食』が、なんと静かなこと。動作がゆっくりで、おしゃべりをしないからだ〉
 改めてこの空間全体を見回しながら森本次郎はつぶやいた。老人集団の端っこの椅子から、背もたれの上に両腕とアゴをのせたスタイルで、前後逆さに腰掛けた待機姿勢をとって。
 老人保健施設M、6月中旬十八時の光景である。発足一年ほどのMの職員森本は、この静けさに未だに慣れることができない。ちなみにいつも思い浮かぶことだが、〈子どもがこれだけいたら、収拾もつかないよなぁ〉。彼は、Mと同系列の養護施設から、介護士の資格を取ってここへ志願デューダしてきたのだ。年齢三八歳、二児の父親である。

 その時、同じ広間の一角から、巨大なテレビジョンがことさら大きな声を張り上げたように聞こえた。入所者数人が、頭をゆっくりとそちらに向けるのが、森本の目にはっきりと見える。
 「僕は人というものを殺してみたかった。若い未来のある人はいけないと思ったけど、表札の名前を見て、年寄りらしいと分かったので」
 つい最近この県内で起こった主婦刺殺事件の分析報道で、容疑者の高校生が動機に関わって話したものらしい。母親がいない彼は祖父母と同居の四人家族だが、彼らがいつもこんなふうにこの子を育ててきたのだろうか。「私らはもうどうでも良いけど、お前はかけがえのない跡継ぎなんだよ」などと。この祖父はもと教師、父も教師らしい。人間を機能としてだけ見ている。ありそうなことだ。こんな想像が森本の頭をかすめる。
 〈たしかに日本の老人たちはみんな自己主張が苦手で、とても我慢強い。『預けっぱなし』の『老健施設タライ回し』がいっぱいで、それが常識だとベテラン職員は言うけど、それにしても『終わり良ければ全て良し』と言うじゃないか!死ぬときがその人の人生の結果なんだと。そのころにこれだけ邪魔者扱いされているような今のお年寄りは、その人生をどう決算したら良いんだろう!〉

 森本は、目の前の老人一人一人を改めて見つめてみた。アゴを突きだし、いつも目をつぶったままゆっくりと噛み締める、体も顔もまん丸の加藤さん。職員に食べさせてもらわないとまったく進まないこともある、赤いほっぺたが可愛い、小さな小さなカオルさん。そんな時の彼女は、なにか拗ねるようなことを抱えてでもいるのだろうか。大川さんがさっさと終えてしまって、両隣など周囲の器までを整理し始めているのはいつものことだ。
 〈戦争の中で大人になってきた人たちだ。その後はみんな、働いて働いてきた。学校では『お前らの命は鳥の羽毛よりも軽い』などと教えられて育ち、その子どもたちは今度は『地球よりも重い一人一人』なんて言われ始めたから、今の老人の自己主張下手は当たり前って、誰かが言ってたなぁ〉
 そういう人たちがある日突然倒れる。心臓病、あるいは脳溢血、いずれにしても自分にも周囲にも寝耳に水で訪れる病だ。ただただ呆然としているままに、しばらく病院にいて、歩く練習もそこそこにやがてここへ。一人歩きができない車椅子の老人が寝付いていくのは瞬く間である。その瞬く間に頬の肉、顔色、表情が失われ、生気は消えていき、老いが人間まる一人全てを破壊していく。この破壊は惨いもので、たまにしか訪れない家族は〈あれよあれよ〉と傍観するだけだ。いま森本にはそんな例ばかりが思い浮かぶのだが、何か眼が潤んでくるようだった。
 この頃疲れすぎて、ちょっと鬱病気味なのかも知れない。無理もない。全く面識もない、これまでの世界も年齢も違う急ごしらえの職員仲間が、二千年度の介護保険制度発足前にはと、志だけで突っ走ってきたような一年だったから。森本はしばらくの間目を閉じて、頭を空っぽにしようと努めてみた。


 ふっと頭に浮かんだことがあって開けた目を、森本は佐伯律子の席に向けた。今年間もなく九十歳になるという小さく痩せた律子は、曲がった背骨のせいで随分前屈みになって口を動かしている。水晶体代わりだという分厚い眼鏡で空中の一点を見つめるようにしながら。三年前の左脳内出血、その出血が脳室圧迫にまで進んで死にかけた人、発病時は寝たきり生活約四か月、右半身不随の後遺症、加えてさらに全失語症で読み書きはおろか話もほとんどできず、他人の話は少しは分かるという。ただし、痴呆は全くなく、意識は極めて正常。森本が調べた律子の病歴である。
 〈律子さんとこは『預けっ放し』とは違うけど、あれは律子さんが注文してるからかなぁ?〉
 今、こんな疑問を自分に出してみながら、森本は昨夜八時過ぎの出来事を思い浮かべた。
 その夜、夜勤の職員たちの一部で、ある会話が交わされていた。丁度その時、佐伯親子が、以前のように「回廊一周歩行」をしている真っ最中だったという、そのことについてである。ここ十日ほどの彼女は、職員が手を引いてももう歩くことができず、車椅子だけで移動するようになっていたので、話題になったらしい。
 律子が息子の雅実に右手を支えられてゆっくりとフロアーを歩く。右膝が曲がったままだし、背骨が右前への傾きをさらに強めているようだが、律子は歩いている。厚いレンズで前方を見つめ、左腕を大きく振って、皺の多い口許を心持ち引き締め、律子が歩いている。そして二人がリビングダイニングの広間にさしかかると、居合わせた入所者の幾人かからいつも声がかかるのだ。
 「おおっ、律子さんやっとるな! ええなぁ、がんばれよ!」
 「息子さん、えらいねぇ。ホントにありがとねぇ」
 励ましとは違ったこの種のお礼の声が、歩いている二人によくかけられるのであるが、森本はいまだにこれに慣れることができない。雅実が律子の手を引くことで、当然声の主も大切にされているというニュアンスなのである。
 この光景直後、事務室の会話はこんなふうに続いていった。
 「律子さん、休みなしで一周しちゃったよ。それに、なんか、歩き方が違ってた。一歩一歩が前より大きいし、なんで急に歩けるようになったんかなぁ?」
 「律子さんは、脚は強いよ。家族がしょっちゅう規律訓練してるし。歩けないのは、真っ直ぐ立つ姿勢の平衡感覚の問題なんだって、リハビリの先生が言ってた。息子さんがその訓練したんだよ、きっと」
 「確かにここんとこずっと『キヲツケ』とか言って、姿勢の練習ばっかりやってたわね。やっぱり家族の力があるとねぇ」

 森本は改めて、目の前の律子に視線を合わせ直した。
 確かに佐伯の家はここでは珍しい存在である。入所半年になる今でも、来訪者は週のほとんどの日にあり、毎週末の金曜夜か土曜日には雅実に連れられて自宅泊まりへと帰っていく。この毎週末「外泊」というのは、ここの発足以来他には例がないものだ。中心になって通ってくるのが息子の雅実、つまり男性だというのがまた珍しい。彼は、仕事を終えた夜七、八時に通って来て、門限の八時をかなり過ぎてから帰っていく。また、ずっと共働きを続けてきたと聞く妻など家族の来訪者はもちろん、律子の友人とおぼしき人の一部でさえが一定の決まったリハビリに律子を、導いていくというのも、職員がその成り立ちをいぶかるようなことだった。リハビリ室まで出かけて器具で両肩を回し、椅子やベッドの端っこに腰掛けた律子の両手をとって二十回ほどの規律訓練を行い、手をつなぎあって『回廊一周歩行』。最近はこういうコースが普通だった。
 〈『終わり良ければ全て良し』と言うなら、律子さんは『全て良し』かも知れない。そして、これは律子さんの人生の結果で、子どもさんたちにやってきたことのお返しなんだろうか、どんな人生だったんだろう?〉
 ここまで来て森本は、こういう問いが、律子という人物が、みずから選び直した職業の将来を左右するような重い疑問符になってきたようだと考え込んでいた。
 〈とにかく、事実を見てやろう。話を聞くのはそれからでよい〉
 心の中で呟いた、大きな決意だった。
     (後編へ続く)
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六カ国合意で日本は孤立しないか?    まもる

2007年02月14日 23時00分32秒 | Weblog
 東京新聞は、今回の合意について次の様に書いている。

「付きまとう孤立化懸念」 「作業部会で拉致進展狙う」
 【北京13日共同】政府は13日、今回の6カ国協議で日朝関係正常化に関する作業部会が設置される見通しになったのを受け、米国などにも協力を求め日本人拉致事件の進展に向けた糸口を探る方針だ。ただ、作業部会が開かれても北朝鮮側が譲歩する保証はない。北朝鮮の核放棄に向けた見返り支援が本格化すれば、拉致問題の進展を支援の条件とする日本への風当たりが強まる懸念も付きまとう。
 12日夕には日朝首席代表の会談が昨年4月以来10カ月ぶりに開かれたが、北朝鮮は日本人拉致事件について「解決済み」との従来の主張を繰り返したもようで、進展はみられなかった。
 6カ国協議では、北朝鮮の核放棄に向けたエネルギー支援が最大の焦点となり、米朝を軸に議長国・中国や支援に前向きな韓国が活発に2国間や多国間の協議を展開。日本は存在感を示せず、米国などからの「情報収集」(協議筋)に追われた。

※ この新聞報道(東京新聞より)によれば、拉致問題はほとんど問題にされず二国間の作業部会に丸投げされた。
 精力的に話し合われた核放棄の問題で日本は、存在感もなく米国からの情報収集に追われたとの事。
 拉致問題最優先の方針の中で、身動きがとりにくかったものと思われます。
 その上で朝鮮半島の非核化という日本にとって最優先にすべき課題の協議。   鈍い動きの日本の姿。 孤立化を深めていく様子は容易に想像できます。

 今後は、拉致問題と核問題の関係を整理し、情緒的な発想を抑えて、長期的な国民の安全といった基準を設定した外交に徹するべきではないでしょうか。

 安倍さんは、拉致問題を人気取り政策の目玉にした迎合外交をしたからたいへんですね。
 
     


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いまイラクで、何が起こっているか? (講演会案内です)

2007年02月13日 10時57分38秒 | Weblog
「いま イラクで何が起こっているのか?」というテーマの講演会を開きます。

 国民の知らぬ間に「戦争」に加担させられています。今日本が加担しているイラクで何が起きているのか?
 マスコミは真実を報道するとは限りません。
 報道されない「イラク」の本当の姿を知り、
 日本ですすめられている、戦争への加担の真実を学びませんか。
 あなたやご家族の生活や生命に関わることなのです。
  
 お忙しいでしょうが是非ご参加ください。

 とき・・・2月17日土曜日 午後6時半から8時半
 ばしょ・・昭和区生涯教育センター(桜山と御器所の中間くらいを二本東です)
 会費・・・三百円(資料代・会場費)
 お話し・・川口創さん (イラク派兵差し止め訴訟事務局長・弁護士)
 主催・・・昭和区九条の会 (問い合わせ052-731-2749舟橋)

 是非、参加ください。   
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今度は民主党も本気でやってください。  大垣ゆり子

2007年02月13日 08時20分53秒 | Weblog
 12日の日経にこんな記事が載っていました。是非、他の野党も協力して廃止法案を成立させて欲しいと思います。
 世論はきっと味方します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「民主がイラク特措法の廃止法案提出へ」

 民主党はイラクへの自衛隊派遣を可能にする「イラク復興支援特別措置法」の廃止法案を今国会に提出する方針を固めた。7月の参院選に向け、政府が目指す派遣延長の是非を「格差是正」などとともに国会論戦の主要な争点に位置づける。イラク戦争に関する久間章生防衛相や麻生太郎外相の米国批判も「閣内不一致」として追及、政府・与党との対決姿勢を鮮明に打ち出していく。

 イラク特措法は2003年8月に施行され、今年7月末までの4年間の時限立法。日本は陸上自衛隊の撤退後も航空自衛隊による輸送活動を継続している。安倍晋三首相は派遣延長について「イラクの復興の進展状況なども十分に勘案した上で、適切に判断する」としており、政府は期限を1―2年延長するための改正案を今国会に提出する方向で調整を進めている。

  
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「ブックマーク」の利用を。       管理者

2007年02月13日 01時30分54秒 | Weblog
 下記は、このブログに紹介している憲法関係のHPとブログです。
 護憲・改憲を問わず載っています。

 ページ右側の下の方トラックバックの次に「ブックマーク」という欄があり、クリックしていただけばそのサイトが開きます。
 是非利用していただきたいと思います。

 また、キャツチホンさんのように、良いサイトがありましたら紹介ください。
 護憲・改憲の立場は問いません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

①九条自由広場
    昭和区九条の会のブログです。
②「九条の会」オフィシャル
    九条の会中央の情報サイト
③あいち九条の会
④国会図書館の憲法制定関係資料
⑤憲法基本資料
⑥憲法改悪反対共同センター
   憲法関係の総合情報サイト
⑦憲法九条二項というブログ
⑧マガジン9条
⑨マスコミ九条の会
⑩平和の結集をめざす市民の風
   九条の会の力を具体的な政治の力としよう。平和共同候補の提案
⑪南京事件小さな資料集
⑫ゆうのページ
⑬恒久平和のために
⑭統合戦争辞典
⑮日本国憲法口コミ一覧
⑯戦争を語り継ごう
⑰不戦へのネットワーク
⑱新しい教科書を作る会のHP
⑲クッキーと紅茶
   南京事件・青狐氏のHP
⑳右翼討伐委員会
21 田村のホームページ
22 菊次郎のホームページ
23 川柳九条の会
24 半月城通信

 ※この一覧表からはアクセスできません。

 
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「焼け跡で生まれた憲法草案」のテキストのこと キャッチホン

2007年02月12日 13時08分49秒 | Weblog
先にご案内いただいた「焼け跡で生まれた憲法草案」(2月10日教育TV)を見て、憲法草案要綱(憲法研究会案)の条文を読みたいと思いました。そこで、ネットを渉猟したところテキストを見つけることが出来ました。お探しの方もあろうかと思い、お知らせします。

それは、国立国会図書館のホームページ中、「日本国憲法の誕生」というパートにおさめられています。そのアドレスは、http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.htmlです。

ちなみに、この「日本国憲法の誕生」の全体は次のように構成されています。
(1)ごあいさつ
(2)概説 *憲法草案要綱(憲法研究会案)は、このパートにある
(3)資料と解説
(4)論点
(5)その他
トップページのアドレスは、http://www.ndl.go.jp/constitution/index.htmlです。文献資料がわかりやすく、豊富に収録されています。私には「宝の山」に思えます。



管理人さんにお願いします。
この「日本国憲法の誕生」を「九条バトル」のリンクにお加えいただければと思います。いかがでしょうか。
「利用上のご注意」には、「国立国会図書館ウェブサイトへのリンクは基本的に自由に行っていただいて結構です」とありました。
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可哀想な建国記念の日?      ネット虫

2007年02月12日 02時03分07秒 | Weblog
 
各国の建国記念日と名称

国名 月日 名称 由来

アイスランド 6月17日   1944年デンマークの支配下で自治権獲得活動をリードしたヨン・シグルドソンの誕生日
アフガニスタン 8月19日   1919年宗主国イギリスとの間で独立に関する条約が結ばれた日
アメリカ合衆国 7月4日 独立記念日
Independence Day 1776年イギリスからの独立が宣言された日
アラブ首長国連邦 12月2日 連邦結成記念日  
アルバニア 11月29日 解放記念日 1944年イタリア軍からの解放を宣言した日
アルゼンチン 7月9日 独立宣言の日 1816年スペインから独立した日
アンゴラ 11月11日 国祭日 1975年ポルトガルからの独立宣言をした日
イエメン 9月26日 革命記念日  
イスラエル 5月15日 独立記念日  
イタリア 6月2日 共和国記念日
Festa della Repubblica 1946年国民投票により王制に代って共和制を政体とすることを決定
イラク 7月17日   1968年無血クーデターによってバアス党が政権を取った日
イラン 2月11日 イスラム革命記念日  
インド 8月15日 独立記念日 1947年イギリスから独立した日
インドネシア 8月17日 独立記念日 1945年日本の敗戦によって統治権が旧宗主国のオランダに返還されることを阻止するため、独立を宣言した日 
ウクライナ 8月24日 独立記念日 1991年ソ連が崩壊し、独立を宣言した日
ウルグアイ 8月25日 独立記念日 1825年ブラジルから分離独立した日
エジプト 7月23日 革命記念日  
エクアドル 8月10日 独立記念日 1822年スペインから独立した日
エリトリア 5月24日 独立記念日 1993年エチオピアから独立した日
エルサルバドル 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
オーストラリア 1月26日 建国記念日
Australia Day 1788年最初の移民団がシドニー湾から上陸した日
オーストリア 10月26日 建国記念日
Nationalfeiertag 1955年永世中立国を宣言した日
オランダ 7月25日 独立記念日  
ガーナ 3月6日 独立記念日 1957年イギリスから独立した日
ガイアナ 2月23日 共和国の日 1966年イギリスから独立した日
Canada Day 建国記念日、1867年イギリスから自治権を獲得した日
韓国 8月15日 光復節 1945年、日本がポツダム宣言受諾を告げる玉音放送が行われた日(実際の建国日は1948年の8月13日で、アメリカによる軍政が終了した日)
カンボジア 11月9日 独立記念日  
北朝鮮 9月9日 国慶節記念日 1948年朝鮮民主主義人民共和国建国が宣布された日
キプロス 10月1日 独立記念日  
キューバ 1月1日 解放記念日 1959年キューバ革命を達成した日
ギリシア 10月28日 国家記念日  
グアテマラ 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
ケニア 12月12日 独立記念日 1963年イギリスから独立した日
コートジボワール 8月7日 独立記念日  
コスタリカ 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
コロンビア 7月20日 独立記念日 1810年スペインから独立した日
サウジアラビア 9月23日 建国記念日  
サモア 6月1日 独立記念日  
ザンビア 10月24日 独立記念日 1964年イギリスから独立した日
シンガポール 8月9日 独立記念日 1965年マレーシア連邦から分離独立した日
ジンバブエ 4月18日 独立記念日  
スイス 8月1日 建国記念日 1291年スイス誓約同盟が結ばれた日
スーダン 1月1日 独立記念日 1956年イギリス・エジプト両国の統治下から独立した日
スリランカ 2月4日 独立記念日 1948年イギリスから独立した日
スワジランド 9月6日 独立記念日 1968年イギリス保護領から独立した日
セネガル 4月4日 独立記念日 1960年フランスから独立した日
タイ 6月24日 革命記念日  
中華民国(台湾) 10月10日 双十国慶節 現在台湾を統治している中華民国が、1912年に中国大陸で成立するきっかけとなった前年1911年の辛亥革命発生日
タンザニア 4月26日 連合記念日  
中華人民共和国(中国) 10月1日 国慶節 1949年、毛沢東が天安門で建国宣言をした日
ドイツ 10月3日 ドイツ統一の日
Tag der Deutschen Einheit 1990年東西ドイツが再統一した日
ドミニカ共和国 2月27日 独立記念日 1844年ハイチから分離独立した日
トルコ 10月29日 共和国宣言記念日 1923年正式に共和国となった日
ナイジェリア 10月1日 ナショナルデー 1960年イギリスから独立した日
ナミビア 3月21日 独立記念日 1990年南アフリカから独立した日
ニカラグア 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日

日本 2月11日 建国記念の日 紀元前660年、記紀における神武天皇が即位したとされる日(1月1日 (旧暦))
ウィキペディアを参照しました。

                
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外交記事の読み方      まもる

2007年02月11日 17時12分41秒 | Weblog
 高く秘密交渉を暴くことこそ報道の醍醐味である

 下世話なゴシップから高度な政治交渉まで、およそ人間の営みの中で秘密を暴くことほど面白いものはない。その中でも秘密外交の実態を知ることほど興奮することはない。秘密交渉を暴いた最近の二つの新聞記事を私は評価する。

 2月8日の朝日新聞は一面トップで、米朝が原子炉停止と引き換えにエネルギー・人道支援を行うことで覚書まで交わしていたという事実をスクープした。米朝二国間の妥協についてはこれまでも色々推測記事が流されてきたが覚書まで交わしていたとは知らなかった。もしこれが事実ならば今日から始まる6カ国協議は茶番である。大騒ぎしてこれから流される報道は無意味だ。我々が注目すべきはただひとつ、この朝日の報道通りに6カ国協議の合意が実現するかということだ。そして、日本はそれを事前に知らされていたのか、その場合はどう対応したかということである。もし知らされていなかったとしたら日本は相手にされていなかったということになる。もし事前に知らされていてそれを受け入れたのならば、またしても対米従属外交を繰り返したことになる。安倍首相の北朝鮮外交は嘘であったことになる。拉致家族は裏切られた事になる。国会で徹底的に検証されなければならない。

 もう一つは、読売新聞と特派員のイスラエルとシリアの秘密和平交渉に関するスクープである・・・・

※興味のある方はブログ「天木直人のブログ」を見てください。

 
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