ある日連れ合いと、こんな話が始まった。僕らは激しい喧嘩も度々するが、こういうこともよくしてきたのである。想い出に残る師の言動というものだ。
話はまず、ずっと高校教師をしてきて、退職後10数年経った連れ合いが最近体験したこんなことから始まった。連れ合いの新任の頃の生徒で、その後も連れ合いのために折に触れてなにくれとなく非常によくしてくれる生徒が、その原因となった思い出を語ってくれたという。「学校に通う時、あるバス停で待っていると、先生がこんな声をかけてくれた。『このタクシーで急ぐから、貴方も乗りなさい』。こういうことが二度あったのだが、私には鮮烈でした」。こんな話は勿論、教師の方はもうとっくに忘れているもの。でも、一個人としての「この先生」の人柄のナチュラルさ、良さとして、生徒の脳裏には強く残っているんだねー、ということになった。
そこで僕が話したのは、これ。僕がずっと尊敬してきた大学教師、哲学者の二つの話である。
先ず一つは彼が、大学院生だったかの頃のこと。治安維持法に引っかかって長く京都の拘置所だったかに留め置かれ、初めてシャバに出て来て出会った時に、二人の恩師が取った対照的な言動の話だ。一方の、西田幾太郎氏は出会った途端に身近に飛んでくるようにして、こうたずねたという。「M君、身体は大丈夫だったか?」。これに対して他方の田辺元氏はこう語ったのだそうだ。「M君。沈香も焚かず、屁も放らず。分かるな?」。この違いは、これほど鮮明な対照はないというほどに、説明不要のものであろう。
今一つはこれ。この恩師が福知山の尋常小学校の頃の話である。社会科の授業だったかで、新しい担任の先生が「村落」を「ムラオチ」と読んだ。M先生、散々迷った揚げ句に、手を上げて(多分口籠もりながら)誤りを指摘したと言う。当然、静寂と沈黙。当時の先生という存在は「三尺下がって、師の影を踏まず」、それほどに偉いのである。が、この先生、やがてきっぱりと顔を上げて、こう語ったそうだ。
「先生が誤りを犯した。M君が正しい。僕もこれからはこういう誤りを犯さないように一生懸命勉強するから、君らもみんな、M君のようにしっかり勉強して欲しい」
すばらしい話だと思う。戦前を少し知っている僕だから、特にそう思う。また、このすばらしさが理解できたからこそ、M先生は終生これを覚えていて、大学の生徒にも話したということなのだろう。
さて、最後の話は担任ご当人にとっても特別な話だろうが、他の話は教師自身、以降はもう覚えてはいまい。すべて自然に出た言動だからである。師が全く自然にやった事が、子どもには終生、鮮烈に残っていることがある。M先生はこんな解説を付け加えてくれたと記憶している。
「教師が何をどう教えてくれたかなどはすべて忘れてしまっても、その何気ない人としての自然な言動こそが子どもの心に好悪両様の学びとして、ずっーと、深く残っているということがあるものです。その残像こそ、人として最も大切な事を教えてくれる。教育って、そういうものではないかと考えてきました」
話はまず、ずっと高校教師をしてきて、退職後10数年経った連れ合いが最近体験したこんなことから始まった。連れ合いの新任の頃の生徒で、その後も連れ合いのために折に触れてなにくれとなく非常によくしてくれる生徒が、その原因となった思い出を語ってくれたという。「学校に通う時、あるバス停で待っていると、先生がこんな声をかけてくれた。『このタクシーで急ぐから、貴方も乗りなさい』。こういうことが二度あったのだが、私には鮮烈でした」。こんな話は勿論、教師の方はもうとっくに忘れているもの。でも、一個人としての「この先生」の人柄のナチュラルさ、良さとして、生徒の脳裏には強く残っているんだねー、ということになった。
そこで僕が話したのは、これ。僕がずっと尊敬してきた大学教師、哲学者の二つの話である。
先ず一つは彼が、大学院生だったかの頃のこと。治安維持法に引っかかって長く京都の拘置所だったかに留め置かれ、初めてシャバに出て来て出会った時に、二人の恩師が取った対照的な言動の話だ。一方の、西田幾太郎氏は出会った途端に身近に飛んでくるようにして、こうたずねたという。「M君、身体は大丈夫だったか?」。これに対して他方の田辺元氏はこう語ったのだそうだ。「M君。沈香も焚かず、屁も放らず。分かるな?」。この違いは、これほど鮮明な対照はないというほどに、説明不要のものであろう。
今一つはこれ。この恩師が福知山の尋常小学校の頃の話である。社会科の授業だったかで、新しい担任の先生が「村落」を「ムラオチ」と読んだ。M先生、散々迷った揚げ句に、手を上げて(多分口籠もりながら)誤りを指摘したと言う。当然、静寂と沈黙。当時の先生という存在は「三尺下がって、師の影を踏まず」、それほどに偉いのである。が、この先生、やがてきっぱりと顔を上げて、こう語ったそうだ。
「先生が誤りを犯した。M君が正しい。僕もこれからはこういう誤りを犯さないように一生懸命勉強するから、君らもみんな、M君のようにしっかり勉強して欲しい」
すばらしい話だと思う。戦前を少し知っている僕だから、特にそう思う。また、このすばらしさが理解できたからこそ、M先生は終生これを覚えていて、大学の生徒にも話したということなのだろう。
さて、最後の話は担任ご当人にとっても特別な話だろうが、他の話は教師自身、以降はもう覚えてはいまい。すべて自然に出た言動だからである。師が全く自然にやった事が、子どもには終生、鮮烈に残っていることがある。M先生はこんな解説を付け加えてくれたと記憶している。
「教師が何をどう教えてくれたかなどはすべて忘れてしまっても、その何気ない人としての自然な言動こそが子どもの心に好悪両様の学びとして、ずっーと、深く残っているということがあるものです。その残像こそ、人として最も大切な事を教えてくれる。教育って、そういうものではないかと考えてきました」