九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

喜寿ランナーの手記(318) 子ども水泳、多い悪癖  文科系

2020年10月12日 20時04分43秒 | スポーツ

 前回317回でちょっと予告した、標記のことを展開してみたい。僕のこの「目」は、実際に水泳教室に孫を観るために何年も通って感得したことを、その孫に対して適用指導してきて、前回観たように直近2種目(背泳と平泳ぎ)の4年生女子1位タイムという成果を挙げてきたものだ。それぞれ25mで2位に2秒以上の差を付けた1位だった。以下は、僕の「そういう資格」で書くものだ。

 どんなスポーツでも先ずは、基本フォームが全て。ここがいー加減だったり、途中で新たに付いてしまった癖を直さなかったりすると、絶対に早く、長く泳げない癖というものがあるので、それを示してみよう。

・クロールは、息継ぎ時に顔を回す角度が大きすぎて顔だけでなく呼吸をする側の肩までが天井を向いたりして体勢が乱れる子が多い。体勢が乱れるとは、上半身だけではなく下半身まで横になって「横向きキック」がまじる子さえ出て来るし、体勢の乱れは水の抵抗も大きくするしで、スピードが上がらない。こういう子には、こう教えるべきなのだろう。「呼吸をする時に肩を持ち上げすぎてはいけない。なるべく、顔だけを小さく横に向けて、息をするように」。

・背泳は腰、下半身が沈んでいる場合が多い。「スピードが出てきたら腰も上がってくる」という考え方もあるかも知れぬが、これは誤りである。下半身を上げるには、「臍、お腹を上に持ってこい」と教える。これはちょうど、クロールの場合に、こう指導するのと同じ事だろう。「腰が沈めばスピードが出ない。力を抜いた自然な正しい伏し浮きの姿勢で泳ぐように」。

・平泳ぎはキックで泳ぐのだが、その脚が旧式で開きすぎる場合が多い。これは、「開いて、閉じる」時間が長くかかって、短距離用の速いピッチができにくい。脚をあまり開かず、ちょうどバタフライの足を少々開いたような感じで膝下を上に曲げてから下に打って即素早く脚を真っ直ぐにしつつきっちりと閉じる。「きっちり閉じる時に最大スピードが出る感覚」が最も大事なのだと思う。平泳ぎに起こりがちな悪癖はもう一つあって、「脚のキックと腕のストロークとの正しいタイミング」の崩れ。掻き終わった腕(と頭)を素早く前に伸ばしてからキックを始めることと、キックを終わって両脚を閉じてから、大きくストロークを始めること。

・バタフライはドルフィンキックの腰が十分に使えなくて身体が進まず、浮かぬ場合が多い。その分、顔、顎を懸命に上げるために腕を下にかいてしまい、手腕でも前に進めない癖となる。バタフライは最初に教える時に、正しい全身キックのこなし方を徹底しておかねばならない。これは、クロール、背泳の場合の正しい浮き方姿勢と同様に、バタフライの最大要点だと思う。

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学術会議問題、重大すぎる「舞台裏」  文科系

2020年10月11日 01時38分46秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 今回のこの問題には、一つの重大すぎる舞台裏があると気づいた。この問題が、学術会議の幹部である学者達が今回ある「決意」をしなかったら、社会問題化せぬままに、政府の「焚書坑儒」方向が密かに進められてしまっていたということだ。その「決意」とは以下のようなものだと、今は推論できるのである。

 何年か前から複数の候補者を出させて、政権が密かに弾き出す学者を作って来た。だからこそ今回は学術会議側が候補者数ギリギリの名簿を提出した。これによって、政府側が「理由も示さず、6名の学者らを切った」という既成事実を作り上げ、それを国民に公表することが出来たということなのだ。その上で「理由を示せ」と政府を詰問できることとなって、新首相が「総合的・俯瞰的」等と訳の分からぬ事を繰り返す事態を作り上げたわけだ。

 さて、事が「日本学術の国会」とも言われる日本学術会議の歴史的出来事である。ついては、別の世界ではこんな事が密かにどんどん起こり、進められてきたのではなかったか。マスコミ界とか、言論界とか、学者の教授就任、「社会的抹殺」などなど・・・にも。つまりこういうことだ。こういう「焚書坑儒」の社会史的な流れは、政府側は全面的・計画的に作り上げていくが、抵抗する側は個別にしか対応できず、必ず破れていく運命にあったのではなかったか、と。個別対応で、政権側がこれに対して「総合的・俯瞰的・・モグモグ・・・」等と密かに対して来れば、個人ではだれも抵抗も、その成功などさらに、おぼつかないからである。

 こうして、今回のこの日本学術会議がやったことは、「組織としての計画的抵抗」であって、以上全ての政権の「焚書坑儒」をめぐる社会情勢を明るみに出したものと推察できるのではないか。だからこそ今回のことは、日本史に残るような歴史的な大事件なのである。それも、やった方の政権側は、「この歴史的後遺症などをほとんど自覚していない」それ。だからこそまた、僕はこんなことを考えるのである。

「東條英機内閣の一挙手一投足に国民がこぞって熱狂するような社会は、いつ、どこで、どう踏み切られてしまったのだろうか?」

 ちなみに、今回のこの日本学術会議事件でも、大学の軍事研究、集団安保などが、学者らと権力との重大「争点」、伏線として存在していた。これは、今全ての新聞などが明らかにしているところだ。  

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学術会員問題に見えた「政府独裁」   文科系

2020年10月10日 12時16分33秒 | 国内政治・経済・社会問題

 この問題、やっと標記のことが見えてきたようだ。首相自身がいくら問いただされても一向にその理由を語らないのは、選挙を前にしてその邪さを言葉にして、見抜かれたくはないからだ。なんせ安倍政権の7年は、選挙のためにだけに政治をやってきたようなものだったからである。

 さて、日本学術会議会員推薦却下問題で、ある官邸幹部がこう語ったと、朝日新聞報道にあった。
『学術会議は実績や能力で判断している。こちらはそれ以外で判断している。両方が納得する理由なんてない。人事の理由を説明しても仕方ない』
  この言葉には、ことの背景の考え方全てが示されている。日本学術会議の学者としての実績などどうでも良く、今の政府に都合が悪い学者を学術会議から全て排除したいということだ。加えるに、選挙で大勝した国会勢力に基づいた議院内閣制内閣は、こうして、自分らの考え方に合わぬ知識人らは全て世の表舞台から去っていただくと、そういう決意を示してよしとしたのである。
 であるから、この内閣は怖い。そして、この怖さについてさらに僕はこう推察する。管内閣に積年の自民党念願事項をどんどんやらせていく。それが国民に批判された時に、また安倍晋三の三回目の登場で、日本会議方針の実現と、そういうことではないか。ちょうど、アメリカが保護貿易、原油のドル支払体制、イスラエル念願の実現など積年の課題をトランプ暴力で押し通させたように。

 こうして日本国は今、こういう岐路に立たされているのだと思う。天皇、軍隊の新たな思想で日本を「再建」し直していく「日本会議」流政治の流れへの反対勢力をば、理由も語らずに暴力的・無条件に押しつぶしていく道へと、後戻りできないような一里塚、ルビコンを現政権が渡ってしまったのだと。学術の殿堂、その人文・社会系学者を押しつぶすとは、そういうことに他ならないはずだ。この日本はまた再び日本会議流「天皇教信者」への批判が出来なくなってしまうのであるか。

 日本学術会議とは、こういう存在だと聞いてきた。日本最高の学術者たちに、政府諮問への提言をさせる組織であると。ところが、安倍政権になってから、この諮問自体がほとんどなくなってしまった。これはどういう意味かというと、学術会議がではなく、安倍政権の構想、思想の方が、どんどん現代学問から離れてきたということだろう。だからこそ今回のことは、政治のそういう学問離れの一つの集大成なのである。そういう意味でも現自公政権は日本政治のルビコンを渡ってしまったと言えよう。これは確かに、こういうことかも知れない。「学問に時代、政治を合わせるよりも、時代、政治に学問を合わせよ」と。ただし、こういう政府が悲劇を招かなかった事例は世界史上存在しなかったのではないか。現代の人文・社会系学問とは、民主主義や平和をこそその原理とするものだったはずなのだだから。

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「守から攻」が駄目、カメルーン戦  文科系

2020年10月10日 11時21分54秒 | スポーツ

 相手は53位、日本は28位とは、勝って当たり前のゲーム。それがあれだけの凡戦では、本当にがっかりだ。この原因は分かっている。

 競り合ってボールを奪うまでは良い。身体能力が高いアフリカ人相手になんの恐れもなく、よくやっていた。ブラジルW杯大会ころまでの日本はここが駄目だったのだから、特に。が、奪ったボールが一向に繋がらなかったのは、どうしてなのか。奪い合いだけに目が行ってしまい、周囲を見ていてその先を予測する余裕がなかったとしか思えない。昔は中田ヒデ、今では遠藤、憲剛が得意な能力である。誰か一人、これをする力を示せばチーム全体を引き上げることが出来る気がする。これが最も上手いチームの代表を色々入れかえて試してみることだ。差し当たっては、大島僚太か遠藤航などはどうか。このゲームでは中山を使っていたが、決して上手く行っていたとは思えないのである。もっとも、誰かがボールを奪いに行った場合に、奪った場合のボールを受けに行く周囲の体制作りもまだまだだったのだろう。とにかく、混戦時の視野・予測が課題という気がする。これは、「守から攻へ」の強いチームで鍛えねば難しいのかも知れない。

 日本の組織的潰しに振り回されていたカメルーンは、後半の後半すっかり疲れていた。あそこで点が取れなかったのが、最も情けなかった。

 

 

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学術会議推薦却下の法律論  文科系

2020年10月07日 18時33分18秒 | 時事問題

 日本学術会議会員選考について、今回新たに学んだ法的な重大問題性というものを追加させていただきます。

 国家公務員一般の人事法規を持ち出して、内閣総理大臣が任命却下を出来ると強弁したのが、今回。対して、法律専門学者らが、こう反論している。内閣からは独立しているべきとして特別に配慮が必要な国家公務員については、国家公務員一般の人事法とは別の特例法を定めてある。この特例法が、一般公務員法規よりも優先するからこそわざわざ作られたものということである。例えば、検察官。これについて安倍は、黒川氏の定年延長という異例を、一般公務員扱いと弁明しつつ行った。さらにその前には、集団安保問題で内閣法制局長官。慣例を破って、内部昇格をせずに外務省国際条約局長だったかを連れてきた。そして今回は、「学問の自由」に関わる学術会議人事特例法を無視した異例の人事介入である。

 これら全て、内閣から独立性が必要な部門ばかりで、そういう部門へのかつてない強引な介入なのである。検察・司法とか、学会の「国会」とか、内閣内で相対的に独立しているべき憲法・法律解釈部門とか、これらへの強引極まる異例な内閣介入連発は、「内閣と、その独裁が手を付けた部門の忖度深化との悪循環」がどんどん進んでいくことを示している。これを、ファッシズムの開始でなくて何と言うべきだろうか。議院内閣制をとる国でこんなことをやり始めている時には、司法でさえその独立は陰でどんどん損なわれてきたに違いないのである。まず、密かに行う。それが発覚しても、理由は公表しない。いやいや公表させられた時には、理屈にもならない詭弁論法を暴力的に通していく。今回も明らかになったこういうやり方もファシズムの臭いに満ち満ちている。後継内閣がこんなことをするって、いったんは退いて尻についた火を消してから第三次内閣を作って、日本会議が目指す国家を作り上げていく算段なのだろうかなどとさえ、訝っている。

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喜寿ランナーの手記(317) やっと、入院ブランク前に戻った  文科系

2020年10月07日 01時17分49秒 | スポーツ

 色々大変苦労してやっと、7月初めからの白内障手術入院ブランク1カ月以前の走力に戻れた。6日のジムでウオームアップ緩走込みの前半30分(市営ジムマシンは、1回30分の時間制限がある)が4・3キロに届いたからだ。これは7月5日の前半と同じ距離で、なおかつ心拍数も145ほどとまだかなり余裕ある走りだった。明日からの次の目標は6月18日の「4・4+4・6キロ」になるが、これももう達成したも同じと実感できている。すると次には、昨シーズンの最高記録が目標となり、ジムでは1月19日「4・5+4・9」、同じ1月17日の外走りでアップ走とダウン走の中間5キロほどを1キロ当たり6分26秒で走ったのが目標になる。
 こういう直近の目標について、後半30分の目標は案外達成近くなっているとも、6日には初めて感じた。前半30分を抑えて走れば、後半は9・8キロほどで走り通せる目途が立っている。つまり、相当長いウオームアップ時間が必要な身体になってきたが、走力自身は伸びているのである。ちなみに、18年12月22日には前半4・7、後半4・9キロという記録があるが、後者は今も十分可能ということだ。前者は難しくなったということなのだが。 

 ということで、僕の最近のマイナスになった走力をやっと振り出しまで戻した時点から、本日は次への抜本的鍛錬にもう一歩励んできた。左脚のウエートトレーニングを機器を初めて使ってやった。左片脚膝を180度から135ほどに曲げた状態から真っ直ぐに伸ばす加重運動を何回もやってみて、左10回が出来る重さはほぼ85キロと確認。この重さを今後次第に増やしていこうという心づもりである。この時、右脚の方が考えていたとおりかなり強いとも確認できたが、この左右とも100キロとか同じほどになれば「走る時の地面つつき力」も左右同じほどになるだろうという算段である。気の長い話になるかもしれぬが、座位の両腕10回プレス筋肉では28キロから35キロへと最近の鍛錬が効いたのが先日確かめられているので、脚ならなおさら鍛錬有効と考えたわけだ。そしたら、6日のこの運動の後、両脚のなんと軽かったこと! 驚くばかりで、目標への成算が既に立った思いだなどと、今後にとても楽しみが増えたもの。
「色々やってみるもの。来年80になる身として、こんな楽しみが持てるって幸せなことだ」

 余談になるがスポーツの話として、ひとつ。孫の10歳女児が、メガロススイミングクラブこの8月平泳ぎ測定で4年生の1番になった。6月の背泳ぎに次いで、この大きなクラブでの学年別2冠王だ。これは、スポーツ大好きで生きてきた僕の折々の特訓の成果であって、僕の「スポーツへの目」がこんな所で役に立ったとか、これは孫への遺産とも言えるとか感じられて、とても嬉しかった。これも、老人最高の幸せの一つ。なんせ「明日、特訓、行こうか」と呼びかけると必ず付いてくるという信奉ぶりで、母である娘がやるピアノ教室援助よりもはるかに上手く行っている。「好きにしないと、上手くならない」を娘は分かっていなかったと観てきた。もっともまー、子どもは音楽よりもスポーツの方が好きになりやすいのだろう。ただ、娘は音楽教育で小学教師になったのだけれど・・・。ついでに、ここに近くこんなことも書いてみようか。「水泳4泳法の指導で起こりやすい悪癖と、その正し方」。 

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東條英機首相への熱狂ぶりとその源泉   文科系

2020年10月06日 10時59分41秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 こんな時代がこの日本にどうして生まれたのか。そういう実例を一つ。この時代、男性だけだが普通選挙制度もあったのだけれど。人間社会って、最近でもヒトラーも、プーチン独裁・恐怖政治も産んできたのです。選挙制度があってもこうなることがあるって、どうしてなのだろう? 社会の様々な要素がそのように悪循環していく時代というものがあるということでしょう。それにしても、当時の東條英機首相へのこの国民の熱狂ぶりって、どのように説明できるのだろう。ヒトラーへの熱狂も含めて、後の時代から観ればまるで集団狂気です。21世紀になっても同じ事がありました。イラク戦争直前の米国、マスコミと国民こぞって開戦へと一丸となって世論を盛り上げ、進んでいた。

 

【 東條英機首相への熱狂ぶりとその源泉  2010年11月24日

 
 はじめに
 本日ネット虫さんが興味深い記事を載せて下さった。41年12月8日、この日を当時の子どもがどう覚えていたか。これを一気に読んで、すぐに表記の記事を書こうと、僕は思い立った。当時の子どもたちの心にさえ深く刻み込まれた「戦争への感動」、その象徴的存在であった東条首相への熱狂ぶりについて書いてみようと。僕の同人誌にも軍国少年、軍国少女がお一人ずついらっしゃる。お二人とも、その後の人生はなかなか優秀だったろうとお見受け出来る方々である。今は多分、その正反対の人生観をお持ちのはずだが。
 東条英機は、A級戦犯の象徴的存在。41年12月8日開戦時の首相にして内相であって、陸軍大臣までを兼務した、現役の陸軍大将である。また、陸軍参謀総長も兼任していたから、大元帥・天皇の大本営の幕僚長でもあった。彼の前歴には、関東憲兵隊司令官というものもあった。満州国の治安の要に位置する機関であって、35年9月から37年2月のことである。娑婆、「地方」(軍隊は軍隊の外の世界をこう呼んだのでした)、世相にも、よく通じているのである。
 彼は、天皇の信任は篤く、水戸黄門まがいの「民衆査察」を行い、ラジオ、新聞を上手く使って民心を躍らせ、掌握した。ヒットラーにも劣らないその掌握術を、ご紹介したい。種本は例によって、岩波近現代史シリーズ10巻本の第6巻「アジア・太平洋戦争」。この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授である。【 】がほとんどであるが、ここからの抜粋を示している。 

1 人々の東条支持熱
 その人気は、一時の小泉旋風などという次元のものではない。戦争の英雄たちの、そのまた大元締、空前絶後の国民的大英雄なのである。そういう大英雄が、マスコミによって実に身近な存在に描かれるところがまた、お見事というほかはないのである。
 【 東条首相は、各地で国民に熱烈に歓迎された。42年7月27日、大阪の中央公会堂で開催された「大東亜戦争完遂国民総力結集大講演会」の折には、講演を終えて退場する東条首相を熱狂した群衆がとりかこんだ。28日付の『朝日新開』は、その場の状況を、「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り打ち振り、〃万歳々々″と歓声をあげ、(中略)あつといふ間に東条さんを取り囲む。「しつかりやります、やりますとも」「米英撃滅だ、東条閣下お願ひします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」と報じている。これが誇張でないことは、同日の首相秘書官の記録に、「公会堂発」、「総理自動車会衆の圧倒的歓迎に取り囲まれ約十分、会衆の中を徐行す」とあることからもわかる(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)。
 さらに、東条に関するすぐれた評伝をまとめた作家の保阪正康も、この頃の東条について、「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れわたり、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという〈神話〉が生まれた」と書いている。東条は、一般の国民にとって、「救国の英雄」だった(保阪『東条英機と天皇の時代(下)』) 】

 当時、東条報道を新聞がどう行ったかもなかなか興味深い。【例えば、42年8月18日付の『読売報知』は】として、こんなことが抜き出されていた。
【 「忙中忙を求める東条さん」、「割引市電で街の視察 鋭い観察力と推理力の種は正確なメモ 拾った民情必ず”決済”」という見出しの記事を掲載し、「キビキビした政務の処理、そして電撃的な民情視察・・・国民は曾てこれほど”首相”を身近に感じたことはなかった。・・・とにかく、そこに新しい一つの”指導者の形”が打ち出されているのは確かだ」と論じている 】

2 民心操縦術
【 総力戦の時代は、多数の国民の積極的な戦争協力を必要不可欠なものとする。そうした時代にあっては、力強い言葉と行動で、直接国民に訴えかけるタイプの指導者が求められる。東条は、そのことをよく理解していた。43年9月23日、東条は側近に次のように語っている(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)
  国民の大多数は灰色である。一部少数の者が批判的言動を弄するものである。そこで国民を率いてゆく者としては、此の大多数の国民をしっかり摑んでぐんぐん引きずつてゆくことが大切である。大多数の灰色は指導者が白と云へば又右と云へばその通りに付いてくる。自然に白になる様に放つておけば百年河清を待つものである。
 東条の芝居がかったパフォーマンス、特にたびかさなる民情視察は、識者の反発と顰蹙をかった。特に、東条が住宅街のゴミ箱をチェックしてまだ食べられるものや再生可能なものが捨ててあると非難したことは多くの国民の失笑をかった。首相として他にやるべきことはないのかという批判である 】

3 政治的力の源泉、宮中工作など
 マスコミ総動員で作ったこういった東条の「表の顔」の他に、政治家としての裏の顔があるのもまた当然。
 【 政治資金の面でも、東条首相は有利な立場にあった。陸相として陸軍省の機密費を自由に使うことができたからである。この点については、いくつかの証言がある。例えば、元陸軍省軍務局軍事課予算班長の加登川幸太郎は、「何に使ったかわからんけど、東条さんが総理大臣になった時、(中略)三百万円という機密費三口を内閣書記官長に渡せ、と来るんだね。(中略)あの頃二百万円あったら飛行機の工場が一つ建ったんだから」と回想している(若松会編『陸軍経理部よもやま話』)。 (文科系による中略)
 なお、臨時軍事費中の機密費の支出済額をみてみると、42年段階で、陸軍省=4655万円、海軍省=2560万円、44年段階で、陸軍省=1億2549万円、海軍省=1865万円であり、陸軍省が機密費を潤沢に使用していたことがわかる。
 東条首相の政治資金の潤沢さについては、44年10月15日に、反東条運動の中心となっていた政党政治家の鳩山一郎が、近衛文麿と吉田茂(戦後の首相)との会談の中で語っている内容が参考になる。同席していた細川護貞は、その内容を次のように記録している(『細川日記』)。
  一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、附け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話〔鳩山より〕出で、例えば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官それぞれのイニシアル入りの万年筆等も交りありたりと。又牧野〔伸顕元内大臣〕の所には、常に今も尚贈り物ある由。
 この後、鳩山は、「東条の持てる金は16億円なり」と語り、近衛は東条の資金源は、中国でのアヘンの密売からあがる収益だと指摘している。アヘン密売との関係については確証がないが、46年7月の国際検察局による尋問の中で、近衛の側近の富田健治が、東条はアヘン売買の収益金10億円を鈴木貞一陸軍中将(興亜院政務部長)から受けとったという噂があると指摘している。興亜院は、アヘンの生産と流通に深くかかわった官庁である。皇族への「附け届け」については、史料的に確認することができる。42年12月月30日付の「東久邇宮稔彦日記」に、「この度、陸軍大臣より各皇族に自動車をさし上げる事となれり」とあり、この日、東久邇宮のところには、陸軍省関係者から、アメリカ製の自動車が届けられているからである 】

 

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学術会議会員六名却下は、「政治地獄への重大一里塚」  文科系

2020年10月05日 00時37分04秒 | 国内政治・経済・社会問題

 日本学術会議会員推薦6名を首相が任命しなかった問題で一言。この慣例破り問題は、既に2016年に安倍が始めた動きの完成形、その終着点だったと報道機関が昨日から舞台裏を明かしているが、世界政治史の教訓を知らない大変な政治的無教養、「政治の地獄行き」悪循環への岐路というルビコンを渡ってしまったようなものなのだ。その次第を説明してみたい。

 国家が過去に悪とされた法設定、解釈、その運用を開始する。当然、これを批判する学者が現れる。「そういう学者」を国家が切り捨てて見せる。すると国家統制がやりやすいマスコミも絡んで国家に迎合する出世主義の学者ばかりが社会科学、人文科学で世に顔を売ることになっていく。ちなみに、学者にもそういう出世主義人種は多いものであるから、そういう国家・学者が一体となって、ますます国家体制を歪めていくことになる。そして、その行き着く先は必ず、ファシズムの一種に他ならなかったのである。と、こういう悪循環は一端始まるとなかなか止まらないのは、歴史の示すところだ。

 一方また、こういう悪循環はどんなときに起こりやすいか。世界中の国家にこれが起こりやすい時代というものがあったのであって、そういう時代を一言で言えば、こうだ。
「一定長く続いたある政治形態では国民が食えなくなってしまって、政治家がその地位を守ろうとすると国民の不満をあらぬ方向に向けるしかない時代」

 日本は、というよりも世界の国家が、今まさにこういう時に直面しているのである。「何を作っても売れない」、「儲かるのは世界金融とちょっと前までの中国だけだったが、世界金融は米英日が独占してきたようなもの」、「その米英日も、物経済は全く駄目で、金融バブル工作によって持っているだけ。アメリカはプラス、新自由主義をかなぐり捨てた保護貿易強行である」。日本にはこれに加えるに、アベノミクスの大失墜もあって国民1人当たり購買力平価GDPの世界順位墜落から、「50歳まで結婚できぬ男性が4人に1人」という有様。
「結婚してくれ、子どもを産んでくれ、そのために女性も働いてくれと、保育所を懸命に作るよー」と大音声政治宣伝を繰り返してきたが、統計がある史上最低の出生数、一路小国化への流れは一向に変えられないできた。

 こうしてつまり、今の地位を守ろうとする政府がやれる「施策」はもう「国民をごまかして選挙に勝つための政治」しかないのである。「嘘の政治・トランプ」「ヤッテル感の安倍」はこうして、ある意味「歴史の必然」に基づいているのだ。「戦争はしない、海外から撤兵」と選挙前に大いに叫んではみたトランプだが、軍事予算を減らし始めたら失業者の大群になる。よって、アメリカ国家実際の累積赤字はGDPの4倍とあるのに、そんな軍事予算など減らせるわけもないのである。そんなアメリカの「学者」やマスコミ人達はちょっと前までは「冷戦に備えよ、ソ連は怖いぞ」で、9・11以降は「テロとの戦い」と叫び回っているのだ。

 さて、こういう時代の政治と学問との悪循環の成れの果てこそ、ヒトラー、東條を産み出したものだと、これが世界史の教訓である。1929年の世界大恐慌でものが全く売れなくなった。景気を作るためと、兄弟のように生まれている同じような悪循環軍事化他国に対して行くためにも、国家予算を軍事にだけどんどんつぎ込む経済の軍事化が起こった。この軍国主義化に反対する世論は、これを押しつぶした。行き着く先は、ドイツもイタリアも日本も「『反戦』は犯罪、非国民」である。

 さて今、アメリカ以外が戦争を起こすかどうかはともかくとして、「政治と学問の悪循環」はどの国でも必ず、民主主義を圧殺していく方向になるはずだ。世界経済一斉沈没の中で政治と学問とが一体となって嘘が嘘を呼んで民主主義から滑り落ちていく国家、世界。これが今世界中の国々で起こっている悲劇的現象である。

 人類史上初めてという「諸国家総力戦の悲劇」・二つの世界大戦の反省からそれぞれ国際連盟、国際連合ができ、ケインズの需要サイド経済学も生まれたわけであるが、新自由主義という供給サイド経済世界の末路もケインズ警告を無視して起こされたものと言える。アメリカは国連の制止を振り切って暴力を続けているのだし、そのアメリカの暴力は言ってみるならばドルの世界基軸通貨体制を乱す国を潰すという点にこそ焦点を合わせて来たのであった。ケインズが最も恐れていた暴力政経体制、世界こそ、今目の前にあるものである。彼はドルでなく国連的通貨パンコールを夢見ていたのではなかったか。

 以上は心ある経済学者ならば、周知の学問的事実のはずだ。この世界は今や、アメリカの国際暴力だけで維持しているものに成り果てている。

 

 

 

 

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喜寿ランナーの手記(316) ジムで時速9・2キロ  文科系

2020年10月04日 16時53分19秒 | スポーツ

 本日はジム・ランで、30分2回を4・1キロ、4・6キロと走り、クールダウンの20分2・3キロを加えて、11キロ走ってきた。23日以来のジムだったが、間に外走り2日をやっていたせいか、結構好調。身体の疲れも少なくって、ウエート・トレーニングも一回りして帰ってきた。このウエートでは、座位のプレスで久しぶりに35キロ10回連続が一つの収穫。

 30分ラン後半は、筋力強化を目論んで、インターバル走にした。平均4・6キロなのだが、最低スピード7キロ、最高11キロの時もあった。この平均時速9・2キロは、ちょうど同じスピードで後半30分を走った16日に比べて疲れも随分少なくなっていたから、スピードも少しあがってきたということだろう。今日この時のストライドは86センチで、平均心拍数は156ほどだった。心拍数はまだまだ下がってくるはずだ。スタミナがなくなっているから、1時間近く走ると心拍が上がってくるその対策が必要になっているようだ。距離を走るしかないのだろう。

  前回書いた「靴の減り具合」を意識した走りにしてみたが、これがなかなか面白かった。あの時書いた要は、左右の足をなるべく正面向けて走った上で、それぞれの足裏内側に力がかかるようにということだが、まさにそう走ってみたわけだ。するとやはり、走行フォームがかなり乱れていることが分かったのである。左脚がスムーズに前に出ていかず、無理に前に出さねばならなくなっているのはどうしたわけだ、とか。この原因を色々探ってみたが、今日の所はこういう仮説である。左脚の地面ツツキの弱さに合わせるように、強い右までが弱いツツキになっていた。これは逆というか、悪循環の結果であって、右も精一杯地面をつつかねばならないのである。その上で弱い左のつつきをもっと引き上げ、左脚を強くするべきなのだ。

  こんなことを考えながらやっていると、ランニングってやっぱり面白い。単純な運動に見えるが、奥が深いのである。当然そうだろう。二本脚だけで走れる哺乳類・猿族は人間だけという、そんな奇形動物なのだから。

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喜寿ランナーの手記(315) キロ7分19秒のLSD  文科系

2020年10月03日 09時13分40秒 | スポーツ

 2日も今シーズン2度目の外走りLSD約1時間8キロほどの内、ウオームアップとダウンを除いた中間5キロほどを計測してみたが、キロ当たり7分19秒で走ってきた。29日の7分29秒からキロ当たり10秒の前進になる。ストライドは84センチで前回と同じ、1分当たり心拍数は148とちょっと上がった。僕の一定持続心拍数が160ほどだから、まだまだスピードは上がる。ただし、ストライドがこの春よりも今が平均5センチは小さくなっていることも分かった。29日も2日も、ストライドは期せずしてたまたま84センチだったからだ。全体的な感想としては、アップとダウン込みならば、もう少し長く10キロは走りたい。そうしないと練習にならないのだが、夏の間に8・5キロ程度のジムランだけをやってきたせいなのかどうか、スタミナがなくなっている。中1、2日置きで走って、少しずつ距離を伸ばしていきたい。ただ、29日シーズン初の外走りよりも事後の疲労が大幅に少なくなっているから、外走りにもどんどん慣れていくだろう。今年はどれほどまで行くか、シーズン初めいつもの年寄りの楽しみ方である。

 ランニングシューズを洗ったついでに確かめてみたことだが、僕の靴底の減り具合はこんなふうだった。右足はカカト外側が減っていて、左足はつま先外側が減っている。色んな本を見ても、この減り具合癖の判断は意外に難しそうだ。それぞれ足が外を向いているのには、僕のO脚・蟹股が関係していようし、右の歩幅が大きすぎか遅れ気味に対して左が小さすぎか早すぎるとも言える。が、まーとにかくできるだけ足、スネを走行方向にきちんと正対させるということだろう。それも長年の走り方もあるのだから無理のない程度に。ただし、前から思っているように、左を強めにつついて大きく運び、その左着地は腰を高く保つと、そういう注意は必要なのだ。とにかく左脚が弱いのだから。そして、この左脚注意を守る時の僕はキロ当たり15秒は速くなるほどにタイムにムラがあることが分かっているのだから。まー左脚はヘルニア手術後遺症から弱いのは分かっているのだし。

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祝、岡崎慎司代表選出   文科系

2020年10月02日 11時47分28秒 | スポーツ

 岡崎慎司が、9日カメルーン戦、13日コートジボアール戦の日本代表25人の一人に選ばれた。大迫、鈴木武蔵とともに、たった3人のFWのうちの一人に。これがどの程度大変な快挙であるか、そのことを少々描いてみよう。

  岡崎は、2010年南アから、ブラジル、ロシアとワールドカップ三大会に連続して代表になってきた。WC本大会で三大会連続代表FWって日本にはいなかったはずだ。ちなみに、大迫勇也が次回で三大会連続になるだろうが、これも希有な話なのであって、大迫もそれだけ頭抜けた選手なのである。そして、岡崎がもし四大会連続となれば、GK以外にはいないはずだ。この間中ずっと、岡崎は日本人選手にはなかったという意味で数々の希有な実績を挙げて来た。
 そもそも34歳の現在まで外国チームの中心選手として活躍してきた日本人FWは居ないはずだ。それも、ドイツ、イギリス、スペインと全て、ヨーロッパの現時点における最強豪三国なのである。しかも彼は、案外知られていないことであるが、こういう実績を予感させる成果を既に20歳そこそこから挙げている。2010年南アワールドカップに向けての各大陸予選という長帳場段階において「世界第一位得点王」に成り仰せているのである。1986年生まれだから、既に24歳までに歴代日本代表FWにあって希有と言える絶対的レギュラーの地位を築いていた事を示している。
 その後、ドイツはマインツの実績を踏み台にして、日本人選手誰もが憧れるイングランドに引き抜かれていった。そして、そのチーム・レスターに入ったその年のシーズン、奇跡の優勝。そのレギュラーメンバーであり続けたことは、このブログでもこの奇跡を追って来た通りである。
 次いで現在のチーム、スペインのウエスカでは、訳あって二部チームに行くことになったが、そこで優勝・一部昇格、12得点を挙げてこのチームの得点王になった。ちなみに、同じスペインの久保建英は、このシーズンに所属チームを一部から二部に落としている。また、この12得点にも実に岡崎らしいエピソードが付け加わってくる。VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)によって取り消された岡崎得点がシーズン8点もあったのである。彼が、相手ディフェンス・ラインといかに虚々実々の戦いを演じて来たかがうかがわれる数字である。

 岡崎慎司、凡才に見えてとにかく異能の選手なのだが、一体何が凄いのだろうか? その凄さを、僕なりにこう観てきた。
①なによりも、チームの特徴をいち早く見抜くことができて、そこにFWとしての自分の特徴を出し切ることが出来る。そこでは、言語さえ要らないと岡崎は言っているが、「それは、FWだからだ」とは、彼と対談した時に長谷部、吉田の言葉である。
②以上のことが世界トップ水準で出来るのは、以下の能力によるようだ。
・現代サッカーではダッシュを繰り返す能力が不可欠だが、これは中学時代までに身につけないと難しいものだ。これがなくて消えていったサッカー名選手は多いのである。
・次いで、「とにかく泥臭く前に詰める」。これは、岡崎が尊敬するFW中山雅史を理想と観てきた事によって示されている。
・あと一つ、この能力が彼にあっては凄いものだ。「生涯、ダイビング・ヘッド」。これは子ども時代からのサッカー選手としての座右の銘らしい。この能力を彼に見せられて、僕は彼のファンになったのだが、彼のこの力を活用し切ったチームは今までになかったように見てきたものだ。

 岡崎慎司、次のワールドカップの代表にも、是非選ばれて欲しい。彼には、世界を知らぬ監督には見えない力が、無数にあると思うから。特に、「チーム得点術」についての世界水準理解力。ドイツ、イングランド、スペイン三国に共通する「世界最先端チーム得点術」と観て良いだろう。

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 喜寿ランナーの手記(314) 夏過ぎて初の外走り  文科系

2020年10月01日 10時14分06秒 | スポーツ

 29日、標記のことがあった。夏の間中ジム・マシンを走る僕も、秋~春には外も走り始める。ウオームアップ速歩と緩走とを約15分、1・5キロほどやってから、極端にゆっくりと走り始めた。右足にごく軽いが足底筋膜炎が続いているので、一歩一歩の幅を極端に短くして衝撃を減らしながら。
 全部で8キロちょっと歩き、走ったが、アップとダウンを除いた中間をランニングウオッチに出した結果は、6・12キロをキロ当たり7分29秒で走り、平均心拍数140でストライドは84センチ。時速8キロで140の心拍数というのは、僕の初外走りとしては順当なところだ。ただ、終わった後は、身体がかなり疲れていた。このスピードのマシンではまったく起こらないような腰回りを中心とした倦怠感のような疲れだ。

 外走りは、やはり、マシンとは違う。慣れていないからということもふくめて、心拍数は高めになるし、事後の疲労もスピードの割に大きい。でもまー、ここから順に伸ばしていくさ。身体も慣れていくだろうし。

 

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