学術会議問題で、あちこち政府弁護論が五月蠅すぎる。この問題での政府・首相批判者にとっては、首相に訊いているのだし、原理的に首相が応えねば答えにならぬのだ。任命拒否の理由がはっきりしなければ、ここまで至る所で起こっているはずのこういうやり方の正体が確定できぬからである。確定できぬままに、焚書坑儒が進んでいくのを見過ごせないのだ。ふたつのコメントを転載する。
君は国家権力じゃない (文科系) 2020-10-22 10:36:1
- 日本学術会議とその会員任命を、他の行政職と一緒にすることさえできないのに、民間会社を持ち出してその論理でもって総理大臣を弁護する。裁判と同じで、まずは学術会議会員の推薦、任命の「慣例」「判例」がすべてなのだ。これを破ったから、国家権力による焚書坑儒であると批判されている。ましてそういう慣例を破った理由を語らないままでは、今後どんどん恣意的な「任命」が出来ることになる。
そもそも、学問に対する国家権力の介入絡みだから問題なったのである。これは、国家権力しか答えられない批判なのだ。
君は国家権力じゃない。よって君の答えは、この批判への答えには全くならないのだよ。つまり、この場合に要求している答え自身が、君には形式的、原理的に出来ないということだ。
それを横からしゃしゃり出て、原理的に応えにならない人間が応えているというのが、なおさら笑える。自民党の学術会議見直し(部会)とかも、全く同じ事である。
- 古今東西の権力と学問 (文科系) 2020-10-22 14:16:29
- 標記のことだけど、古今東西の諸国家行為でこう言える。権力が「今までの習慣を破って」ある学者を「名が売れないように」とか「社会の表面に出さないように」とかする時には必ず、こういう思惑がある。
「彼の学説、議論、そのある部分を社会からシャッタアウトしたい」
これが重大なことだと、物の分かった人々が非常に重く批判しているのだ。それに対して、今後のために理由を語るべきと批判されている権力ではない者が横からあれこれ弁護するって、滑稽極まる。
そもそも、こういう時の権力弁護者には、碌な人間はいなかったはずなのだ。学者にしても、その卵にしても、マスコミ人にしても、愚かな出世主義者、時流に迎合して「見せる」者。