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学術会議問題、重大すぎる「舞台裏」  文科系

2020年10月11日 01時38分46秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 今回のこの問題には、一つの重大すぎる舞台裏があると気づいた。この問題が、学術会議の幹部である学者達が今回ある「決意」をしなかったら、社会問題化せぬままに、政府の「焚書坑儒」方向が密かに進められてしまっていたということだ。その「決意」とは以下のようなものだと、今は推論できるのである。

 何年か前から複数の候補者を出させて、政権が密かに弾き出す学者を作って来た。だからこそ今回は学術会議側が候補者数ギリギリの名簿を提出した。これによって、政府側が「理由も示さず、6名の学者らを切った」という既成事実を作り上げ、それを国民に公表することが出来たということなのだ。その上で「理由を示せ」と政府を詰問できることとなって、新首相が「総合的・俯瞰的」等と訳の分からぬ事を繰り返す事態を作り上げたわけだ。

 さて、事が「日本学術の国会」とも言われる日本学術会議の歴史的出来事である。ついては、別の世界ではこんな事が密かにどんどん起こり、進められてきたのではなかったか。マスコミ界とか、言論界とか、学者の教授就任、「社会的抹殺」などなど・・・にも。つまりこういうことだ。こういう「焚書坑儒」の社会史的な流れは、政府側は全面的・計画的に作り上げていくが、抵抗する側は個別にしか対応できず、必ず破れていく運命にあったのではなかったか、と。個別対応で、政権側がこれに対して「総合的・俯瞰的・・モグモグ・・・」等と密かに対して来れば、個人ではだれも抵抗も、その成功などさらに、おぼつかないからである。

 こうして、今回のこの日本学術会議がやったことは、「組織としての計画的抵抗」であって、以上全ての政権の「焚書坑儒」をめぐる社会情勢を明るみに出したものと推察できるのではないか。だからこそ今回のことは、日本史に残るような歴史的な大事件なのである。それも、やった方の政権側は、「この歴史的後遺症などをほとんど自覚していない」それ。だからこそまた、僕はこんなことを考えるのである。

「東條英機内閣の一挙手一投足に国民がこぞって熱狂するような社会は、いつ、どこで、どう踏み切られてしまったのだろうか?」

 ちなみに、今回のこの日本学術会議事件でも、大学の軍事研究、集団安保などが、学者らと権力との重大「争点」、伏線として存在していた。これは、今全ての新聞などが明らかにしているところだ。  

コメント (3)
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