この問題、やっと標記のことが見えてきたようだ。首相自身がいくら問いただされても一向にその理由を語らないのは、選挙を前にしてその邪さを言葉にして、見抜かれたくはないからだ。なんせ安倍政権の7年は、選挙のためにだけに政治をやってきたようなものだったからである。
さて、日本学術会議会員推薦却下問題で、ある官邸幹部がこう語ったと、朝日新聞報道にあった。
『学術会議は実績や能力で判断している。こちらはそれ以外で判断している。両方が納得する理由なんてない。人事の理由を説明しても仕方ない』
この言葉には、ことの背景の考え方全てが示されている。日本学術会議の学者としての実績などどうでも良く、今の政府に都合が悪い学者を学術会議から全て排除したいということだ。加えるに、選挙で大勝した国会勢力に基づいた議院内閣制内閣は、こうして、自分らの考え方に合わぬ知識人らは全て世の表舞台から去っていただくと、そういう決意を示してよしとしたのである。
であるから、この内閣は怖い。そして、この怖さについてさらに僕はこう推察する。管内閣に積年の自民党念願事項をどんどんやらせていく。それが国民に批判された時に、また安倍晋三の三回目の登場で、日本会議方針の実現と、そういうことではないか。ちょうど、アメリカが保護貿易、原油のドル支払体制、イスラエル念願の実現など積年の課題をトランプ暴力で押し通させたように。
こうして日本国は今、こういう岐路に立たされているのだと思う。天皇、軍隊の新たな思想で日本を「再建」し直していく「日本会議」流政治の流れへの反対勢力をば、理由も語らずに暴力的・無条件に押しつぶしていく道へと、後戻りできないような一里塚、ルビコンを現政権が渡ってしまったのだと。学術の殿堂、その人文・社会系学者を押しつぶすとは、そういうことに他ならないはずだ。この日本はまた再び日本会議流「天皇教信者」への批判が出来なくなってしまうのであるか。
日本学術会議とは、こういう存在だと聞いてきた。日本最高の学術者たちに、政府諮問への提言をさせる組織であると。ところが、安倍政権になってから、この諮問自体がほとんどなくなってしまった。これはどういう意味かというと、学術会議がではなく、安倍政権の構想、思想の方が、どんどん現代学問から離れてきたということだろう。だからこそ今回のことは、政治のそういう学問離れの一つの集大成なのである。そういう意味でも現自公政権は日本政治のルビコンを渡ってしまったと言えよう。これは確かに、こういうことかも知れない。「学問に時代、政治を合わせるよりも、時代、政治に学問を合わせよ」と。ただし、こういう政府が悲劇を招かなかった事例は世界史上存在しなかったのではないか。現代の人文・社会系学問とは、民主主義や平和をこそその原理とするものだったはずなのだだから。