昨日の朝は目ざめた時ぐったりとした体のだるさを感じました。季節の変わり目&一昨日の忙しさの疲れが出たのでしょうか。喉が痛いので薬をのんでいる影響もあると思います。明後日また出勤日だと思うと、それだけでぐったりと疲れを感じるし、ぞっとします。今の業務は今年いっぱいもちこたえれば十分でしょう。怒りとストレスのはけ口となる、感情労働を強いられる、ほんとにいやな仕事です。終わったら、自分はどこでどうやって生きていけばいいのかわかりません。頭がどうにかなりそうなぐらいきついので今は全く考えることができません。勤めるということは、今どこにいってもこうして頭がおかしくなりそうなぐらいにきつい思いをしないと給料をもらうことができないものなのでしょうか。10年以上クソみないな会社にいた間に、世間のことがわからなくなってしまいました。当初スタートした人たちの5分の1ぐらいは契約更新しないで辞めていくようです。そもそも私の前任者は2日しか出勤しなかったそうなので、スタートからフェイドアウトする人は後を絶たないわけで、それもうなずけます。長く続けていくのは無理な業務です。最長でも年末なので長くないですけどね・・・。
憲法記念日の昨日は妹の誕生日でしたが、特になにもしませんでした。ただいつもどおり、心の中で想っているだけです。遺品整理をしていて出会った手作りの黒いシャツを通勤用に着用しています。少し大きめ、洗ってもシワにならないし、下着が厚手でもごわつかないので助かります。こうして私が着倒してやがてお別れしていけばいいんじゃないかと思います。こうして私が着用できるのはたくさんある手作りの洋服の中のほんの一部。年齢を考えるともう私が着用することはできず、実家のある自治体の、リサイクルされることを前提とした廃品回収の日に合わせて出さざるを得なかった洋服もたくさんあります。すごく丁寧に作られたジャケット、ベスト、スカートの三点セット。心がいたみました。どこかで生かされていることを願います。下着類の中でも、私が着用しています。九州の地震もまだまだ予断を許さない状況のようです。大丈夫なんて言っていないで原発とめましょうよ。ほんとにおそろしい。原発事故が起こって東日本が壊滅状態になり、荷物を全部おいて逃げ出さなければならないのではないかという恐怖感に襲われながら仕事をしていたことを思い出します。リスクをコントロールできないようなものはやめましょうよ。人間どもいい加減にしろよ!って愚かな人間どもに地球が怒っているように思えてなりません。日本は三権分立と言っているけれど、実態は政と官と大企業が仲良く手をつないだ上に社会は成り立っており、司法は決して正義ではなく制度そのものがすごく弱いこともわたしなりによくわかりました。大企業の責任は追及されることなく、弱者の自己責任にしてしまうような判例が一度できてしまうとそれを覆すことは容易なことではありません。それが日本の現実。大手の報道は死にかかっていることもわたりなりにわかりました。このまま暮らし続けていることに不安を感じていますが、かといってアジアも北米もヨーロッパも今はこわくていけません。日本がいちばん安全なのしょうか。つらつらと考えることがあります。
震災のあと、パソコンでニュースの画面を立ち上げながら会社で懸命に働いていたことをいやでも思い出してしまいます。もう忘れたいと思っても13年間は長すぎました。まちがいなく私の人生の一頁。体にしみついてしまっているので忘れていくのはやはり容易ではありません。震災直後の4月1日付のタテマエだけの組織替えに振り回されました。10年近く二人分労働のオーバーワークが続いた挙げ句、社員と区別?差別?されて、まるでほされたような存在になってしまった、その怒りと悔しさ。会社への幻滅は私の中ですさまじかったです。どうにも苦しくって仕方ありませんでした。かえすがえすに組織の意思決定権を持つ者たちが目先の事しか考えていない、くさりきった組織でした。昨今のニュースをみていると、大会社病にとりつかれているのはどこも同じなのか、という感じですが・・・。
全くいやな記憶ですが手帳を少しだけ振り返ってみます。以前は書くのを控えていました。
「2011年3月31日
飲み会に参加した。3時頃就寝。今日で10年間親しんだ部が終わる。
2011年4月1日
新年度。突然仕事がなくなり、世界が変わってしまった。あまりにもばかばかしくてやってられない。こんな時でも、日常生活を奪われた人たちが何万人もいるこんな時でも、組織の上に立つ人たちは自分を守るために、ことなかれ主義になるんだなあ。原発の記者会見をみていても、会社にいてもつくづくそう思う。現場で真面目にがんばる名もない人々と組織の上に立つ愚か者たちとの落差。怒りは認知行動療法でごまかせるものではない。」
今日も世界中でいろいろな事が起こっており、一番リスクを背負うのは一番弱い立場の市井の人々。私は疲れちゃっててなにもできずです。
久しぶりに春のプリンス・エドワード島の写真と共に綴ってみました。
憲法記念日の昨日は妹の誕生日でしたが、特になにもしませんでした。ただいつもどおり、心の中で想っているだけです。遺品整理をしていて出会った手作りの黒いシャツを通勤用に着用しています。少し大きめ、洗ってもシワにならないし、下着が厚手でもごわつかないので助かります。こうして私が着倒してやがてお別れしていけばいいんじゃないかと思います。こうして私が着用できるのはたくさんある手作りの洋服の中のほんの一部。年齢を考えるともう私が着用することはできず、実家のある自治体の、リサイクルされることを前提とした廃品回収の日に合わせて出さざるを得なかった洋服もたくさんあります。すごく丁寧に作られたジャケット、ベスト、スカートの三点セット。心がいたみました。どこかで生かされていることを願います。下着類の中でも、私が着用しています。九州の地震もまだまだ予断を許さない状況のようです。大丈夫なんて言っていないで原発とめましょうよ。ほんとにおそろしい。原発事故が起こって東日本が壊滅状態になり、荷物を全部おいて逃げ出さなければならないのではないかという恐怖感に襲われながら仕事をしていたことを思い出します。リスクをコントロールできないようなものはやめましょうよ。人間どもいい加減にしろよ!って愚かな人間どもに地球が怒っているように思えてなりません。日本は三権分立と言っているけれど、実態は政と官と大企業が仲良く手をつないだ上に社会は成り立っており、司法は決して正義ではなく制度そのものがすごく弱いこともわたしなりによくわかりました。大企業の責任は追及されることなく、弱者の自己責任にしてしまうような判例が一度できてしまうとそれを覆すことは容易なことではありません。それが日本の現実。大手の報道は死にかかっていることもわたりなりにわかりました。このまま暮らし続けていることに不安を感じていますが、かといってアジアも北米もヨーロッパも今はこわくていけません。日本がいちばん安全なのしょうか。つらつらと考えることがあります。
震災のあと、パソコンでニュースの画面を立ち上げながら会社で懸命に働いていたことをいやでも思い出してしまいます。もう忘れたいと思っても13年間は長すぎました。まちがいなく私の人生の一頁。体にしみついてしまっているので忘れていくのはやはり容易ではありません。震災直後の4月1日付のタテマエだけの組織替えに振り回されました。10年近く二人分労働のオーバーワークが続いた挙げ句、社員と区別?差別?されて、まるでほされたような存在になってしまった、その怒りと悔しさ。会社への幻滅は私の中ですさまじかったです。どうにも苦しくって仕方ありませんでした。かえすがえすに組織の意思決定権を持つ者たちが目先の事しか考えていない、くさりきった組織でした。昨今のニュースをみていると、大会社病にとりつかれているのはどこも同じなのか、という感じですが・・・。
全くいやな記憶ですが手帳を少しだけ振り返ってみます。以前は書くのを控えていました。
「2011年3月31日
飲み会に参加した。3時頃就寝。今日で10年間親しんだ部が終わる。
2011年4月1日
新年度。突然仕事がなくなり、世界が変わってしまった。あまりにもばかばかしくてやってられない。こんな時でも、日常生活を奪われた人たちが何万人もいるこんな時でも、組織の上に立つ人たちは自分を守るために、ことなかれ主義になるんだなあ。原発の記者会見をみていても、会社にいてもつくづくそう思う。現場で真面目にがんばる名もない人々と組織の上に立つ愚か者たちとの落差。怒りは認知行動療法でごまかせるものではない。」
今日も世界中でいろいろな事が起こっており、一番リスクを背負うのは一番弱い立場の市井の人々。私は疲れちゃっててなにもできずです。
久しぶりに春のプリンス・エドワード島の写真と共に綴ってみました。