たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

苦しかった日々を思い出す

2017年04月29日 19時42分20秒 | 祈り
平成18(2006)年12月17日
精神保健福祉士養成講座
スクーリング
「心理学」科目修了試験解答用紙より

①自分の中のイラショナル・ビリーフを例を挙げて説明せよ。

職場の上司は、非常に神経症でいつもイライラしており、部下への要求レベルも完璧を求めており、部下への要求レベルも完璧を求めている。時にはストレスのはけ口として八つ当たりすることもある。その度に、私は、心の中で自分はこんなにがんばっているんだぞ、と腹を立てる。そうやって自分を正当化することで私は自分の立場を一生懸命に守っている。と同時に、怒りの感情を外に出さないよにと蓋をしていることには無理があり、アパシー(無感動)へとおちいりかねない。こうしたことに気づけたことは大切なことだ。


②ホーナイの神経症的悪循環を自分に当てはめて述べよ。

行動のワンパターン化、潜在能力と実際の業績との不一致、の二つが特徴。有期契約雇用として働いているのでいつ仕事がなくなるのだろうという不安が常にある。自分の立場を守るために、無表情・無感動になろうとする。上司や同僚との関係は、敵対関係になってしまっている。自分はここにいていいのだろうか、とさらに不安は強くなる。こうした悪循環から抜け出せないでいる。


③授業を受けての気づきと感想。

日常生活の中では、自分自身をゆっくりと振り返ることがなかなかできないまま、自分を守るために、素直な感情を押し殺さなければならないとずっと思い込んできた。そのために、無表情な自分にあえてなろうとしているようなところが私にはある。そんな自分は、とても無理をしており、ストレスが胃の痛みとなって現れている。
10月・11月の地域生活支援センターでの実習の中で、あらためて気づかされた。
「少し見方を変えてみようよ、そうしたら気がついたら自分が変われているよ、もう少し楽になろうよ」。
施設長が繰り返し私に伝えてくれたことだ。
私は自分で自分をがんじがらめにしばりあげ、こんな自分ではいけない、あんな自分ではいけない、と足りないところにばかり目を向け、己を鞭打ち続けてきた。それは、自分をしっかりと見つめ直し、反省し、向上心をもって前に進むこととは少し違っていたようだ。怒りの感情を表現することは難しいが、少なくともこんな自分もあんな自分も自分なんだよと、素直に心の中では認めてあげたい。そしてこれからはもっと自分をかわいがってあげたいと思う。
国家試験を離れて、是非先生のお話をもう少しゆっくりきける機会があれば、と思います。
短い時間でしたが、身近にひきよせて考えさせられるお話で面白かったです。
ありがとうございました。
自分の素直な感情を表現できるような場や関係性をつくっていければと思います。

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 11年前の自分と再会してみました。授業の内容を思い出すことはもうできませんが職場生活の中で必死に蓋をしていた自分の気持ちがすごく揺れ動いたことを思い出しました。契約社員の仕事をみつけたはずだったのに、気がついたら特定派遣会社から登録派遣会社へと派遣元移籍までしてクソなカイシャで働き続け、名目上事務派遣だったわたしの二人分労働の日々。カイシャには一言も言わずに国家試験の勉強をし、実習でさんざん休んだ直後のすくりーリング、ピリピリ上司からのプレッシャーを受けながらも休むために、出勤日は働いて働いてスクーリングのために休みました。名目上の雇用主だったハケンカイシャにタイムシートを送るの忘れたことに気づいて、あわててカイシャに電話して社員の男の子にファックスで送信してもらいました。その男の子は、わたしが働き始めた年の新入社員でしたが、わたしよりも先にカイシャを去りました。8年目ぐらいだったかな。幾重にも重なりあったねじれの中で窒息しそうになりながら勉強と両立させていた苦しい日々でした。こんなに苦労して取得した資格。今たまたま運とタイミングで、自分の想いにかぎりなく近い場所との出会うことができるのか、わかりません。出会えなくてもそれはそれでよし。また一円も稼げなくなったと思うとすごく不安ですが必要とされる場所、日中の居場所との出会いは必ず訪れると信じます。妹と両親が守ってくれていると信じます。

 明日は自分へのご褒美に宝塚のライブビューイング。ずんこさん以来の宙組なり。