今日は水曜日ですか、今週あと二日ね。明日はまた雨ですか。実稼働日数残り18日になるのかな。どうやらこんな仕事ありますよとか続いてどうですかとかいうことはわたしにはなさそうな気配です。すっごい馬力のあるOBのおじいちゃんに声をかけたようでわたしは用なし、洋梨。なんかこんなドラマありましたね。また収入が途絶えると同時に社会のどこからも誰からも必要とされない孤独な日々が訪れるのかと思うとつらいですが、さりとてまたさがして最初からスタートするだけの気力はどこからもわかず、今目の前のことを粛々とやるのみ。「もうこれ以上がんばらなくていいよ」って自分に言ってあげたいです。だって、生活があるから、己に鞭打って、鞭打って、鞭打って、ほんとに鞭打ってがんばり続けた結末がなんの補償もないまま使い捨てですからね、カイシャにご都合よろしく働いてきたあなたが悪いんでしょ、って最後は全部否定されましたからね、これ以上どうすればいいでしょうか、っていう感じです。十分すぎるぐらいにがんばってしまいました。もうがんばりたくないんですよね。なにをどうがんばればいいのかわかんないんですよね。社会のグレーなところを知り過ぎてすっかり希望が持てなくなってしまって、今も希望を見い出せないことにはかわりありません。今の社会のどこに希望がありますか、って人にたずねてみても誰も答えられません。希望なんてないんじゃないかな。そんなことないですか。ここにちゃんと希望もあるよ、そんな悪いことばっかりじゃないよ、って思える場所ってありますかね。たまたま運とタイミングでこの一年余りやってくることができましたが息詰まるような場所だし清掃が入らないので外からはわかりませんが実はすごく汚いし、いつも忙しい、忙しいできりきりしているし、カイシャで働き過ぎたわたしにはそこまでもエネルギーがないし、漠然としたイメージでいいって言われるほどいいわけでもないんだとわかりました。なにがいいんでしょうね。わかんなくなりました。基本的生活基盤の補償というプレッシャーから自分を解放してあげるためには家に帰るしかないんですよね。遺品整理もまだまだあるし、自分の断捨離もあるし、小説書けたらいいなと漠然と思ったりしているし、限りある残りの人生の時間、これからどこでどうやって生きていけばこの世を旅立つときいい人生だったと思えるのでしょうか。答えがみつけられないまま、帰ってきたら今日もだらだらと動画やらツィッターやらみて息抜きしました。だらだら必要。でもそろそろ明日の支度の時間。
「一人で抱えきれない 切ない想いがあったなら 誰かを愛してごらん 奇蹟が芽生える」
先日の宝塚のショーで歌われた歌詞、涙が出そうになりました。誰も愛せないわたしは一年余り、誰にも会うことなく、誰とも食事することなく、ひたすらやり直しの日々を粛々と歩んできました。さみしいですかね、こんなわたし。でもこれがわたしだからしゃあない、しゃあない。明日もなんとか、かんとか無事に終わっていきますように・・・。
今日も徒然日記でした。
「一人で抱えきれない 切ない想いがあったなら 誰かを愛してごらん 奇蹟が芽生える」
先日の宝塚のショーで歌われた歌詞、涙が出そうになりました。誰も愛せないわたしは一年余り、誰にも会うことなく、誰とも食事することなく、ひたすらやり直しの日々を粛々と歩んできました。さみしいですかね、こんなわたし。でもこれがわたしだからしゃあない、しゃあない。明日もなんとか、かんとか無事に終わっていきますように・・・。
今日も徒然日記でした。