たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組地方公演『仮面のロマネスク』(2)

2017年04月22日 23時35分53秒 | 宝塚
(1997年雪組初演『仮面のロマネスク』プログラムより、脚本の柴田侑宏先生の記事)

「=原作について=

 恋の情熱を、人間が生きていく上に最も価値のあるものと謳い上げたのは、「赤と黒」 のスタンダールだが、そのスタンダールが注目し称賛した作品がこのラクロの「危険な関 係」であるというのは領ける話だ。この一時代隔たりのある両者が、ある時パリのオペラ 座で出会うシーンが伝えられている。すなわち年配の将軍となっていたラクロの客席(ボックス)に、年若い少尉のスタンダールが訪れて、挨拶し握手を交わしたという。後世作られた話としても 興味深い光景である。さて、このラクロの「危険な関係」は発表の後、発禁の憂き目をみた。その理由は不道徳・反宗教的な恋愛心理を、十八世紀フランスの貴族社会の衣を剥ぎ取るように描いたためとされている。だが後年レイモン・ラディゲやT・S・エリ オットに影響を与え、またジイドやサルトルやマルロオらにその価値を認められている。

 それは恋愛という心の動きが、他の人間関係や社会との係わりのすべてを削ぎ落とした後に純粋な人間の心理として描かれているからだろう。そこには精神的肉体的欲求のまにまに、人智を絞り尽くしての純度の高い恋愛心理の探求がある。時にはゲーム感覚ともいえる心の動きを、理詰めに追求して行く試みや、洗練された貴族的な感覚で決めていく刹那的な切れ味の面白さもあって、これは蒸留された典型的な恋の心理と言えるかもしれない。高度な科学技術と複雑な経済構造が優先される社会の中では、恋愛が時には不純に歪められ、時には軽視され踏みつけられている。

 貴族社会であるゆえにアナクロニズムのようにさえ見えるこの作品の世界を、現代を生きる人々に見てもらうのは、軽視されつつある恋の情熱と愛の本質を、追憶ではなく感じ取ることができればと思うからである。ここに登場する人物たちの心の動きや、恋の形の片鱗は、私達の身辺のあちこちに潜んでいるのではなかろうか。

=脚色にあたって=

 なお、原作を尊重しないわけでは決してないのだが、結末が勧善懲悪的な、主人公たちの無残極まる滅びになっているのは、作者の本意ではないのではなかろうかと思えたので、脚色にあたって、その主役たちの結末を、時代の流れの中で、貴族としてそれぞれの立場を守りながら恋に殉じて行く姿に改変した。また、他の貴族の青年たちや召使たちなどの世界も、原作から抽出して少し拡げて描いてみた。ブルジョアジーたちも、この時代の貴族たちを脅かす一つの勢力として顔を覗かせてみた。このドラマには四つの舞台空間が交錯する。一つは、セシルが純真であるためにヴァルモンの標的になりながら、その処女的心情はダンスニーに捧げられる自の世界。トゥールベルは肉体も精神もヴァルモンに奪われ、その歓喜・悔恨・懺悔と行き詰まる空間、青の世界。またベルロッシュ・ダンスニーはじめ隠された男たちとの恋と欲望を知的に包み隠すメルトゥイユの空間、赤の世界。最後に原作を永遠たらしめたヴァルモンとメルトゥイユの灼熱の恋愛と絶望的な悪が混沌と渦巻く真実の空間、言うなれば黒の世界。メルトゥイユの最後のセリフのように、仮面をかぶらなければ自由に生きられない人たちの溜息を混じえて、こんな舞台を創ってみた。」

 3月31日の神奈川県民ホールから4週間。久しぶりの宝塚の舞台は楽しかったなあとよみがえってきます。気がつけば役者さんたちと親子でもおかしくないぐらいの年齢になってきたのでもう観劇することはないと思っていましたが復活してみるとやっぱり楽しくて、誰に迷惑かけるでなし、そんなことを気にするのはやめることにしました。人生の楽しみのひとつ。見逃してはもったないというわけで、また少し思い出し。

 20年前の高嶺さんヴァルモンが、トゥールベル夫人の部屋を出て、セシルの部屋に向かおうとする場面、「次はセシルだ」っていう台詞の声、今も記憶に残っています。暗転する前のほんの一瞬の場面ですが、演じる人によって違うヴァルモン子爵の色がけっこうわかる場面かなと思います。高嶺さんヴァルモンは抑えをきかせた渋い色気。明日海さんヴァルモンは華やかさのある可愛い色気。どちらもよきかな。

 初演のときにはほとんど気づいていなかったヴァルモン子爵ととメルトゥイユ侯爵夫人を取り巻く貴族、召使たちの世界も心に入ってきて、仮面をかぶらなければ生きられなかった人たちの溜息がリアルに自分の中に沁みこんできたのでした。

 メルトゥイユ侯爵夫人を演じられた仙名さん、赤いドレスを着ているときの体のラインがすごく綺麗でした。明日海さんヴァルモンと仙名さんメルトゥイユが対峙する場面、ヴァルモンの心にトゥールベル夫人への恋心がぬぐい切れていないことを見抜いたメルトゥイユが嫉妬をあらわにする場面、鏡にお二人の姿が映るようにみせる演出がすごく美しかったです。実際にはお二人の影が演じていらっしゃったのですが鏡に映っているようにみえて素敵でした。芝居・歌・様式美で魅せてくれた場面でした。明日海さんヴァルモンがトゥールベル夫人に膝まづいて迫っていくときの、横顔と伸ばした足の美しかったこと。女性が演じる男性ならではの色っぽさと様式美にあふれていました。トゥールベル夫人のヴァルモン子爵に反発しながらも惹かれていく心のせめぎあいの表情とダンスの表現もすばらしく、初演の星奈優里さんがだぶりました。『金色の砂漠』で王女タルハーミネの妹を演じていた方なんですね、素敵でした。
 
 役者さんの名前がわかっていませんが、ヴァルモンの従者アゾランとセシルの召使リーザが恋人どうしで、「お宅のご主人いったいどうなっているの」「一緒にみにいこか」みたいな仲睦まじいといえば睦まじいふたりのやり取りの場面。銀の食器など金目のものを盗んでいこうとしてすぐにみつかってしまうメルトゥイユ邸の召使三人組が客席の笑いを誘う場面、言い逃れの内容は毎回アドリブだったのかな。この日は頭に壺をのせたまま「これからダンスの練習を・・・」「日本舞踊の練習を・・・」といった感じでした。なにげにしっかりとした芝居が合間、合間にはいってくるのが、四つの世界が交錯する中でけっこう重要なんだなとわかりました。革命広場へと集結する市民の姿が終盤で登場するのも柴田先生の脚本の秀逸なところ。再演を観劇することは自分の中のささやかな歴史と自ずと向き合うことにもなり、幾重にも感慨深いものがあったのでした。

 稚拙ですがまた少し思い出し、オタクにしかわからない観劇ブログでした。

第三章 日本的経営と女性労働 その歴史の概観 ⑤男女雇用機会均等法制定に至るまで

2017年04月22日 15時41分53秒 | 卒業論文
先に見た低成長期に、女性労働者の差別処遇の改善に踏み出した例として75年に勝訴した秋田相互銀行事件がある。これをきっかけに78年4月までに23行で約20億円にのぼる賃金差別を是正させた。他方、昇進・昇格差別、不当な配置転換、職務配置差別など、新たな分野も開拓され、雇用期間中の差別処遇が一つ一つ改善されている。この時期、このように雇用の平等をめぐる運動が発生したのは、世界的に展開された男女差別撤廃運動に負うところが大きい。75年の国際婦人年で、現代の男女平等とは「平等・発展・平和」であり、平和で豊かな社会づくりへの女性参加であると謳われて以来、日本でも、女性の社会参加と性別役割分業の撤廃が進展した。この運動は「国際婦人の10年」(1976-85年)に引き継がれ、79年には「女子差別撤廃条約」(「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)が、また81年には、ILO(国際労働機関)で「家族的責任条約」が採択された。国際婦人年以降の新たな男女平等理念とそれを実現するための戦略が、条約として相次いで成立したのである。このような国際情勢の下、また、直接的には、80年の「国連婦人の10年」中間年の世界会議で日本も「女子差別撤廃条約」に署名したため、これに批准するには雇用の男女平等を保障する法律を日本国内において制定せざるを得なくなった。労働組合や野党、その他各種団体は、「男女雇用平等法」の制定を要求したが、「国際婦人の10年」最終年の85年にようやく成立したのは男女雇用機会均等法」であった。 1)

均等法制定に至る経緯を具体的に見ていきたい。雇用の分野における男女平等法制の整備構想が労働省において最初に採り上げられたのは、労働基準法の施行の実情及び問題点について調査研究を行うため昭和44年に労働基準局に設置された労働基準法研究会(労働大臣の私的懇親会)の1978年(昭和53)11月の報告においてである。この報告では、表3-1のとおり、「男女平等を確保するためには、明文をもって性差別を禁止」する新たな立法を行う必要がある等の旨が提言されており、その内容は雇用の分野における男女平等法制の基本を集約したものとなっている。

続いて、日本が均等法制定を推進する契機となったのが「女子差別撤廃条約」である。世界の女性の憲法といわれる「女子差別撤廃条約」は、1979年( 昭和54)の第34回国際連合総会において採択された。国連は1945年(昭和20)創立以来、様々な文書で基本的人権と男女平等をうたってきたにもかかわらず、女性に対する差別が広く存在していることから、新たな理念に基づく積極的な取り組みが必要とされ、1975年(昭和50)を国際女性年と定め、世界が女性差別撤廃へ向けて歩み始めた。その年メキシコで開かれた第1回世界女性会議の決議に基づき、国連はこの条約を採択したのである。表3-2のとおり、1条に女子に対する差別とは、「性に基づく区別、排除又は制限」であると定義され、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、「女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ、遅滞なく追求すること」が求められている。ポイントは、性に基づく区別も差別につながること、また、差別する目的がなくてもその効果がある行為は差別だということである。雇用の分野に関しては、11条で女性に対する差別を撤廃すること、婚姻又は母性を理由とする女性に対する差別を防止すること等女性に対する差別を禁止する立法そのほかの措置をとることなどを締約国に義務づけている。

中でも、日本では戦後労基法において「保護」された女性の「母性」に関する規定に注目したい。女性に対する差別は女性のみが持つ妊娠・出産機能を理由として始まった。これは社会の存続にとって不可欠な機能だが人権の立場からみれば女性の人権の問題である。女子差別撤廃条約は前文で母性の社会的重要性を強調すると共に出産における女性の役割が差別の根拠になるべきではないとし、妊娠や母性休暇を理由とする解雇を制裁を課して禁止し、不利益を伴わない母性休暇の導入や妊娠中の保護を規定している。こうした規定から明らかなのは、条約は女性のみの保護は妊娠・出産に関する母性保護に限定してより充実させると共に、生殖機能を含む健康と安全については女性の保護を廃止するのではなく、男女共通の保護として拡大していくべきだとしている、ということである。すなわち家族的責任も健康も男女共通の保護が必要であるという考え方に基づいて、母性と健康(男女共に)が損なわれることのない労働条件の確保を締約国に義務づけているのである。日本はこうした「女子差別撤廃条約」に批准するために、均等法を制定した。11条1項には、「同一価値の労働についての同一報酬及び同一待遇についての権利並びに労働の質の評価に関する取扱いの平等についての権利」が規定され、日本はこれに批准したのである。その際、同一労働同一賃金に関しては、労基法4条に合理的理由のない男女間の賃金格差を違法とする規定があるから批准の条件を満たしているとされた。

女子差別撤廃条約の批准問題等を踏まえ、 1978年( 昭和53)から均等法の制定に係る審議を行った婦人少年問題審議会は、その審議が開始されてから6年を経過した 1984年(昭和59)に「雇用における男女の機会の均等及び待遇の平等の確保のための法的整備について」(昭和59年婦人少年問題審議会建議)を労働大臣に提出している。1984 年(昭和59)の婦人少年問題審議会建議においては、「審議の経過及び報告の内容を十分尊重して、婦人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の批准のための条件整備として必要な法的整備を速やかに行うよう」要請されているとともに、「法的整備の検討にあたっては、現状固定的な見地ではなく、長期的な展望の上に立って行うことが必要であり、原則として、企業の募集・採用から定年・退職・解雇に至る雇用管理における男女差別的取扱いを撤廃し、女子保護規定は母性保護規定を除き解消することが求められるところである。」とし、法のあるべき姿が示されている。しかし、同時に、「法律の制定、改廃を行う場合には、その内容は将来を見通しつつも現状から遊離したものであってはならず、女子労働者の就業実態・就業意識、我が国の雇用慣行、労働時間をはじめとした労働条件等労働環境、女子が家事・育児等の家庭責任を負っている状況、女子の就業と家庭生活の両立を可能にするための条件整備の現状、女子の就業に関する社会的意識等の我が国の社会、経済の現状を十分踏まえたものとすることが必要である。」として、「総合的に勘案すると、法的整備は、機会の均等及び待遇の平等を確保するための法制と女子保護法制との調和を図りつつ、全体として我が国の雇用における男女の機会の均等及び待遇の平等を促進する観点から行うことが望ましい。」と提言されている。 2)

81年に採択されたILO(国際労働機関)の「家族的責任条約」にも少し触れたい。ILOは、女子差別撤廃条約の「性別による性役割分業の変革」の理念を「男女共に職業と家庭を調和させ、差別されることなく働く権利」として、より積極的に保障する家族的責任条約を採択し、日本も1995年(平成7)日本もこれに批准した。それまで長い間、家事や育児などの家族に関する責任は女性が担うものとされてきた。労働力の女性化に伴い、女性は賃労働と無償労働の二重の負担を背負いながら賃労働者としては半人前として差別されてきた。「職業と家庭」の両立は女性だけの問題とされ、そのための保護が差別の理由とされてきたのである。しかし、国際女性年以降「職業と家庭」は女性だけの問題から男女共通の問題となった。そして、家族的責任をもつ男女労働者が差別されることなく、職業上の責任と家族的責任を調和させて働けるようにすることを国の政策の目的とすると定めた(3条)条約が成立したのである。この条約の前文には2つの目的が書かれているが、第1の目的は家族的責任を有する男女労働者間の実効的な平等の実現である。第2の目的は、家族的責任を有する労働者と、シングルや子どものいない共働き夫婦などの労働者との間の実効的な均等の実現である。条約は、家族的責任を有する労働者の特別のニーズに応じた措置(特別措置)と共に、労働者の状況を全般的に改善する措置(一般的措置)をとる必要があると述べている。具体的な措置として勧告の雇用条件の最初に掲げられているのは、1日の労働時間の短縮、時間外労働の短縮である(雇用条件18)。このように家族的責任条約が目指す男女平等社会とは、家族的責任をもつ男女労働者はもちろん、世話が必要な家族のいない人を含め、全ての人が職業生活と家庭生活(私生活)を調和させ、平等で人間らしく生きていくことができる社会なのである。 3)

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引用文献

1)竹中恵美子編『新・女子労働論』87-88頁、有斐閣選書、1991年。

2) 総務庁行政監察局編、『女性の能力発揮を目指して-雇用の分野における女性の現状と課題』37-38頁、大蔵省印刷局、1997年。

3)東京都産業労働局『働く女性と労働法[2003年版]』15-16頁。