たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

気が抜けちゃっています

2017年04月17日 22時36分02秒 | 日記
 月曜日の夜、雨の音、プリンス・エドワード島では雨が降る前に牛が寝転んで動かなくなってしまうって言われているんだったかな、そんなプリンス・エドワード島にまた行けるのかな、この世にいる間に、なんてことばっかりついつい考えてしまうこの頃。なんかね、一つ一つ慣れないことの連続であれほど緊張し続けていたのが、4月に入って仕事は手を離れていき、引き継ぎ書も渡したし、来週の水曜には席もなくなるし、あとは電話応対と限定的な作業だけになったら気がぬけちゃっています。用なし、洋梨。そう考えるとつらくなります。クソなカイシャでハケンだったわたしが干されるようなかたちになった5年前のトラウマを思い出してしまいます。最初から期限が決まっていることだし、そこまでひどいわけではないと思います。わたしの中で勝手にトラウマとだぶってしまうだけ。これほどのクソなカイシャでも、わたしの中で仕事を任されているというのが、自分の食いぶちを自分で稼ぐことができているというのが自信だった。それを打ち砕かれ、果ては弁護士に全部否定されてずたずたになり擦り切れるだけ擦り切れのすりへり。なんか自分のこの経験がやっぱり壮絶すぎてしまって、そんなつもりは全くなかっただけに代償が大きすぎました。誰にもわかってもらえないし、誰にもいうことはできないし苦しいです。この1年3カ月、緊張の連続、連続で働き続けてようやくここまで回復することができましたが、同時にまだまだ残念ですがクソなカイシャが自分の中に棲みついていることもよくわかりました。電話に出る時気がつくとカイシャの名前を言いそうになっちゃってます。残念ですが13年間はでかいです。この年月を上回るだけ働くことなんてもうありません。残念ですが一番長い歴史を刻んでしまっています。ほんとにクソだとわかってしまったなんて哀しすぎます。わたしの前にやはりこのクソなカイシャで10年間ハケンでがんばったはてに使い捨てられた女性がいました。なにかあったようで悔し涙を流している姿をみかけました。声をかけても何があったかは話してくれませんでした。彼女はどうやって自分の中に悔しさを納めたのか、今どうしているのか気になります。携帯の番号メールで知らせてくれたのに個人アドレスに転送しないままにしたのが心残りです。ほんと悔しいよ、やっぱり。今の就労場所でも希望がみえてこなくってなんだかなあって思います。そんなに悪いことばっかりでもないんだっていう現実に出会うことができていません。わたしが気がつかないだけなのか、わたしの前にはやってこないだけなのか、もうやめましょうかね。今日も美しい動画を視聴して息抜きしました。ほんと楽しい。これでいいんだよ、気に抜けちゃっているし、用なし、洋梨つらいけど、できるだけ笑顔ですごせたらそれでいいです。空気どんよりしているのでなかなかきついですが、できるだけ笑顔で全うする。今はそれだけ、それでいいんです。

 今日も徒然日記でした。