たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

1994年雪組『風と共に去りぬースカーレット編』より_「明日になれば」

2020年03月14日 15時34分13秒 | 宝塚
詩:植田紳爾 曲:寺田瀧雄

「明日になれば

悲しみは明日にしよう
涙をこらえ 泣くのはよそう
人の世に別れはあれど
この世には明日がある

夜が来れば朝が近い
冬が来れば春は近い
明日になれば明日になれば
月は沈み日は昇る

苦しみは明日にしよう
唇かんで 泣くのはよそう
人の世に嘆きはあれど
この世には明日がある」

 気持ちがしずみこんだ夜、ふとこの歌詞が頭の中をいっちゃん(一路真輝さん)の声でリフレインしました。二幕の最後、なにもかも失ったスカーレットが、タラの地に立ちここを守り抜こうと決意して歌われた歌。20頃に読んだっきりの『風と共に去りぬ』新潮文庫全5巻、この世にいる間に読み返したいと思っています。



中国新聞デジタル版_文化とスポーツコラムより

2020年03月14日 12時20分30秒 | 気になるニュースあれこれ
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=621332&comment_sub_id=0&category_id=143
2020年3月11日付中国新聞デジタルより

「沖縄戦で殉職したアーニー・パイルという米国の従軍記者がいた。他の記者が美辞麗句や奇抜さを競っていたのに、兵士の行動や信念をあるがままに打電した。情があって、肉親を案じる家族の多くからも好評を博したという▲その名を冠した劇場が大戦後の東京にあった。戦時下には風船爆弾の工場にされていた東京宝塚劇場である。進駐軍に接収され、米軍専用だった10年間、日本人客は立ち入り禁止だった▲新型コロナウイルスは敵ではないのだろうか。現代の東京宝塚劇場はきのう歌劇団の公演を再開した。兵庫県にある「本家」に続き、場内の換気や消毒を徹底、熱のある人は来場を控えてもらうなど万全を期したと聞く▲待ち望んでいたと喜ぶファンもいれば、早すぎるとの批判もあったはずだ。再開の決断には、勇気も覚悟もかなり要っただろう。何せプロ野球の方は、開幕先送りを決めたばかりである▲アーニーの記事は、酒のような香りもなく、酔う喜びもないが、何人も手放せない水のように多くの人が待っていた―。そう宝塚歌劇団の生みの親である小林一三(いちぞう)は書き残している。人生に潤いをもたらす文化やスポーツも水に似ているのかもしれない。」


祈ろう明日を

2020年03月14日 11時00分20秒 | ミュージカル・舞台・映画
「王家に捧ぐ歌

 祈ろう明日を
 この地上にこそ希望を
 人みな時代から時代へと
 誇らしく語れるように
 そんな世界を私は求めてゆく

 この世に平和を この地上に輝きを
 人みな溢れる太陽浴び 微笑んで暮らせるように
 戦いに終わりを この地上に喜びを
 人みな等しく認め合って お互いを許せるように
 たとえ今は夢のように思えても
 この身を捧げて そんな世界をいつかきっと」

  (湖月わたる公式FC Acrossを参照させていただきました)


宝塚大劇場:2,550席、
東京宝塚劇場:2,065席、
帝国劇場;1,826席、
東京国際フォーラムCホール:1,502席、
日生劇場:1,330席、
シアタークリエ:609席
赤坂ACTシアター:1,324席
梅田芸術劇場メインホール:1,905席
博多座:1,454席

 大劇場日帰りバスツアーも企画していたバスツアー会社のひとつが倒産に追い込まれてしまったようです。大きな劇場の舞台が開くことで、日常が動くことでたくさんの人たちが日々の糧を得ている。わたしの大好きな場所たち、心の糧となっている場所たちに当たり前の日々が一日も早く戻ることを、安心して観劇を楽しみ日々が戻ることを祈る。日比谷シャンテ前、ゴジラがいつも見守ってくれている。