たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宙組『エルハポン-イスパニアのサムライ』じわる

2020年03月23日 19時51分19秒 | 宝塚
 大野先生のマニアックな博識と宙組との融合があとからあとからじわる『エルハポン』。11月30日に宝塚大劇場、1月4日に東京宝塚劇場で観劇したことも2月16日に千穐楽のライブビューイングを見届けたことも全ては夢のごとし。まだ影響なくってほんとによかったです。

(公演プログラムより 作・演出 大野拓史

「実物を拝見したことありませんが、パリのある博物館には「不殺剣」という棒手裏剣に似た日本の武器が所蔵されているそうです。夢現願流という剣術の流儀に用いられた武器で、それをフランス軍は模倣して生産し、第一次世界大戦では飛行機から敵軍に投下して、大いに成果を上げたと言われています。

 夢想願流といえば、江戸時代に仙台藩などで用いられていたものの、明治時代み失伝してしまった、実態のよくわからない謎の流儀。その様な流儀の特殊な武器が、なぜヨーロッパの博物館にあるのか。初めて、「不殺剣」の話を聞いた時、夢想願流が海を渡る様々な可能性を、想像しては胸躍らせた事を覚えています。密命を帯びて潜入した侍か、はたまた逃亡の果てに辿り着いた流れ者か・・・。

 実際には、仙台出身の奥女中が護身用の武器として徳川家に伝えた「不殺剣」を、明治時代に留学した紀州徳川家の御曹司が持参し、それがフランスに残されたものであるようですが、一度抱いてしまった想像、いや妄想は消しようがありません。どうにか形にして見てみたくなり、いつも複数提出する企画案の中に、密かにしのばせておいたものが今回の物語です。」

(『歌劇』2019年11号の対談より)

「芹香;あと、治道が使うという夢想願流が気になっていて。

 真風;夢想願流・・・使うんですか?

 大野;使います。夢想願流は伊達藩では割と多かった流儀ですが、本物がもう残っていなくて。面白い剣なのですが、そのものを見せるだけでなく、それによって生まれる人の繋がりもあればいいかなと。夢想願流自体は当然誰も見たことはないので(笑)、俺こそが夢想願流と思うところでやってください」。

 座付き作家の想像力の翼の広がり、すごいですね。細かい設定をしながら、この想像の余地を生徒に委ねた自由度がいいなあと思います。それぞれが自分で考えて工夫して楽しんでいた舞台。その雰囲気が客席に伝わってきたからより楽しかったのかな。真風さんの殺陣の所作はいずれも美しくてすきのないかっこよさでしたがいちばんかっこよかったのがエリアスの剣を素手で受けて返すところだったというオチもまた楽し。治道の怖れを知らぬさまに、及び腰になって退散し、エピソードではアレハンドロに握手求めていたエリアス、ただのひねくれものではなく筋がとおっていたいい奴でした。治道とエリアス、アレハンドロ、カタリナは何語で会話しているのかしら、ほんとに意思疎通ができたのかしらとか観劇しながら心の中でツッコミを入れつつ、そんな現実的なことをとおりこえた妄想とリアルが融合した、なんともじわる世界観。

 美園さくらちゃんがたまきちと同時退団、潤花ちゃんの異動で遠からず宙組も動いていこうとしています。一回一回、一期一会の出会い。今は別箱がそれぞれ無事に上演されることを祈っています。

 

これからどこへむかっていけばいいのだろう

2020年03月23日 19時26分51秒 | 日記
 連休明け、まだまだごっかん。長い一日がまたなんとか過ぎました。有給休暇を使えるならあと5回の出勤でおわるはず、ここまできても慣れない地域での合わない仕事、怒りと不満と憎しみだらけの環境に、なぜ自分はこんなところへ誘われてしまったのだろうという思いがなんどもよぎります。お隣同士、あんなに仲良くお喋りしているのに、ニコニコニコニコ、ニコニコニコニコしているのにいないとき悪口をいう陰湿さに今日も背筋がこおる思い。ストレスの吐き出しまくりの言葉のきたなさも相変わらずであともうほんとに数えるほどですが一日も早く逃げ出したいです。そっか次はこういう電話がはいるのかっていうタイミング、一年もいないのにあれもこれも理解して頭に入るなんて無理なので突然きかれても頭回らずでドキドキしました。なんとか怒られずにすみました。午後わけわかんない人から怒られましたけどね、口ごもっていてどっからどういう書類が届いてなにを何を知りたいのかさっぱりわからなかったのでききかえしたらいきなり怒られました。オマエデハわからない、わかる奴にかわれ!とこの地域ばりばりの方言で言われたのが汚くしか聞こえなくて吐きそうになっている自分がいました。職員にかわってもらおうとすると都合よくそろって手があいていないと言われ、オロオロ、オロオロ。役職者にかわってもらおうにもすぐには手があいていないとのこと。なんども書け直してきて、そのたびに怒鳴られて最終的には役職者が対応。全く他の問い合わせ先の内容だったようですがなんでもとにかく電話して怒鳴ればなんとかなると思っているらしいところがなんともかんとも。不特定多数相手の電話はほんとに苦手、苦痛でしかない、一分一秒が長い電話当番。明日も含めてあとまだ3回もあります。無事に3月31日を迎えたとしてもその先、自分にはなにがあるのでしょうね。どこへ歩いていけばいいのでしょうね。このまま郷里にいても、利便性の高い生活から不便な生活への切り替えは年齢が高くなってきた身には今さら過酷すぎたとわかっただけでなにも希望がない。このまま家にいてはもうどこへもいけない。逃げ場所もない。また無職、無収入になって家にいたら電気とガスと水道使ってしまうだけなのでいるわけにはいかないのですが一度手放してしまった、駅に近いところで部屋を借りるというハードルがあまりにも高すぎて超えることなど到底無理としか思えずです。わずか一か月半ぐらいの間に気がつけばコロナに世界中がおおわれしまってどうなっていくのでしょうね。どうすればいいのでしょうね。

 昨日雪組の舞台が無事に千穐楽を迎えることができたようで安堵しましたが、指揮の西野先生、3月は5日しか働いていないとなげきのつぶやき。そりゃそうですよ、子供小さいし生活あるのですから。東宝も宝塚も生演奏、場面転換のとき幕をおろした舞台でスタッフさんたちがセットを移動させている音がきこえてきます。時にはハプニングもある生の舞台の醍醐味を味わうことができますが、役者さんたちが稽古期間はお給料でないようにオケメンバーやスタッフさんたちだって舞台の幕があがらないとお給料でないですよね、たぶん。ジェンヌさんたちはどうかな、下級生のうちは阪急の社員で固定給に守られているそうですが上級生になっていくと契約ベースですよね、やはり中止になった分お給料は減ってしまうのでは?と人のことを心配している場合ではないのですが気になります。日本どころか世界は破綻してしまいそうなこの頃、どうなっていくのでしょうね。みんな不安ですよね。

 明日はまた気温がさがるようです。まだ過酷な朝があるのかと思うとそれだけで気持ちうしひしがれ。考えるとつらいばっかりのことは今は考えないようにして明日を生き延びる。なにかをなせるわけではない。誰かの役にたっているわけでもない。また無職になればなんら生産性のあることをやれない奴に逆戻り。なんために生きているのかわからないですが、自分が明日いなくなっても困る人はいないのですが、宝塚の舞台も東宝の舞台もまだまだみていたい。清史郎君が帝国劇場に戻ってくるのを見届けるまで死ぬわけにはいかないのですよ。だから明日もなんとか無事にと思います。

 明日に残せるものなどなにもないこの身。死なないために1,500円で一か月間見放題のオンデマンド配信プランに昨日申し込みました。スカピンとかミーマイとか、ダラダラとなんどでもみたい。3月31日までこれを糧に生き延びていく。家にWIFIあるから可能なことなわけでこれぐらい許されてくださいな・・・。