たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「Show Must Go On!」

2020年03月15日 14時01分23秒 | ミュージカル・舞台・映画
雑誌『ミュージカル』2011年5月6月号より

「井上芳雄のミュージカルに恋をした!! 第48回_Show Must Go On!

 皆さん、地震の被害は大丈夫でしたか? 3月11日、あの大地震が起こった瞬間、僕はシアタークリエでミュージカル『ウェディング・シンガー』の舞台に立っていました。

 最初の揺れが来たのはちょうど一幕目が終わる直前。集中していたせいか舞台上ではそれほど強く感じなかったのですが、袖に入ると何かを掴まずには立っていられないほどでした。そして休憩時間に入りメイク直しをしていた時に、二幕目の上演中止決定が発表されたのです。

 僕たち舞台俳優は皆、「一度幕が開いたら、どんなアクシデントが起こっても絶対に最後までやり通す(Show Must Go On!)」ということを骨の髄まで叩き込まれています。だから上演途中で中止になるなんてことが感覚的に想像できない部分があるのです。今振り返れば当然の決断だったと理解できますが、上演中止の決定を聞いた瞬間は、何かをいきなり断ち切られたようなすごいショックでした。『ミス・サイゴン』で舞台装置の故障のために続行不可能となって中止になったことはありましたが、天災で舞台が上演中止になったのはこれが初めて。その翌日は停電のために、マチネソワレともに中止になりました。そのショックも僕たちにとって大きく、再び気持ちを立て直すのにすごく力がいりました。



 とはいえ地震から日がたち、テレビなどで被災地の甚大な被害を知るにつけ、僕たちのショックなど口に出すのも恥ずかしいほどに小さなことだと思い知りました。そして被災地の方々のあまりにも悲しくつらい日常と、底抜けに陽気な『ウェディング・シンガー』の世界との落差の大きさにとまどい、舞台で顔がこわばる思いをすることもたびたびでした。

 さらに地震直後はやはり劇場に来られない方が多く、劇場の前半分にも満たないお客様の前で演じたこともありました。そんなさびしい客席を前にいつものように賑やかに楽しく歌ったり踊ったりするのは正直言って、辛い部分もありました。お客様も同じ気持ちだったでしょうし、きっと舞台上の僕たちが痛々しく見えたことと思います。それでも素晴らしい反応を下さったことは忘れられません。



 あの震災を境に、人生が大きく変わってしまった方は大勢いらっしゃると思います。また自分たちの生活や人生を、これまでと違う目で見るようになった方々も多いでしょう。
 
 僕たちも同じです。今回の震災は、俳優も含めエンターテイメントの仕事にかかわる人すべてにとって、自分たちの仕事のとらえ方を根本から揺るがす大きな出来事だったのではないでしょうか。

 ショービジネスの仕事は、はっきり言って生きていくために必要不可欠なライフラインではなく、明日からなくなっても誰も死ぬことはありません。そのことを(不況で観客動員全体が落ち込んだ時などに)うっすらと感じさせられたことはあっても、今回のようにはっきりと突きつけられたことは今までありませんでした。しかも華やかな舞台を支える照明や音響は、多くの電力を必要とします。もし停電が続くようになったとしたら、野外のステージで昼間に地声で演じるしかないでしょう。

 震災以来ずっと、「僕たちの仕事の意義って、いったい何だろう」と悩んだり、自分だけでは何もできない無力感に襲われたりする日々でした。

 人の命を守ることを何よりも優先しなければならない時に、エンターテイメント作品を上演していいものか。そのことに賛否両論ありましたし、「NO」と判断し実際に公演を中止した作品もたくさんあります。

 そんな中で上演を続けさせてもらえたことには心から感謝していますし、劇場に足を運んでくださるお客様が日々少しずつ増えて来た時は、「こんなにも嬉しいものか」と感動しました。そして東京公演の千秋楽は、すごい盛り上がり。人を笑顔にするミュージカルの力の大きさをあらためて感じ、僕達が逆に励まされた思いでした。今の僕は、こんな時だからこそ「見たら絶対に楽しい気分になれる」と胸を張って言える『ウェディング・シンガー』のような作品に出演できていたことを、ひとつの救いのようにも感じています。



 井上ひさし先生が「マック・ザ・ナイフ」のメロディーにつけた歌詞に、「劇場は夢を見るなつかしい揺りかご」「その夢の真実を考えるところ」という一節があります。

 僕たちがどんなに舞台で一生懸命演じても、被災地の人たちに直接届くはずも無いし、今すぐ被災者の方々が笑顔になってくれるわけもありません。でも僕たちはこれからも、”夢を見る揺りかご”をそっと揺らし続けたい。そしてその夢が広がって、いつかは傷ついた多くの方に伝わることを信じたい。一人でも二人でも「今だからこそ、この舞台が見たい」「元気になりたい」という人がいてくれる限り、やらせてもらいたいのです。」

 2011年4月8日から6月12日まで帝国劇場では、オリジナル演出版最後の『レ・ミゼラブル』が上演されました。2013年新演出版でもバルジャンを演じた𠮷原光夫さんの帝国劇場大千穐楽、カーテンコールでのあいさつは、大震災の後自分に何ができるか一生懸命考えた時、物資を送ったり泥だしに行ったりよりもこの舞台を一生懸命につとめることが自分の役割だと思ったという内容でした。

2013年11月27日記事:『レ・ミゼラブル』 _ 千秋楽https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c189256464813a67d92728419c72fb36






 東宝初演の『エリザベート』でまだ学生だった芳雄さんが青年ルドルフとしてデビューした姿をみているのでミュージカルのみならず、日本演劇界をけん引していく存在になってきていることに感慨しかありません。エリザは観劇できませんが、秋にシアタークリエで上演がきまった『ダディ・ロング・レッグズ』はまた観劇したいなあと思います。その頃にはまた日比谷に近しい暮らしができるようになっているのか、今は全くわかりませんが観劇は心の糧、劇場という空間は心の揺りかご。何のために生きているのかわからないですが観劇のために生き延びていきたいと思います。




               いちばんこわいのは人から人への攻撃のことば。考え方は人それぞれだけどやさしいことば、あったかいことばを使っていきたいです。                                                                                                                        

なつかしの星組_1996年『ジュビレーション!』

2020年03月15日 09時25分56秒 | 宝塚
作・演出:石田昌也

「夢を 夢を
 磨り減らし
 命を 命を 削って
 生きて行くなんて
 くだらないことさ
 愛に 愛に つまずいて
 恋に 恋に やぶれても
 巡り会い信じ
 生きて行きたい
 涙がかれても
 目をふせないで
 うつむかないで
 顔をあげるんだ
 君の淋しさを
 抱きしめる為に
 僕らはここにいる
 両手をひろげて
 ジュビレーション
 ジュビレーション
 目にも止まらぬスピードで
 ジュビレーション
 ジュビレーション
 時より速く駆けるんだ
 ジュビレーション
 ジュビレーション
 傷つくことを恐れずに
 ジュビレーション
 ジュビレーション
 熱く・・・燃えたい・・・」

 麻路さきさんが星組トップスターとなってから二作目、オペラグラス不要の銀橋が間近にみえる前方席で観劇した記憶があります。当時どうやってチケットをとっていたのか、東宝ナビに電話していたようが気がしますがもう思い出すことができません。

 24年前の作品、石田昌也先生お若い。「特にテーマ性はないバラエティーショー、「 テン ポ、スピード、リズム」そして、星組″ 全員″の圧倒するパワーで押しまくる作品に 、そしてお客様が、時計を見ない 間に 、終わっ てしまう「 退屈しな いショ ー」になればと思います」と。プロローグで麻路さきさんがマイクをつけて宇宙服のような?衣装でさっそうと登場した姿を今もおぼえています。

 一昨年のタカラヅカスペシャルの星組コーナーで歌われた時には、あのリズム感が体の中によみがえってきて、懐かしさに心の中で涙がにじました。20年以上の歳月を経て紅ゆずるさん率いる星組に歌い継がれたことが嬉しかったです。時には批判したくなることもないではないですが、座付き作家が演者にあててオリジナルのショー作品を創り続けている劇団、すごいなあと思います。歌い継がれてきている、元気をもらえる素敵な歌詞が宝石のようにいっぱいちりばめられています。

 




KENSUKE YOKOUCHI 横内謙介

@KensukeYokouchi


今、やるという決断も、止めるという決断も、その責任を、もし我が身が背負うとしたらと、想像するだけで病みそうだ。
もう少し優しい言葉をかけ合うことは出来ないかね。
病死と同じく自殺者が心配だよ、私ゃ。
午後2:42 · 2020年3月11日·Twitter Web App