東日本大震災から9年、9年前の3月11日も朝から冷たい風が吹いていましたが、今日も駅へ自転車で向かう道のりは冷たい向かい風が吹きすさんでいてつらい朝でした。電車の中で勇気をもってかぞえてみると残りの出勤13回、電話当番はあと5回。今日一日なんとか生き延びることができたのでまた一日減りました。ここまできましたが無事終わるのかなあ、ここまできても不安しかない。昨夜カフェをはしごして家に帰ると突然の下痢、事なきを得ましたが2年前ウィルス性胃腸炎になったので焦りました、冷えすぎがよくなかったのかもしれません。自転車も家の中もとにかく冷えて冷えて仕方なく体にこたえます。帰省はかえって自分の体を痛めつけることにもなってしまっていて、帰ってこなければよかったと自分を責める日々。4月1日から無職、家にいたら電気もガスも水道もトイレットペーパーも使ってしまうのでいるわけにはいかないです。かといって真っ暗な郷里近郊、わたしが自転車で動ける範囲に逃げる場所はほとんどない。このまま弟に怒られながら生きていくわけにはいかない、自分だけの居場所をまた見つけていかなければなりません。こんな年齢になって暮らし慣れた街にほんとうにまた戻ることができるのか。そうでなくても不安なところへ突然ふってわいてきたコロナが追い打ち。わたしがいなくなっても困る人はいないし、なんのために生きているのかわからないのでもういいのかなという気持ちがよぎったり。明日いなくなったら荷物残された弟が困りますかね、それだけ。母がいなくなってデカい家で一人暮らしを満喫していたところにお邪魔してしまったわたしがウザイ、自分とやり方ちがうところがいちいち目につく、自分にあわせて当然。あれほどいやだった家に今さらやすらぎがあると勘違いしてしまった自分、滑稽すぎる。この地域にはこの地域のICカードがあるのですが、わたしの体にしみつているのはSUICA、自然に口から出てくるのはSUICA、馴染めない地域での暮らしはつらすぎる。関西はまた遠のきますがオートチャージできるエリアに戻りたい。ほんとに戻れるのかな、不安ばっかり。
ついに選抜高校野球までもが中止せざるを得なくなってしまいました。考え得る限りの最大限の準備をして公演の再開に踏み切ったの宝塚歌劇団も再び中止せざるを得ず、退団発表した雪組トップコンビ、本公演で退団する二人のベテラン上級生娘役さんのことを思うと涙がこぼれてきてしまいます。ライブビューイングのチケット、入手できました。田舎なので競争率はおかげさまで低めかな?せめてせめて3月22日の東京宝塚劇場千穐楽は幕が上がりますようにと祈るばかり。星組は大劇場の千穐楽を死守することができてほんとによかった。戦争も関東大震災も阪神淡路大震災も東日本大震災ものりこえてきた宝塚歌劇団が幕を上げられなかったら他の舞台、どこも幕を上げることができないよ。レミゼやミスサイゴンのアンサンブルの面々にはフリーランスもいらっしゃいます。稽古中はお給料にならないと以前井上芳雄さんがテレビ番組で話していました。舞台の幕が上がらないと報酬を受けとることができない契約ベースの人たちがどれだけいるのか、役者さんたちだけでなく劇場スタッフ、売店の人、売店に品物を納入している業者さん、宝塚なら公演ドリンクや公演デザートをつくっている業者さん、その材料を納入している業者さん、みんなそれぞれの生活があります。実質従わざるを得ない「要請」はそこまで考慮されているのか、救済措置はどうなるのか、人のことを心配している場合ではないのですが心配。日比谷も大劇場も新幹線代をだせば遠征することができる、帰省してからそれだけが心の糧であり、唯一気持ちが上がる場所。
一日も早く平穏な日々が戻ることを祈りばかり。
年度末になってどんどんきている書類。書き方がわからないといって突然きかれてもわからないままわたしが電話で答えたの、間違っていたことがいくつかあってみたいで書類が間違っているとか足りないとか返送したら「たんぽぽさんがいいって言いましたよ」って電話が入ったケースがいくつかあったとか。弁護士に痛めつけられた経験あってお金のためなら手段を選ばない人種だということを実はとてもよく知っていますなどということを話するわけにもいかず、自分の担当の業務と混乱してとんちんかんなことを言っていたらごめんなさいと謝るのみ。この業務をやるセンスがないっぽい。どんな書類がいつ一斉に出たのか知らされないまま、担当外のことでもあるし、突然きかれてもわからなかったのでした。ほんとうにごめんなさい。郷里の生活、苦しいままあと12回の出勤・・・。