たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

LGBT法案(性自認の法令化)強行突破・文化革命進行中

2023年05月11日 17時20分39秒 | 気になるニュースあれこれ
https://twitter.com/takashinagao/status/1656536945017909248

「LGBT法案議論。

推進派、明日、強行突破の様相。

反対派、賛成派、それそれの発言数よりも、政治的パワーで物事が決まるようでは、民主主義とは言えなくなる。

お住まいの地元議員へ、クレームではなく説明に行って、「反対してくれ」とアプローチしてください。」

https://twitter.com/ganaha_masako/status/1656551198160486401


「LGBT法案強行突破
文化革命進行中

国民のことを何とも思っていない
賛成した議員は次回の選挙がないことを今有権者が伝えないと、同じことの繰り返しになってしまいます。」




 この法案がとおってしまうと、女性は公共のお手洗いやお風呂に安心して入ることができなくなるのだということをおそまきながら理解しました。女性を自認する身体は男性が女性のお風呂に入ってきてもなにも言えなくなります。子供たちが性犯罪に巻き込まれるリスクが格段に高くなります。

 日本はとうに法治国家でも民主主義国家でもありません。岸田政権になってからの独裁的な日本破壊の速度が凄まじすぎます。


2023年5月11日みのり先生の診察室ブログ

LGBT法案、当事者らが強い懸念 パスポートで「女性」でも「日本の女湯に入っていいわけない」

「体が男性で男性器があっても、心は女性で「自分は女性である」と主張されたら女子トイレや女湯に入って来ても犯罪になりません。

痴漢だー!と警察に通報しても、通報した女性が「あなたは差別している」と非難される。

そんな世の中になったら公衆トイレにも温泉にも行けません。

すごく危機感を持っているのですが、全然騒がれない不思議。

本当にこれでいいのでしょうか?」


全文は、

https://ameblo.jp/drminori/entry-12801336939.html



2023年5月10日産経新聞WEB、

LGBT法案「百害あって一利なし」島田洋一福井県立大名誉教授

https://www.sankei.com/article/20230510-GRNAXX35WBJFJNA6NEHC4ERO2M/



https://twitter.com/lingualandjp/status/1656458161472286720

「LGBT理解増進法に反対する。理由はは二つ。一つは多分に左派イデオロギー色が強く、伝統社会の解体を狙っている可能性がある。もう一つは、他国の例でもわかるように女性や少女の安全を脅かす場合がある。」

『光源氏の一生』より-「光源氏の死-もののけのこと」

2023年05月11日 00時19分04秒 | 本あれこれ
「おそろしい怨霊-

 話は少しまえにもどりますが、紫の上がひどい苦しみに突然おそわれたのは、六条の御息所の死霊のたたりでした。紫の上は、その後、ずっと健康がすぐれず、衰弱していったのですから、いわば、六条の御息所の怨霊に、とり殺されたようなものです。

 そして、女三の宮も、やはり同じ御息所のたたりで、若い身空で入道せざるをえないようなはめに追いこまれたと、もののけはいっています。宮が、髪をそいだその夜、

 わたしのさしがねでこうしてやった。

 と、からからとうち笑う御息所の怨霊の声を、光源氏はまざまざと聞いているのです。

 六条の御息所は、さきに生き霊となって葵の上をとり殺し、あとには死霊となって、紫の上を死に追いやり、女三の宮をして世を捨てさせました。光源氏のまわりにいた。もっとも正式な妻に、つぎつぎにたたっていった、おそろしい怨霊でした。」


「光源氏の力もおよばずー

 光源氏は、御息所の思いをなだめるために、そのわすれがたみの姫宮を宮中に入れ、中宮にまでしたのでしたが、それでも御息所の思いは解消しなかったのです。光源氏はどの人も、結局、御息所の怨霊の活躍をおさえきれませんでした。自分自身は被害を受けなかったのですが、自分にもっとも近い人々を、つぎつぎと不幸にさせられました。

 源氏物語は、こういう、おそろしい怨霊について、まざまざと書き記している点でも興味があります。ことに、六条の御息所の思いが、どういう原因で、もののけとして発動し始めたかという、ことのおこり-車の争いをきっかけとした、ふたりの妻の争い-を説いており、さらに25年間もしずまっていた怨霊が、また活動し始めるいきさつなども書いていて、その点でも、ひじょうに興味があります。

 日本の古い家々には、いつのころからか始まった、ある一つの家筋の者にたたっていく、怨霊があります。

 光源氏の家は、光源氏から始まったので、怨霊も過去の歴史を負うているものではありません。光源氏自身がひき出したものです。」


「そのしつこさ-

 それを、源氏物語は、生き生きと描き出しました。

 こういう怨霊を、「もののけ」といいました。ただ、もののけという語が怨霊を意味するようになるまでには、多少の変遷がありました。

 元来、「もの」とは、鬼とか化け物とか怨霊とかいうことで、「もののけ」は、「物の気(け)」で、怨霊などによって生じる病気のことをいいました。そのうちに、「け」を「怪(け)」というような意味に解するようになっていって、もののけは「物の怪」すなわち「怨霊」ということになりました。源氏物語はに盛んに出没するもののけは、怨霊そのものを意味しています。

 もののけが人にとりつくと、よりましという役の者をおいて、祈り伏せて、もののけをよりましに移し、さんざんにこらしめて、退散させます。簡単なもののけは、すぐによりましに移ってしまいますが、六条の御息所のもののけのように、しぶといものになると、とりついたらなかなか離れません。」

「平安時代の社会の心理現象-

 そして、いつまでもとりつかれていれば、つまりその人が、病気の状態でいる、ということになるわけです。

 こういうことが、じっさいにあったのかと、疑う人々も多いと思いますが、今日でもなお、民間の信仰では、お盆のときに、あの世の人を呼び出して、よりましにつけて、いろいろと聞いたりしているくらいですから、いわば「もののけ」は、平安朝の社会では、ごく一般的にひろまっていた、一種の社会心理的なものだったのでしょう。

 そういう、世間にありふれたもののけや、もののけによるたたりなどは、多分に、現実性をもっていました。

 それを、光源氏の一生の事跡にからませて描いていったのが、源氏物語でした。光源氏は、氏の長者として、こうした家にたたる怨霊なども、その恨みを断ち切っていかねばならなかったのです。」

(池田弥三郎『光源氏の一生』昭和29年4月1日第一刷発行、講談社現代新書、226-231頁より)