遙洋子は、男性が女性の年齢を知りたがることに対して次のように述べている。
女性に年齢を聞くのは絶対に間違っている。私は他人に歳を聞かれると、少し胸が痛くなる。ちょっとした悪寒のようなものを感じるのだ。他の女性の様子を見てても似た反応を感じる。なぜ女性は歳を聞かれるとつらいのか。自分を値打ちづけられる気がするからだ。男女平等、女性もキャリアだ、実力だと言われても、女性がそれをうそなのを肌で知っている。求人を見ても、事務は25歳まで、会社の受付も若くてきれいなネエちゃんと相場は決まっている。仕事のできる年配女性も、裏では「ババア」と呼ばれている。そして男も、ハートだ、人間性だとか言われながら、実は稼ぎが大事にされている。どれだけ高収入であるかで、「いい男ツカンダネ」という会話が成立する。私たちは、理想と現実と違うのをよく知っているから、胸が痛むのだ。 1)
このように、日本一般社会において年齢は女性を価値付ける指標の一つとして、女性自身に大きく働きかけている。一般的には「若い方がいい」とされているが、若さは、日本一般社会のみならず、企業社会の中でも、女性に積極的な価値をもたらしている。OLにとって、勤続年数が長くなることはプラスになるどころか、かえって足枷になるのである。35歳独身丸の内の生命保険会社に14年勤務する(1988年時点)OLは、「一つの会社に長くいると楽に見えるでしょ。でも実際は違うのよ。長くいればいるほど大変なんですよ」と、特定の職場において勤続年数が長いことを語っている。「若い時はいいんですよ。社内を忙しく走り回っていても、若いわりによく気がつく元気な子だね。それで済む。それが適齢期になると『どうしてお嫁にいかないの』といわれるようになる。じゃま者扱いされるのね。きついわよ」。OLにとって大事なのは「広範な知識と豊富な経験」よりもむしろ、どの戸棚にどの書類がファイルされているかというような事務作業上の細かなことなのである。だから、キャリアの長い女性が尊敬を勝ち得るというようなことは起こらない。女性自身が、それを肌で知っている。「キャリアに関係ない職種でしょ。その中でああ、やっぱり彼女じゃなくちゃだめだ、といわせるには、かなりの努力がいりますよ」。簡単な仕事の中で、自分らしさをだし存在感をつくりだすのは大変なことなのだ、とインタビューした 松原惇子は結んでいる。 2)
唯川恵は、OL10年目、30歳の節目を次のように回想している。「何だか年齢の重みみたいなものをひしひしと感じてしまったのです。女にとって、年齢というのはそんなに思い荷物なのかなって。つまり、若い時には考えなくてもいいことも、歳をとればそれが手かせ足かせになってしまうこともあるんだって」。 3)
小笠原はOLたちへのインタビューを通して、OLたちの間の上下関係について、言葉遣いなどを通して年功による上下関係を律儀に守っていたが、こと男性との関係については、若い方が優位に立つ逆上下関係が成り立っていた、と述べている。すなわち、年次が上のOLを先輩として立てつつも、立てるほうも立てられるほうも若さに価値が置かれていることを十二分に意識していたのである。OLの仕事が単純で反復的であればあるほど、若さに比重が置かれることをOL自身が知っている。年を経るごとに身につけることができるさまざまなスキルや経験が意味を持たないのである。あるテレビドラマの中でベテランOLのせりふの中に、「40歳過ぎて誰にでもできる仕事をしていると、年をとっていてすみませんと男性みんなに謝らなければいけないような気になる。自分の席にかわいい子が座っていたらってみんな思っているんだろうなと思う」というのがあったが、単純反復作業をしている場合には、若さとか魅力と言った要素の比重が大きくなりがちなのであろう、と小笠原は結んでいる。実際には、男性が新人の女性ほどちやほやするのは単に目新しいからに過ぎないようだが、職場のOLは2年や3年で容色が衰えるかのように感じさせられるのが現実である。 4) なぜ、目新しい女性にも「あきてくる」のが男性であり、一方的に「あきられる」のは女性なのか。ここにも、「生活態度としての能力」を発揮することができる壮年男性を中心とした日本型企業社会を垣間見ることができる。先に紹介した遥洋子は、企業経営を体言する男たちへの批判を込めて次のように述べているので紹介したい。「女性に年齢を聞くというのは、初対面の男性に年収を聞くことと同じ意味を持つ。男性たちよ、想像してほしい。女性に出会うたび、自分を知ってもらおうと自分をかたろうとする度に、「ネエ、そんなことより、あなた年収いくら」と聞かれることを。やっぱり胸が痛むのではないだろうか。(略)人は平等に年をとる。でも、少しでも若々しく生きたいと戦っている人がいる。なぜ、それをたたえないで、足をひっぱろうとするのか。それは安心したいからに過ぎないのじゃないか。30歳は30歳らしく、50歳は50歳らしく。年相応の疲れを表に出しているほうが、人は安心するのだ。男らしく、女らしく、50歳らしく、70歳らしくいることが安心で、その人がその人らしくある事は、周りに不安をもたらすのだ。もし将来、会社の受付嬢に60歳が座り、年配女性部長を心から尊敬できる部下の男性が満ち、あんな女性になりたいと思える年配女性がいっぱい出てきた時に初めて、私たちは吐き気をもよおさず、年齢が言えるのだと思う。5)
筆者が勤務する会社では、最近25歳の派遣OLの交替要員として、30代前半のパートタイマーを採用した。彼女自身が言う。「こんなおばさんがきて、申し訳ないと思う」と。このように、若さによって価値づけられことを女性自身が内面化してしまっている。それは、女性自身の問題ではなく、男性中心の企業社会において求められてきたOLの役割による。
OLに求められてきた仕事の性質は、経験年数によって図ることはできない。質的に求められているのはいつも同じだ。第三章でも記したように、補完的な仕事を行なうOLは、男性ホワイトカラーとは同じ事務職でもキャリアと言う点では大きく異なる。男性が将来の管理職候補として配置転換を重ねながら判断・企画業務に移行していくことが期待されているのに対し、基幹的な作業を担う男性社員を世話する「女房的役割」を求められているOLに必要とされるのは、仕事のスキル以上に、対人コミュニケーション能力である。
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引用文献
1) 遙洋子『働く女は敵ばかり』222-223頁、朝日新聞社、2001年。
2) 松原惇子『クロワッサン症候群』153-154頁、文春文庫、1991年(原著は1988年刊)。
3) 唯川恵『OL10年やりました』175-176頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。
4) 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』45-48頁、中公新書、1998年。
5) 遙、前掲書、223-224頁。