教之介の話を黙って聞いていた常盤大作は、ここでワイシャツの腕をまくり上げた。よし、そんならひとう反撃してやろうといったように、口を固く結んで、それから改めて、物静かだが、どこかに冷たさを持っている老紳士の方へ顏を向けた。
「そりゃ、貴方、性格ですよ。60,70になっても娘(おんな)の子を追いかけ廻している者もある。ただ八代教之介の倍は娘以上に魅力のあるものがあるからいけませんな。若い奥さんとでなく、原子力と結婚すべきだったんです。人間、何も女ばかりを対象に考える必要はない。年齢に反逆し、うつつを抜かすのは女でなくてもいいわけです。-私などは女にもうつつを抜かせず、と言って、貴方の原子力のように、それに代るものもない。困りますよ」
常盤大作は問題を自分の立場へ持って来て言った。
「私などと違って、八代さんは、なんといっても、生活を若さで充実させておられる。原子科学というものは、私などは知らないが、人類の夢がいっぱい詰め込まれているものなんでしょう。あらゆる可能性がその中にはいっている。それにうつつを抜かしておられる。やはり羨ましい限りですよ」
常盤が言うと、
「棺を覆うた時の、若さの充実量は、私の場合、相当な数字になるというわけですかな」
教之介は笑った。が、すぐ、
「しかし、そういうことは、どうも実感としては来ませんな。私はエンジニアですから、専門の仕事には一応夢中になりますが、原子科学の中に、明るい人類の夢や可能性ばかりが詰まっているとは思えませんな。そこにはまた、人類の亡びの可能性も詰まっているわけです」
「そう、亡びの可能性も詰まっている。しかし、亡びの可能性で裏打ちされたことで、初めて人類はここに、あるべき姿に置かれたことにはなりませんか。個々の人間は本来死を予約されている。死を予約されているが、われわれは別に暗い気持にもならず生きている。やがて何年かすれば死ぬ。にも拘らず、別に絶望的にもならずに生きている。少しでも正しく生きようとしている。それが個々の人間だけでなく、人類そのものがそうなって来た。人類は滅亡することはないと思っていた昨日までの方がおかしなことですよ。人類だっていつでも滅亡する可能性があるということで、道徳も、政治も、当然変って来るでしょう。民族とか国家とかいう立場ばかりでなく、人類という大きな共同の立場で物を考えるようになって来る」
「それはそうです。その通りです。しかしですね。そこはなかなか難しいことだと思います。個々の人間の場合ですが、一日一日死に近付いて行くということは余りいいものじゃないあ。-私などは、どうもこのところ自分勝手に、わがままになって行きますな。若い時は他人の気持を尊重し、少しでも他人に快感を与えるような生き方をしようと思いました。しかし、このところ次第に妥協できなくなりなすね。-まあ、私などはここ何年かすると、自分一人で、小さい家にでも住むのが一番有難いということになりそうです。フランスあたりには、家族と離れ、子供や嫁や細君とも離れて、いっさい他人の世話にならず、自分だけアパートの一室に住んで、気まま気随に生活している老人があるそうです。そうした老人の中には、銀行まで信用しなくなり、金を瓶に入れて裏庭に埋めてしまう。必要な時はそれをこっそり掘り出す。ー」
「ほう、夜中にでも」
「そうでしょうね、金を庭に埋めるかどうかは判りませんが、私なども、さしずめそうしたこうるさい、人にあまり好かれぬ老人になりそうですよ」
教之介は言ってから、自分がこんなことを喋ったのは初めてのことだと思った。そして自分にこんなお喋りをさせる常盤大作という人物を改めて見直すような気持で、相手に眼を当てた。」
(井上靖『氷壁』昭和38年11月5日発行、昭和50年3月20日24刷改版、昭和55年1月15日35刷、242~244頁より)