たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『源氏物語の世界』より-Ⅴ王朝のエッセー-『方丈記』

2024年07月28日 17時25分51秒 | 本あれこれ

「作者鴨長明は清盛が平家一門の棟梁となった年(1153年)に生れた。したがって、その成長期は平家の隆盛期と一致しているし、彼の20代はやはり平家の全盛期であり、30代に平家滅亡と鎌倉珈琲の成立を迎えるわけである。

 そうした動乱期に、小貴族の家に生れ、この時代の貴族社会の没落に伴う様ざまの社会変動のなかに翻弄されたのが、彼の一生である。そして、それはこの時代の大部分の知識人たちの運命を代表している。

 彼の家は鴨野神社の神官であった。しかし、彼の父は早く死に、孤児となった彼は父の職を継ぐことができなかった。一族の者にその職を奪われてしまったのである。そうして保護者を失った彼は、少年期に従五位以下に叙せられたまま、終生、官位に就くことはできなかった。30代には生家からも追われて、小さな庵に移り住んだ。

 40代には後鳥羽院の仙洞に出入りする歌人となり、次いで和歌所の寄人(よりうど)にまでなることができて、彼の不遇の生涯は、ようやく薄ら日が射すようになったかと見えたが、またそうした彼の人生を、冷酷な挫折に追いこむべき事実が起った。

 というのは、当時の最高権力者であった後鳥羽院は、長命を引き立てようとし、ちょうど、欠員のできた下鴨社に彼を神官として任命させようとして世間でもその噂が拡まった。ところが、鴨野社の長官がその動きを予知して、妨害工作を行い、彼の任官は流れてしまった。

 それが彼に再起不可能な打撃となった。彼は世を捨てて、大原の里に移り住んだ。そうしてさらに、後になって日野山の奥に方丈(一丈四方)の極く小さな庵を作って、そこに籠ることになる。

 その隠者生活のなかで、自分の一生を振り返って、悲観的な人生観を書き綴ったのが、この『方丈記』である。

 彼にとっては少年時代から、父の職を襲うことが念願であり、それが困難なら困難なほど妄執となって、一生を支配した。彼はその希望のかなえられないのを不遇と感じ、その代りに詩歌管弦に精進することで、不服を克服しようとし、現に当代の代表的な歌人となることができたけれども、それでも50歳になって、最後の神官就任の機会の失われたことが、人生を下りてしまう契機となった。

 そのような彼は隠者生活に入ってからも、仏道を一途に求めるというふうにはならなかった。自分の一生は失敗であるという認識が、いつまでも諦めきれない想いとなって、彼の胸を噛んでいた。

『方丈記』はだから欣求浄土(ごんぐじょうど)を説く宗教書とはならず、不幸なのは自分一個ではなく、人生そのものであり、全ての人は流転し没落していく行くのだと、彼の実見した様ざまの有為転変(ういてんぺん)の事件を並べたてることで、むしろ彼自身の満たされぬ人生を慰めようとしているように見える。

 したがってこれは、痴愚の書であり、悟脱の書ではない。が、痴愚の書であるが故に、その後の多くの時代の知識人たちの不遇を、密かに慰めて来てくれた、と言えるだろう。

 特に今世紀になって、第二次大戦中、多くの都市が空襲で焼かれ、食糧難に苦しめられ、死者を路傍に見ることが日常生活となった時、この書物によって精神の崩壊から救われた人びとは、少なくなかったろう。

 その代表的な例が伊藤整の『鳴海仙吉』のなかに見られる。

 なお、この『方丈記』は10世紀の慶滋保胤(よししげやすたね)の『池亭記』という文章の影響が著しいということを、学者たちによって指摘されている。慶滋保胤も鴨氏の一族であった。慶と賀、滋と茂とは同意であって、慶滋はしたがって賀茂である。長明はこの先祖の作品に深い崇敬の念を抱いていたらしく、『方丈記』の後に書いた『発心集(ほつしんしゅう)』も保胤の『日本往生極楽記』に啓発された跡が明らかであるという。」

 

(中村真一郎『源氏物語の世界』昭和43年6月30日発行、昭和61年8月5日第5刷、新潮社、141-144頁より)

 

 

 


旅の思い出写真-ヴェルサイユ宮殿-マリー・アントワネットの彫像

2024年07月28日 12時38分06秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス

旅の思い出写真_ヴェルサイユ宮殿

旅の思い出写真_ヴェルサイユ宮殿

2018年『ルーブル美術館展』-「マリー・アントワネット」

『1789バスティーユの恋人たち』より(2)

『マリー・アントワネット展』に行ってきました(3)

『マリー・アントワネット展』に行ってきました(2)

『マリー・アントワネット展』に行ってきました

 

 パリオリンピックの開会式、ツィターに流れて来た映像と写真で断片的に知るだけですが、植民地政策によって富を享受してきた西欧世界の終焉をわたしは感じます。ギロチンにかけられたマリー・アントワネットが自ら切り落とされた首をもって歌い、幽霊されていた場所にプロジェクション・マッピングで血飛沫を飛ばし、髭をはやしたオッサンたちが女装して歌い踊ったのは「最後の晩餐」を揶揄したものだとかそうでないとか、股間がみえてしまっているっぽいオッサンもいたようでおぞましいかぎり。とてもまともに映像をみる気にはなれません。オリンピックなんて平和の祭典でもなんでもないのだからもうやめろと思います。 

 アントワネットを演じてきた歴代の宝塚OGの方々はどんな気持ちでご覧になったでしょう。ヴェルサイユ宮殿を二度訪れ、いまは観覧車のある処刑されたパリのコンコルド広場の前をバスで通り、マリー・アントワネット展をみて、ルーヴル美術館展のマリー・アントワネットの胸像もみています。ものすごく綺麗でおしゃれだった方。こんなかたちで辱しめをうけるのはオーストリアのハプスブルク家から嫁いだ人だからでしょうか。切り落とされたアントワネットの首はしばらくそのまま放置されたという史実を読んだのはベルばら大辞典だったか、ちょっと今すぐはたどれません。父と母が処刑されたあとの次男ルイ・シャルルの辿った道はいたましいかぎり、姉がなんとか救いだそうとしましたが虐待されて糞尿にまみれての短い生涯はあまりにも哀れです。血で血を洗ってきた歴史。死者を辱しめているようにしか思えない演出を素晴らしいという声、わたしにはわかりません。

 

マリー・アントワネットの寝室

ベルばらで描かれているマリー・アントワネットが押し寄せた民衆の前に姿をみせた窓、

 

 


8/16までパブリックコメント募集中:急性呼吸器感染症を五類に追加

2024年07月28日 00時57分59秒 | 気になるニュースあれこれ

8/16までパブリックコメント募集中:急性呼吸器感染症を五類に追加

旧来の風邪を「5類感染症」に格上げへ 武見厚労相が明言

 

 先ほど2回目のパブリックコメントを提出したところ、まだ2,459件目でした。このままでは風邪が特別なものへと格上げされ、一部の特権階級の利益に寄与することになります。コロナ利権に味をしめた奴らが税金を吸い上げてウハウハ、笑いがとまらない風邪の格上げ。

 

受付番号: 495240096000002459
提出日時: 2024年7月28日0時35分

案件番号: 495240096
案件名:
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する
法律施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見
の募集について

 

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見の募集について|e-Govパブリック・コメント