『東北学/文化と震災からの復興』=3回目 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)
私自身の受講メモより
「東北学
ぼかしの地帯、あいまいさ。北と西の文化がつながりあう。
その姿を浮き彫りにするのが東北学。
・北につながる東北ー縄文文化_東北の出土品の中に生きている。
30万人の80%は北に住んでいた。
ブナ林があったことによる。豊かな資源・狩猟。
アイヌ・エゾ
平泉、北につながる濃い文化。
弥生、古墳文化は存在しない。
東北に立つと北につながる文化がみえる。
・西につながる東北ー弥生文化、大和、稲作農耕
遠野物語。120年前に書かれた。
そのさらに150年前に、会津でキツネにばかされた物語などがあり、
下地となっている。
似ている物語が多い。」
『東北学/文化と震災からの復興』=2回目 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)
わたしの受講メモから。
「剣舞(ケンバイ)、少年たちが侍姿で踊る。宮沢賢治が詩に書いている。打つも果てるもひとつの命。
垂直に宇宙に向かって行く文化、西とは明らかに違う。
深い悲しみが奥底にある。
小さな祭壇や霊場が被災地にはみられる。
死者たちへの鎮魂なしに復興はありえない。
どうやって魂を沈めたらいいのか誰にもわからない。
夕方になると海に向かっている女性たち。家族が帰ってくるかもしれない。
被災地のあちこちで幽霊がでる、という話がある。
遠野物語、99話。
供養・鎮魂を行うことは死者との和解。
「死者との和解」なくして生きていけない。幽霊と出会っている。
「死者との和解」は宗教の役割。
神社はたくさん生き残っている。
生と死をめぐるテーマ。
共生-亡くなった人たち、今生きている人たち、これから生まれる人たちを含んだ共生。 ヨーロッパにはない独自の文化。
被災地は祈りに包まれている。
宗教をあらためて問い直す。21世紀の震災をきっかけとした私たちのテーマ。」
『遠野物語』
「99
土淵村の助役北川清という人の家は字火石(ひいし)にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大津波に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元(もと)の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪(なみ)の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々(はるばる)と船越(ふなこし)村の方へ行く崎(みさき)の洞(ほこら)あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて津波の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退(の)きて、小浦(おうら)へ行く道の山陰を廻(めぐ)り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。」
(柳田国男『遠野物語・山の人生』岩波文庫、1976年4月11日第一刷、63-64頁より)