たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たち(6)

2018年04月22日 17時44分55秒 | 美術館めぐり
会場で購入した公式ガイドブックより

「デルフトの文化と社会

 熱心なコレクターは、収集のために、オランダの他の都市や外国を容易に旅行することもできたが、その一方で、1610年から1679年までのデルフトのコレクションの目録が示しているのは、作者名のわかる絵画の半分近くがデルフトの画家の作品であったということである。この数字は、当時の他の大都市におけるコレクションの目録と比べ大きい。デルフトの組合の統制が厳しかったことの一つの尺度となろう。組合の規制は地元の画家に有利であった。たとえばピーテル・デ・ホーホは外地(デルフト以外)生まれの画家として入会金に12ギルダーを請求されたが、組合員やデルフト市民の息子は、この地の親方のもとで修業すれば、3ギルダーだけ払えばよかった。修業は6年間であったが、組合加入に際して最終のマスターピースは要求されなかった。そして、いったん組合に加入すれば、雇う徒弟や弟子の数に制限はなく、一本立ちした親方としてあらゆる利益を享受できた。歳入と集金される組合費のおかげで、1661年、聖ルカ組合はフォルデルスフラハト運河沿いに魅力的な新しい建物を建てることができた。その建物は、古典的なファサードを備え、ペディメントには古代ギリシアの画家アペレスの胸像がつき、室内装飾はレオナールト・プラーメルとコルネリス・デ・マンが手掛けた。その一方で、滞納している組合員に対する支払い催促は明らかに不十分だった。カレン・ファブリティウスもビーテル・デ・ホーホも、入会金の残りを決して徴収されることはなかった。

 一方、組合に属するデルフトの画家と画商は、ハーグに近接していることから恩恵を受けた。彼らはハーグのビンネンホフ広場の広いホールの中に設けた展示会場のブースで、しばし画家たちの反対を押し切って、自分たちの作品を販売した。ハーグにおける彼らの成功は、彼らの絵画が、ハーグのコレクションの中で、ハーグの画家に次いで高い比率を占めていたという事実に反映している。」


                     もう少し続きます。

ぶきみで緊張しています

2018年04月22日 13時38分04秒 | 日記
 日曜日、今朝も今一つ眠れいまま部屋の中で緊張しています。昨夜8時半ぐらいかな、斜め向かいの引きこもりのオッサンのところに人が訪ねてきて、いやでも断片的に聞こえてしまう声から推察するに、隣の女性(つまりはわたしの向かい側に住む女性)が夜中に帰ってきて物音がうるさいと苦情をいい、賃貸の管理会社がやったきたと思われます。お向かいの女性は、学生なのか働いているのかわかりませんがほとんど部屋にいない、午前中に出かけて夜遅くに帰ってくる気配の毎日。部屋にいられんのだろうなあ。おお、こわい。平日も土日祝日も関係なく、朝も昼も夜もずうっとずうっと部屋にいて、音がうるさいとケチつけている気配なのはこれまでにもありました。集合住宅の音問題はみんなありますが、特に病んでいる人は被害妄想と事実との境目がわからないし、どんなトラブルのリスクをもっているかわからないのでこわいです。仕事をしていないなんでロクなことはない。おー、こわ。これ以上こわくていられませんが、荷物持ち過ぎているし、お金かかるし、身動きできずです。まだまだ荷物ありますが、断捨離は少しずつしかやれず、宝物を残したままもうすぐ私もスパに逃げ出さねばです。自分が出す音はどれぐらいきこえてしまっているんやろ。おー、こわい、ぶきみ・・・。

 写真は本文とは全く関係なく、二年前の帝国劇場。ようやく写真を少しずつ整理してチャンネルにアップしています。

宝塚歌劇in東京スカイツリー_展望回廊_輝きの奇跡展より(3)

2018年04月21日 19時00分39秒 | 宝塚
 悪い夢をみているような平日から解放された土曜日、今ひとつ眠れないまま目がさめてしまいました。金曜日の夜は少しゆっくり無駄な時間も過ごしたいので夜更かしになっちゃいます。今夜は早めに休まねばと思いながらの土曜日。部屋で断捨離を続けているとちっそくしそうになったので息抜きに普通の人々がいる空気を吸い込むため、ネットがつながらお店でしばし息抜き。なにが普通なんだかわかんなくなってきています。いかん、いかん。休日はできるだけ楽しいことを考えたい、というわけでヅカとミュージカルが続きます。

 東京スカイツリー、展望回廊の輝きの軌跡展、100年以上続いている宝塚歌劇の歴史が紹介されていました。自分がわかるのは昭和のベルばら以降。

 小学生の頃、NHKのチャンネルに映る『ベルサイユのばら』の大階段とキラキラに憧れました。こんな素晴らしい世界をいつか生でみてみたいと子ども心に思いました。その願いはずいぶん歳を重ねた今年お正月の宝塚大劇場遠征でかないました。先日、順みつきさんが亡くなられて、昭和のベルばらは遠ざかっていくんだなと、時は流れたんだなと、同じ時代を生きたジェンヌさんたちはどんなお気持ちでいらっしゃるのかと、なんともさみしい気持ちになりました。だからといってあの頃はよかった、今は・・・っていうことではないですよ。高度経済成長期なんて異常な時期だったからあの頃の方がよかったっていうことではないです。たださみしいなと、みんな歳をとってきたんだなと。大人になって、色々なことを経てこの作品をみると考えることも多いです。






昭和のベルばらと平成ベルばら世代にはさまれた1980年代。
2年前、帝劇で『1789バスティーユの恋人たち』を観劇されていた大地真央さんが帰りの車に乗り込むところを偶然にも拝見。すごく顔がちいさくって細くってきれいで、華やかオーラにあふれていました。努力で手に入るものではなく神様から選ばれた方なのだと納得。





平成ベルばら世代。
東京宝塚劇場ではじめてフィナーレの大階段をみたときは、子どもの頃憧れた世界が目の前にあることが信じられませんでした。
ベルばらでみているのは、涼風真世さんの『オスカル編』と、地方公演で大浦みずきさんの『フェルゼン編』。
この頃購入した昭和と平成のベルばら総集編のDVD、今も手元にあります。








阪神大震災後。
地震直後、宝塚大劇場はシャンデリアが全部落ちて、スプリンクラーが回り水浸しになったとききました。その後は途絶えることなく上演が続けられています。一期一会の出会い。今この時だけの幸せをかみしめたい。






宙組誕生時代。
いつの間にか20年の時が流れていたなんてびっくりです。
5月、10数年ぶりに生で宙組を観劇できるの楽しみで仕方ありません。
もう有給休暇がほとんどありませんが前日は、まだ迷っていますが花組のライブビューイングあるし、休みをとるつもりです。







 宝塚歌劇in東京スカイツリー。もう一回いくのはきびしいかな。3月に無理していっといてよかった。450階のみりおさんと夕暮れの東京。どちらも美しいですね。まだまだお写真あります。やっとここまで整理できました。

こいまいにち、長い一週間

2018年04月20日 19時23分32秒 | 日記
 朝から晴れ渡った一日、ようやく金曜日の夜。こいまいにち、長い一週間が終わりました。研修は研修ですごく疲れてしまって長かったあ、ほんとに長かった。昨夜も早めに就寝するべくがんばり、眠剤にたよったのでなんとか5時間半あまりの睡眠時間を確保。でもさすがに金曜日となるとつらかったです。濃すぎて濃すぎておなかいっぱいの一週間の終わり。事務作業はひとつひとつ細かくてむずかしい、間違えるのおそろしい。ほんとにきつい仕事やな―。どこまでがんばれるんやろ、わたし。がんばれるだけがんばるしかないけどがんばった先にあるのは、また収入が途絶えるという事実だけで希望は今のところなにも見えず。あの、わたしが入る前から実は水漏れが起きていたちっそくしそうな部屋でまた失業給付を受けながら暮らすなんて精神的に耐えられないし、もう持ち出せるものはありません。なにも考えず、周囲への音漏れを気にせず、周囲からの音を気にせず、広い部屋で眠りたいなあ。疲れましたよ、ほんとに疲れました。明日と明後日のどちからでまたスパに行って毒を洗い流さないと無理やね。ほんとにきつい仕事。来週を乗り切れば連休か。濃い奴らのことは忘れて、良識ある一般人にはとうてい理解できないような奴らをことは忘れて生き返るべし。月組の東京公演千穐楽ライブビューイング、いつもの映画館で行けることになりました。後方席だとみえないですけどね、すごく楽しそうなのでうれしいです。その前に『1789~』、再びの加藤ロナンと小池ロナンが待っているし、あれやこれやの観劇日記が少しでも書けるといいなと思います。

 とにもかくにも一週間お疲れ様でしたね、わたし。

 平日はこんなグチの連続、失礼しました。

まいにちおなかいっぱい

2018年04月19日 22時06分08秒 | 日記
 曇り空からの木曜日、今日も研修でした。朝はいつもよりほんの数分、遅めでもよかったので余裕でしたが、疲れました。おなかいっぱいになりました。ほんとにむずかしい仕事、こんな基本のキを知らないまま何カ月もやってきたなんてぞっとしました。よかったのかしらって思いました。いいわけないと思いますけど、わたしのせいじゃないし仕方ないです。ほんとにむずかしい特殊な仕事なんだなってあらためてわかりました。どこまでいってもきりがないし、やることはふえるばかり。これをずっとやっていると自分がこわれるだろうなって思いました。わけわかんないままスタートして、あれもこれもと対応しきれず、明日は重篤なところに電話しなければならないのかと思うと気が重いばかり、良識ある一般人の感覚ではとうてい理解できないことの連続で頭がついていかないばかり。こんなに疲れていて明日無事に出勤できるのやら・・・。

 夕方いつもより1時間ほど余裕があったので、ちっそくしそうな部屋に帰ってくるのもつらくって、どこかでどんよりしたものを置いてきたくって贅沢ですが息抜きのお茶しました。客が自分でトレーを運んで、荷物のかごも運んで、出るときには自分で全部下げるファーストフードカフェ。たいしたことありませんが、平日はお疲れの息抜きをしているのわたしだけじゃなくって勤め人はみなさんお疲れなんだなあと、同じなんだなあと。こんな生活も残り7カ月をきりました。どこまでやれるのかわかりません、いちにちいちにちでやれるところまでやるしかありません。その先のことはさっぱりわかりません。明日はようやく金曜日、紙ごみの日。もう読むことはない資料とか、もう読むことはない古本とか思い切ってお別れ。少しずつ、少しずつ、荷物減らし。

 今日も一日お疲れ様でしたね、わたし。生き返るためには今日も早めに休まねばね。明日も無事に出勤できて、なんとか無事に一日が終わっていきますように・・・。

 幸せのお花屋さんのDVDを流し続けている木曜日の夜でした。


 

ちっそくしそうな水曜日

2018年04月18日 22時16分27秒 | 日記
 昨夜は荷物が重いこともあってすごく疲れていました。さすがのわたしも今日のことを考えるといつもより30分早くお風呂に入り休む支度をせざるを得ませんでした。眠剤にたよって久しぶりに12時半までに就寝。お向かいの女性は12時半過ぎに帰ってきたんでしょうね。わたしに意識がある間は帰ってきた物音きこえてきませんでした。この丸聞こえの、丸わかりのなんとかならんかなあと思いながらの水曜日の朝、雨。傘を持たねばならなかったので荷物がさらに重いこと、重いこと。これで朝の大混雑の電車、ターミナル駅での乗り換えはきつかったです。時間ぎりぎりでも早く歩けません。なんとか間に合いましたがきつい、きつい。金曜日の朝までこうなのかと思うとぞっとしました。荷物の重さでくらくらなりながら、今日もこい一日。なんだかバタバタ、わさわさしています。システムの締日までの事務作業は昨日ほとんど職員さんがやってくださったので助かりました。できていなかったことを少しずつ整理。ひとつひとつ悩みながら確認しながら。細かくて難しいことばかりで、気疲れします。なんだかこくって、あー、ちっそくしそう。執務室の中がせまくってせまくってすぐに人や物にぶつかるのでなおさらちっそくしそう。帰ってくればせまくって近所に引きこもりのオッサンが住んでいる部屋の中で、あー、ちっそくしそうってなっています。この先どこでどうやって生きていけばいいのかわからないまま、明日は明日で一日が無事に過ぎていきますようにと願うばかりです。先のことはなにも考えられません。なにもわかりません。ちっそくしそう水曜日、明日は木曜日。

 明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますように・・・。

いちにち、いちにち 

2018年04月17日 20時39分54秒 | 日記
 昨夜5時間半ほどの睡眠をへてなんとか生き返った朝、なんとか研修の開始時に間に合った朝、おなかいっぱいで吐きそうになり、げっそり疲れてささやかに今息抜き中。参考資料が重くって重くって倒れそうです。明後日の研修にはまたこれらを持参しなければならないことがわかりさらに疲れています。これはこういうことだったのか、こんな大事なことわからないまま、知らないままやっていたのかと勉強にはなりますが、とにかく荷物が重いしおなかいっぱいのげっそり。これらのことを知らないまま、こういう勉強の機会がないまま行き当たりばったりでやっていたのかと思うといいのかなあってなんだかぞっとします。それはわたしの責任ではないですけどね、キホンのキすら知らないままどたばたやっていたのだとあらためてわかりました。なんだか荒療治でよくないよなあって思います。いなかった分、連絡調整しなければらなない気の重いことがいつくかあって、できていないことがいくつもあって消耗の毎日。自分、ほんとに向いていないです。いつまでもつのだろうか。明日はまた生き返って、重い荷物をもって時間までに出勤できるのでしょうか。全く自信がありません。先のことは全くわかりません。日比谷に近いという地の利を満喫できるのもあと7カ月。これ以上水漏れがおきているのをだまって貸し出されて、斜め向かいには引きこもりのオッサンがいるようなところに住んでいられません。せまいし暮らしている感覚はありません。それでも今は帰らないとル・サンクとかDVDをみることができないので、帰りたくけど帰ります、ちっそくしそうな部屋に。

 明日のことは明日。今夜はまた寝なければのプレッシャーとのたたかいです。気温があがったり、さがったり。電車の中は寒いし店の中は暑いし、おかしくなっちゃうよね。色々と体にこたえます。消耗するばかりの毎日。明日はどうなるのでしょうか。無事に過ぎていくといいなと思います。無事に過ぎていきますようにと願うばかりです。一日、お疲れ様でしたね、わたし・・・。

 

 話に嘘がまじっている、どれぐらいが本当のことなのかかぎ分けることができずにさぐり、さぐり。こんな緊張感、消耗するばっかりでむなしい、疲れますよ、心がおれますよ、これは。

 

月曜日から癒されます

2018年04月16日 22時00分49秒 | 日記
 月曜日、始まってしまいました。緊張感からか、無用に早く目がさめてしまった朝からの月曜日。ネガティブな言葉をあまり使いたくありませんが、普通の人々が集う日比谷で味わったプラスのエネルギーに満ちた空気感とのギャップに頭がついていかず、悪い夢をみているかのような平日。まだ月曜日ですが、げっそり。こんなこと良識ある一般人の創造力ではついていけないよという現実に、希望がなさすぎる現実に、おなかいっぱい、吐きそうになりました。あまりのどうしようもなさに心が折れるばかりで、すっかり疲れてしまいました。ほんとはわたしが謝ることでもなんでもないことも、お騒がせして申し訳ありませんでしたとお詫びをことばを伝えました。はあ。ストレスがたまるばかりでやってられんね。こうして振り回されながら、細かくて難しい事務作業をひとつひとつききながらやらなければならないのだから疲れてしまいます。ほんとにね、ひとつひとつ、わからないの、むずかしいの。何年も経験をつんでわかってくることを、何にも知らないままアルバイトとしてスタートして一年で終わっていくのだからそりゃあ疲れるよなって思います。教えてもらわなければならないことにどうしたって気疲れしてしまうし、気にしなくていいですよって言われても、すみませんすみませんばっかりになってしまうし、疲れました。ほとんど全部のことが悪い夢をみているとしか思えないようなことばかり。ほんの一部そうではないこともありますがほとんどが悪夢だなあ。明日は研修、重い重い参考資料をもって返ってきました。これらをもって明日は駅から遠い初めての場所に行かなければなりません。間に合う自信が全くありません。雨の予報だから傘も持参せねば、でさらに荷物は重くなります。これだけできつくってきつくって、でも就労場所で振り回され続けているよりはマシなのかな。まともにやっていたら、とてもじゃないけど一週間持ちこたえられそうにありません。まだ月曜日なのに、すっかり疲れてしまいました。明日は対人からの緊張感からは解放されます。月曜日からげんなり、はきそうやー、きついねー、きついよ。わたし、向いていないんだなと感じています。余計なことを思わず普通でいたいです、普通がいちばんだから、普通がいいなあ、普通がいい。

 みりおさんと超高層階から眺める東京の夕暮れ、なんだかすごく癒されますね。自分で撮った写真ですがめっちゃ癒されています。しばし心が休まります。今日も幸せのお花屋さんのDVDを流し続けているし、蘭ちゃんのブログとか画像とか、いろいろと好きなものの引き出しをあっちこっちあけながら息抜き、ちっそくしそうな部屋でちっそくしそうになっていますが息抜き。

 明日の朝無事に起きて無事に行くべき場所にたどり着けるのでしょうか。わかりません。今夜はもう考えるのやめましょう。まだ月曜日の夜、お疲れ様ね、わたし。

だるいね

2018年04月15日 22時02分50秒 | 日記
 休みは少しゆっくりしていると気がつけばあっという間に終わり、明日からまた良識ある一般人の感覚ではとうてい理解できないことに振り回される一週間が始まるのかと思うと夕方から気持ちどんより。かたぎじゃないのでこわい、こわい。わたしなんかが対応しきれることじゃない。一人ではやれないのでそんなことは思っていないのですが担当だから、どうしましょう。こわい、こわい。こわいことだらけ。事務作業はいちいちわからないし、研修に出席しないといけないし、なんかいろいろと気持ちが追いつめられてしまいます。そもそもの人数が足りずに、そもそもの業務量に無理があるわけでいっぱい、いっぱいの行き当たりばったり。ストレスに満ちた空気。きつい仕事。なんとか5カ月がすぎ、あと7カ月あるのに有給休暇はわずかしかありません。勝手に時間外にならざるを得ないのは一円もでないし、かといってその分休む話もどうにかなってしまっていて、7カ月後また失業者となったとき、この水漏れが起きていた、斜め向かいには引きこもりのオッサンが棲みついている部屋にいることはありえません。オッサンはいるんだよ、いるの、朝も昼も夜も平日も土日もずっといるの。ずっといて物音がすっごい聞こえてくるの。ぞっとするよ。12月上旬にやってくる更新期限。どうすればいいのか今は全くわかりません。明日衣装ケース二個、粗大ごみ。お礼をいってお別れしました。まだまだ荷物ありますが力尽きました。休みは終わりです。明日無事に出勤して仕事できるのでしょうか。スパに行く時間と体力はなかったのが心残りな休日は終わっていきます。あと二週間で三連休。和樹ロナンをもう一度みたくて、『1789~』のチケット足してしまいました。お買い得な補助席。5月と6月は、宝塚と『モーツァルト』。観劇が連続します。舞台を心の糧になんとかやり過ごしていけるのかな。なかったらやり過ごせない。苦しいよね。気温あがったり、さがったりでだるい。あと少しの時間で態勢を持ち直して出勤せねば。平日は緊張、自分の部屋でも緊張、ちっそくしそう。舞台があれば、宝塚があれば、残りの人生バラ色。なんとか生き延びていくべし。

 清史郎君のブログには、爽やかなイケメンになっても泣き虫与六のころと顔立ちは変わらない、可愛くてかっこいいお写真が。将来、徹平君みたいな感じになるのかな。清史郎君がいつかロナンになる日がやってくるのかな。そんな時まで生き延びて見届けたいけど無理かなーってふと思った日曜日の夕暮れでした。

2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たち(5)

2018年04月15日 18時28分22秒 | 美術館めぐり
会場で購入した公式カタログより

「デルフトの文化と社会

 デルフトで唯一、公認されていた信仰は改革派教会であった。しかし、カトリックの「隠れ教会」は黙認されていたし、イエスズ会さえ制約されていなかった。とはいえ、カトリック教徒、レモンストラント派のみならず、ルター派やメノー派のような非カルヴァン派の宗派も含め、カルヴァン派以外の信仰を奉ずる者は公職から締め出されていた。ただし、オランダの他の地域と同様、同時代の西洋のスタンダードであった価値観に従って、この時代を支配していたのは宗教的寛容だった。1620年には、カルヴァン派は多くの少数派宗教の一つであり、人口のおよそ4分の1を占めるに過ぎなかった。他の多くの市民はいずれの教会にも属していなかった。デルフトは、事実、南部からの移民を阻止したので、レイデンのような都市に比べ、正統のカルヴァン派住民の増加を抑えることになった。改革派教会に加わったことのないフェルメールが、聖ルカ組合の理事、また市民防衛隊の隊員になれたという事実は、デルフトの指導者たちの保守的言動にもかかわらず、実際の社会が寛容であったことを物語っている。

 事実、かつて聖ルカ組合は、フランドルの移住民が入会したために会員数が急激に上昇したことがあった。1570年から1610年にかけて、その数が40人から100人近くまで跳ね上がったのである。しかしながら市議会は、美術市場の統制を決定し、聖ルカ組合の総数と市外からの美術品輸入を制限する法律を制定した。組合員の数は、17世紀中頃を通じておよそ50人とかなり安定していたが、事実上ほとんどの美術市場と同じように、1672年以降は急速に減少し、1680年にはわずか31人となった。聖ルカ組合は画家、彫刻家、陶工、版画制作者、刺繍職人によって構成されていたが、組織の統括に最も影響力を及ぼしたのは画家だった。アムステルダムのような大都市と比較した場合、美術取引を統制する努力はかなり成功したと思われる。活動は制限されていて、デルフト外で制作されたすべての美術品の公的及び私的売り立ては、ごく少数の例外的な競売はあったものの、禁止された。しかし、相対的に閉鎖的だったデルフトの市場にも市外の作品がもたらされることがあった。宝くじや慈善富くじなど、非正規の営みを通じて入ってくる作品である。1631年に市民防衛隊が有名なコンテストを実施するが、そこで配られた賞品もその一例である。」

                           もう少し続きます。