たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

NHKの蓮舫いじり、石丸の「頭ポンポン」…東京都知事選が映し出した「弱者への冷笑」を是とする暗澹たる日本の情景

2024年07月15日 10時26分00秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年7月14日JBpress

 「7日に投開票が行われた東京都知事選は、事前予想通りに現職の小池百合子氏の3選で幕を閉じた。「現職が負けたことがない」難しい選挙にリスクを取って挑戦した立憲民主党(出馬にあたり離党)の蓮舫前参院議員は、ふたを開ければ小池氏だけでなく、新人の前広島県安芸高田市長、石丸伸二氏にも及ばない3位に沈んでしまった。

 

 結果はともかく、野党第1党として都知事選を「捨て試合」にせず「与野党ガチンコ勝負」の構図を創り上げた蓮舫氏の挑戦を、少なくとも筆者は高く評価したいと思う。

 訴えの内容も(聞く人の政治スタンスによって好むと好まざるとの差はあるだろうが)立憲の理念を体現しており、小池氏との選択肢となる役割はおおむね果たしていた。「ひとり街宣」のように、若い世代などが政治へのファーストコンタクトになり得るきっかけも提示した。

 もちろん、大敗した選挙結果については、蓮舫陣営も立憲民主党も多くの課題を見いださなければならない。だが、選挙の良し悪しは勝敗のみで判断されるべきものではない。外野が騒ぐほど酷い選挙だったとは、筆者は思わない。

ただ、6月16日公開の記事(「蓮舫いじり」あふれ出す東京都知事選…アンチの“罵詈雑言”にみる、辟易するほど劣化しきった日本政治の現在地)でも指摘した蓮舫氏やその周囲への数限りない中傷が、蓮舫氏の敗戦によってさらに増幅されているさまは見るに堪えない。

 あ然としたのは、こうした言葉がネット上の多数の匿名の個人でなく、既存の大手メディアから大手を振って流れ始めたことだった。」

全文は~

NHKの蓮舫いじり、石丸の「頭ポンポン」…東京都知事選が映し出した「弱者への冷笑」を是とする暗澹たる日本の情景 「2位じゃダメ」をモジり、人格否定を垂れ流した…大手メディアが率先して煽り立てる“叩いてOK”の空気感(1/4) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)

 

蓮舫さんへのバッシングと石丸さんの持ち上げ、どちらも異常。その影にすっぽりと隠れる小池さんの学歴詐称疑惑、不透明な都庁プロジェクションマッピング48億円、都庁職員の三井不動産への天下り・・・、

都知事選とその後の状況は日本の劣化ぶりを露にしました。

 


三好春樹『関係障害論』より‐もし呆け老人だったら

2024年07月15日 00時38分37秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「オムツの中にしていいのよ」

「それで、このおばあさんは、頭はしっかりしていましたから、1週間経てば帰れるし、その間だけだと思ってガマンしていたのです。でも、呆け老人の場合はそうはいきません。呆け老人というのは、自分の感覚に正直なのです。後から入ってきた知識とか常識とかしつけというのは、先に忘れますから、最後は感覚だけで、赤ちゃんに戻っていくわけです。そういう意味で自分の身体に正直ですから、気持ち悪いものは排除するわけです。

 赤ちゃんはおしっこやうんちがでると、気持ち悪いから泣いて相手に知らせるわけです。赤ちゃんは幸か不幸か、手がそこへ届きません。ところが、老人は手が届きますから、泣く代わりに自発的に不快なものを排除するわけです。

 そうすると、これはもう大変です。不潔行為をしたということになります。着替えはしなくてはいけないし、汚れるし、みんなに迷惑をかけるということになりますね。それでどうするかというと、勝手に出してしまうからと、つなぎ服です。ダウンタウン・ブギウギバントが着ていたような、自動車の修理工みたいな服を着せさせられて、ヒモで手もとや足もとをくくるようになっているので、自由に手が突っ込めないようになっています。最近のはすごいですね。背中にチャックがあってYKKが開発した鍵付きジッパーもあります。

 いくら、”つなぎ”を着せていても引っぱり出すのですから、呆け老人の執念たるやすごいものです。行ってみるとオムツが全部出ていて、でもつなぎは着ているのです。どこから出したのだろうと思いますね。ほどけている部分があるからそこから出したのでしょうが、どうやってもそこまで手は届かない人が、ゴソゴソしながら出したんでしょうね。出して、そこにオムツを折りたたんで置いているのが不思議ですね。こうなると”つなぎ”でも間に合わないから手足を縛れ、という話になっていくのです。

 そうすると、お年寄りは、自分がおしっこが出て気持ち悪いということを訴えると、まわりに迷惑がかかって自分が怒られるし、最悪の場合は手まで縛られることになりますから、そうならないためにはいったいどうすればいいと思いますか。自分は怒られないし縛られない、看護婦さんたちにも迷惑をかけないいちばんいいやり方は、自分の感覚をなくすことなのです。濡れていて気持ち悪い、という感覚を忘れる。おしっこをしたいという感覚を忘れる。これで全部ハッピーです。

 だからお年寄りは、心理的に下半身の感覚を忘れさったと考えないと、どうにも理屈に合わないんです。だって、解剖学的原因はないんですから。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、41-42頁より)

 

 

 


1999年月組『黒い瞳』『ル・ボレロ・ルージュ』

2024年07月14日 17時04分08秒 | 宝塚

『黒い瞳』

1998年月組『黒い瞳』

 

 なつかしいチラシをデジタルで保存していました。風花舞ちゃんの退団公演、東京公演は年をまたいで1999年。わたしが観劇したのはお正月。かすかな記憶で当日券があるか問い合わせたと思います。とうにチケットは断捨離してしまいました。1月2日11時に〇つけているのでこの日だったのでしょう。以前にも書いていますが、紫吹淳さんが怪我のため休演した公演でした。代わりにブカチョフを演じたのは新人公演でブカチョフにキャスティングされていた大空祐飛さん。今のようにネットがなかったので知ったのは劇場に入ってから。真琴つばささんを相手に壮絶な生き様、死に様を演じきっていたのが鮮烈でした。忘れられません。

 


第五章岐路に立たされる女性-④35歳は女の転機

2024年07月14日 00時53分45秒 | 卒業論文

 35歳というのは、女性にとってひとつの大きな転機である。なぜなら、そろそろ先がみえてくる時期だからだ。20代はなんとなく楽しくすごしていたが、30代に入ると自分の位置というものが否が応でも見えてくる。結婚している、していないにかかわらず、女性の転機ではないだろうか。ちょうど人生が見渡せる年齢。肉体が明らかに衰えの方向に向かっているのを実感させられる年齢である。山に例えればほぼ中間地点。すそ野の景色も見渡せる地点まできたということだろうか。一生懸命上ってきたけれど、私の山はこの程度だったのか。いや、私が目指してきた山はこんな低い禿山ではなかった。人それぞれ、
様々な思いがよぎるのは35歳である。これでよかったのだろうか。この人生で終わって後悔しないのだろうか。軌道修正するなら今のうちだ。ふと、立ち止まり、考える。35歳は自分の姿を鏡に映して再び見直す時期なのだ。[1]

 35歳をはさむ前後数年間が多くの女性にとって人生の転機となっていることに注目したゲイル・シーヒィは、アメリカの男女の「中年の危機」の過ごし方についてインタビューし、『パッセージ』という本にまとめた。 シーヒィによれば、人は誰しも人生の半ばに達した頃、自分の人生が一つの分かれ道にさしかかっている、ないし「これが最後のチャンス」だという感じにとらわれ、後半生に向けて人生を再設計する。この「パッセージ」の感覚を、女性は男性よりも一足早くだいたい35歳頃に迎えるのである。なぜ35歳かという理由としてシーヒィは、1970年代のアメリカの女性の人生に即して、六つの事実を挙げている。①平均的主婦の場合、末っ子が小学校に入学する年齢、②浮気の危機年齢が始まる時期、③平均的既婚女性が職場に戻る年齢、④離婚した女性が再婚する年齢、⑤妻がもっとも蒸発しやすい年齢、⑥生物学的な限界が目に見えてくる年齢。この六つの事実は、今の日本でもかなり共通していると考えられる。[2]

 この中で、特に⑥に注目したい。生物学的限界とは、妊娠し、出産することのできる年齢がそろそろ終わりに近づくという意味である。35歳という生物学的限界が近づく年齢は、否が応でも女性に子供を産むか産まないかの選択を迫る。仕事の都合などで、子供と共に歩む人生を選ぶべきかいなかの結論を、後に先延ばしにしてきた人たちは、結論をもうあまり先延ばしにできないことに気づく。出産のタイムリミットは迫ってくる。女性は、結婚適齢期のプレッシャーからは逃れることができても、まだ出産適齢期からは逃れられない。子育ては老後の楽しみにとっておいて65歳で出産します、というわけにはいかないのである。第二章で、日本型企業社会は、女性のみが出産・育児を担うことを生物学的に規定されたものであるかのように位置づけてきたことを記した。男性なしに妊娠はあり得ないが、妊娠・出産という身体的機能は女性のみがもち、タイムリミットがあることはたしかなのである。子供を産み育てる。それは、会社で働くのとは比べ物にならないほど満足感のある仕事に違いない、と 松原惇子は述べている。私の尊敬する世界的芸術家イサドラ・ダンカンでさえ、子供を産んだ時、自分の芸術を捨ててもいいと思ったというのだから。時代がどんなに変わろうが、出産は女性にしか味わえない至高の喜び。出産が女性にしかできない限り、女性はどこまでいっても男性と同等の社会的進出を果たすことはできない気がする、[3]と。 胎児に関しては、一般に20代を過ぎた後は、加齢と共に妊娠しても、自然流産や染色体異常胎児の出現率が高くなる一方、母体に関しても、妊娠に伴う母体合併症や分娩時の困難が多くなる。とはいえ、「高年(齢)出産」が、20代の出産に比べて非常にリスクが高いというわけではないし、また個人の人生設計はさまざまであるから、この時期に「最後のチャンス」として、出産に挑戦する女性も多い。「女に生まれたからには、一度は結婚、出産をしてみたい」[4]と考えるのだ。出産のタイムリミットは女性の心を揺り動かす。

 一方、仕事との関係では、先に記した熊沢の四つの立場のうち二番目と三番目にあたるOLは大多数が、管理職につながるような育てられ方をされていないので、不況が続き、事業の縮小や企業の合併が日常茶飯事な今日的状況の中では、「会社で生き残れないのでは」と、せっぱつまった心境になる。リストラへの不安が、日々押し寄せてくるのも35歳である。「35歳は、キャリアをすでに確立していなければいけない年齢。そのうえで、最終的な自分の居場所を考える時。転職や独立の最終決断、今の会社に居続けるなら、どうポジションを維持していくかを考えるべきときにきている。ただ、実際は、これといった実績をもたずに35歳になってしまった女性が多いのが実情」[5]である。均等法第一世代の中からは管理職に就く女性も出始めてはいるが、大多数のOLは同期の男性が管理職に昇進していくのを横目にみていなければならない。性別役割分業に基づく人事配置の結果、OLはどう働きどう身を守るかを教わらないまま放置されているのである。

 いずれにせよ、自分の人生を改めて選び直せる最後の「チャンス」が、女性にとっての35歳頃だと考えられる。後半生に向けての仕切り直しの時期なのである。「このままでいいのか」という疑問を持ち、女性の心は大いに揺れ動く。

 

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引用文献

[1] 松原惇子『いい女は頑張らない』38-39頁、PHP文庫、1992年。

[2] 井上輝子『女性学への招待[新版]』172-175頁、ゆうひかく選書、1997年。

[3] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』213頁、文芸春秋、1998年。

[4] 『Yomiuri Weekly 2003年10月12日号』13頁、読売新聞社。

[5] 『コスモポリタン』2003年2月号、集英社。

 


2022年『メトロポリタン美術館展』-レンブラント・ファン・レイン『フローラ』

2024年07月13日 13時55分02秒 | 美術館めぐり

2022年『メトロポリタン美術館展』-ジャン=バディスト・グルーズ『割れた卵』

 

レンブラント・ファン・レイン「フローラ」

1654年頃 油彩/カンヴァス

 ティツィアーノの影響が感じられる、サスキアがモデルと言われたが10年以上前に他界していた、という解説でした。

 

2022年『フェルメールと17世紀オランダ絵画展』-レンブラントとオランダの肖像画/風景画


「レンブラントが描き続けた妻サスキア-

 最愛の妻サスキアは、レンブラントにとって最も創作意欲をかきたてるモデルだった。婚約して3日目の素描から始まり、花の冠をつけた女神として、あるいは宝石を身につけて着飾った貴族のように、と次々と妻を描いていった。

 『夜警』の制作中に、妻は寝込んでしまったが、レンブラントは病床の妻さえも描き続ける。そして『夜警』の完成とほぼ同じ時期に、サスキアは30歳で亡くなる。『夜警』に描かれた謎の少女も、サスキアがモデルだとする説は根強い。レンブラントはサスキアの死後は、その面影を継いだ息子ティトウスを描き続けることになる。」

(『週刊世界の美術館-アムステルダム国立美術館』より)

 

 

 

 

 


日本の社会規範はすでに崩壊している

2024年07月13日 01時42分52秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの中嶋 哲史さん: 「これほど善が蔑ろにされ、悪が蔓延る時代は今までになかったと思う。性犯罪、セクハラ、パワハラ、児童虐待、いじめ、執拗な嫌がらせ、迷惑行為、脱法行為等々が報道されない日はない。既に社会規範は完全に崩壊していると言っていいだろう。こういう国が何かを成せるとはとても思えない。」 / X

 

2024年7月12日長尾医師ツィッタースペース

「毎日いろんなことが起きるね」

Xユーザーの長尾和宏さん: 「https://t.co/3gsflpm1tl」 / X

松山城の崩落、自衛隊員218名の処分、兵庫県職員の自殺、

日本の腐敗の現れ。

 

自衛隊員の処分を決定した上の上の上の最高責任者はこの方、何千万円?ネコババしてもなんのお咎めも受けずに総理大臣の椅子にしがみ続けて日本人にはお金ケチって能登半島見捨てているのに海外には足繫く出かけてお金をバラマキ、着々と日本破壊。自衛隊の責任者よりもこの方が辞任するのが本来の筋でしょう。

なに嬉しそうにホイホイNATOの会議に出かけてるんですか?

 

2024年7月11日NHKNEWSWEB、

岸田首相 アメリカに到着 NATO首脳会議に出席へ | NHK | NATO

「NATOの首脳会議に出席するため、岸田総理大臣は、先ほどアメリカに到着しました。

韓国やオーストラリアなどとともに、パートナー国として会議に加わり、ウクライナ支援での連携を確認するとともに、安全保障に関わる分野の協力を強化することで合意する見通しです。

NATO=北大西洋条約機構の首脳会議は、9日からアメリカで開かれていて、岸田総理大臣は、日本時間の11日午前4時すぎ、政府専用機で、ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地に到着しました。

そして、到着後まもなく同じく現地を訪れている韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領との会談に臨みました。

冒頭、岸田総理大臣は「現下の国際情勢を踏まえれば、日韓首脳が堅固な信頼関係と戦略的な問題意識を共有する中で、緊密に連携を図ることは意義深い。きょうは北朝鮮情勢など最近の安全保障環境や国際的な諸課題を中心に率直な意見交換をしたい」と述べました。

岸田総理大臣は、日本時間の11日夜遅くから、NATOのインド太平洋地域のパートナー国として、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの4か国で首脳会議に加わることにしています。

会議では、ウクライナ支援の連携を確認するとともに、サイバー攻撃への対処や偽情報対策など、安全保障に関わる分野の協力を強化することで合意する見通しです。

岸田総理大臣としては、ロシアや中国の動向を踏まえ、ヨーロッパとアジア地域の安全保障は不可分だという認識のもとで、NATOや関係国との結束を強め、日本周辺の平和と安定にもつなげたい考えです。」


第五章岐路に立たされる女性-③転機が訪れる

2024年07月12日 10時24分08秒 | 卒業論文

  男性のように仕事と私生活を切り離して考えることができず、私生活の事情次第で働き方も異なり、性別役割分業に対する意識も一様ではない女性には、年齢に沿って節目が訪れる。女性はたびたび岐路にたたされるのだ。素描してみるとー。

 入社まもない若い女性は総じて性別職務分離という考え方には疎遠である。与えられる下位職務の定型的で高密度の作業にはうんざりする。しかし勤続年数の短いうちは、そんなものかと思ってまずは事態の推移を待つ。次のような25歳の女性の言葉が一般職の若い女性のおおかたの声を代弁していると思われる。「仕事が面白いって感覚わからないんです」、「みんな、今は就職しているけど、一生働こうと思っている人はいないですよ。お金を貯めるためにがんばって働いているひとはいるけど、仕事をいきがいだと話す人はきいたことないです」、一生勤めようとは思わないが、「夏になればボーナスをもらえるし、今すぐ辞める理由はない」のである。[i] 文句はいいながらも律儀にOLを続けてゆく。それもまた一つの道である。そして、実際そういうOLがほとんどでそういうOLたちによって会社は支えられているのである。しかし、一方では、このままではいやだという気持ちも捨てられない、何かしたい、私にだって何かできるはず。気持ちは揺れるのだ。平均25歳を境に結婚・転職が増えていく。仕事を続けて5年以上たち、余裕ができて迷いも生じる頃である。「25歳って考える歳です」という、雑誌の記事の中からいくつか女性の声を拾ってみたい。「私は今25歳です。いろいろなことがあって今の歳になりましたが、25歳って女にとって考える歳のように感じます。今は結婚も考えられない状況ですが、そういったことも含め自分のことを見つめ直さないといけないと思っています。」「25歳。昨年は私にとっていろいろ悩んだ歳でした。特に、仕事のことで…。会社を辞めて派遣で働きだしたり、派遣先でも、壁にぶつかったりと、波乱万丈でした。その中で得たことは、辛抱強くなることと友達や彼氏の大切さ。精神面で助けてもらい、本当に感謝しています。ある意味では精神面で成長した1年間だったと思います。」「5年勤めた会社を辞めて、オーストラリアへワーキングホリデーに行くと決めたのが25歳。仕事も一生懸命やっていたときでした。ちょうどその頃って、自分についていちばん考え始めるんじゃないかな。もちろん25歳のときだけではなく私の激動は今も続いています。でも、パワフルにいこうって思えたのは25歳でしたよ。」[ii]

 そのまま仕事を続ければ、28歳で「男女の壁」にぶち当たる。この頃から、同期の男性と、会社からの扱われ方に差が出始めるのである。多くのOLは基本的に定型的または補助的な仕事のままで、男性社員のように上位職務への脱出は願ってもかなわない。そして、社内に目指すべき女性の先輩がいないことに不安になる。30歳を境に求人案件が減少するという実情や結婚もからみ、「本当に今の会社でやっていくのか」と多くの女性は悩むのである。「今の仕事に本当に向いているのかわからない。大学の女友達が結婚・出産し始め焦る」(27歳)「仕事にいろいろな思いをもつようになり、このままでいいのか?もっとできることがあるのではないか?・・・仕事に打ち込めば打ち込むほど悩みは強くなる」(28歳)[iii] 唯川恵は、揺れるOL7年目の心境を次のように振返っている。「今のままでいれば安定したお給料が入ってくる。仕事だってつまんないけど覚えている。会社でハニワのようになっていれば、後は習い事をするとか、パーッと飲みに行くとか、海外旅行でも行って気分を晴らせば。何も無理して新しい仕事なんか捜さなくても」と思う。しかし、「このまま勤めてたってただのOLでしかいられないわ」と突然退職し専門学校に通い始めた友人の生き生きとした姿に、では「私はいったいなにができるの?なにがしたいの?」と自問自答は続くのである。[iv] 

 そして、30歳を迎える。この頃を境に女性は同年代でも生き方がばらばらになってくる。20代後半に始まった分化は、30代前半にはくっきりとしてくるのである。20代後半から30代始めにかけて、専門職と事務職の一部には、近年の能力主義の強化、女性の「戦力化」政策に対応して仕事に前向きに挑戦しようとする女性も出現する。この挑戦が条件に恵まれて成功を収める程度に応じて、彼女らは「もう男だ、女だってこだわってる時代じゃない」というジェンダーニュートラルな志向に傾いてゆく。もっとも、こうした女性たちの多くはプロ志向であって管理職志向ではないので、彼女たちの中からは修学や資格取得希望の退職者も輩出される。[v] 就業を継続させていた場合、勤続10年ともなればOLの仕事の質と量が個人間で多様化し、他方私生活では出産や子育てがかかわりもっとも家事の負担が重くなる。会社の要求と仕事への意欲、プライベートがかみあわず苦しむ女性も多い。熊沢誠は、30代前半の女性の就業コースに四つの立場を想定している。

 先ず、仕事の裁量権が与えられていて面白くかつ労働時間、ノルマなどのしんどさもほどほどで家庭責任との両立が可能な少数派。その対極にある、仕事が定型的または補助的なものに限定されたままでやりがいがなく、かつ心身を消耗させるほどしんどくて家庭責任との両立が困難な場合。この場合、生活のために働く絶対の必要性に迫られていない限りは、そのさきの就業コースとしては、相対的に見て多数が結婚・出産退職すると考えていいだろう。女性は家事や育児といった裁量権を発揮できる「女性らしい」営みに自分の不可分性を発揮することによってそれなりの自立を求めるのである。三つ目として仕事にやりがいはないけれども家事・育児と両立できるほどの負担に留まっている場合。この場合、とりあえず今の会社での就業継続を選択すれば様々な心の調整が求められる。女性は、性別職務分離と言う確固たる現実に「妥協」するか、やりがいのある仕事への欲求を調節して「納得」するかを選ぶだろう。もやもやした気持ちを抑え、「10年1日同じような仕事をさせられている」という鬱屈を「どこへ行ってもわたしにできるのはこんなこと」、という悟りに変えて勤め続ける。気力なく働くという場合もある。あるいは、「営業アシスタント」「データ入力係」「職場の潤滑剤」も会社の業務には不可欠と考え、そこに自己の存在理由を見出そうとする。こうした様々な心の調整も、正社員を限定する労務政策の強化や穏やかだった職場の雰囲気に変化があれば無理になり、結婚・出産を契機におくればせながら家庭に入っていく。この論文で注目しているOLの大多数は、二番目と三番目の立場だろう。四つ目としては仕事にやりがいはあるけれども、心身ともにきつく、家庭生活との両立が困難な場合が想定される。[vi] どの立場であろうとも、年齢との葛藤を男性よりも早くから味わっている女性は、35歳頃に人生の転機を迎えるのである。

 

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引用文献

[i] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』227-235頁、文芸春秋、1998年。

[ii] 『OZマガジン 1999年SPRING号 あなたが選ぶ生き方』、スターツ出版。

[iii] 『日経ウーマン 2001年11月号』15頁、日経ホーム出版社。

[iv] 唯川恵『OL10年やりました』155-158頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[v] 熊沢誠『女性労働と企業社会』170-171頁、岩波新書、2000年。

[vi] 熊沢、前掲書、156-158頁。

 


旅の思い出-軽井沢

2024年07月11日 19時39分27秒 | 小さな旅の思い出

「1985年9月14日(土)晴天

6時30分:起床

7時06分:名古屋へ

8時:名古屋発しなの3号長野行

11時23分:長野発軽井沢行

13時03分:軽井沢着

13時15分:草軽バスで鬼押出しへ、

  鬼押出しでぶらりとする、自然研究路めぐり

15時13分:鬼押出し発白糸の滝へ、ぼんやりする、空気が冷たかった

16時06分:白糸の滝発 バスで軽井沢駅前へ戻る

16時45分頃ユースホステル着

 軽井沢友愛山荘泊 入浴 夕食

22時:布団に入る

 静かな夜です。まだ7時半だというのに入浴も食事も終わってなんにもすることがない。疲れたなあ。朝牛乳とパンをつめこんだせいだろうな、特急の中では気分が悪くてはいちゃった。立ってたらおばあちゃんが席をあけてすわらせてくれて助かった、どうもありがとう。

空気はかなり冷たい。もうコスモスがあちこちに咲いている、ほんのりピンク色。白いコスモスも、嬉しかった。明日は一日かけて軽井沢散策、なんにも決めてないけれど、どうにかなるだろう。白糸の滝がきれいだった。その名のとおり繊細で糸が織りなして流れているよう・・・。

今日も一日が無事に終わることを感謝、おやすみなさい。」

 

「1985年9月15日(日)しとしと雨

6時30分:起床・洗顔・散歩

8時45分:ユースホステルを出る、大通を歩く

10時:レンタサイクル

 万平ホテル 芭蕉の句 旧三笠ホテル党etc別荘地帯をサイクリング

14時:喫茶ミハエルにてレモンティーとチーズトルテ 

  ぶらりぶらりと歩きまわる

17時:ユースホステル着 夕食・入浴

20時30分:ミーティング(キャンドルサービス)

22時:就寝

 今日は残念ながら雨降り、今サテンでぼんやりしている。寒い、たぶん風邪ひいた。それにもめげず3時間ほどサイクリングした。あまり気分のいいものではなかったけれど、もやっとした木立ちの中もいいものではないか。

これから買い物、あまり好きではないがなんにもすることないし、お土産買うんだ。14時30分

雨降ってて今いちだけどまあこんなもんだろう。大通りからはずれて人のいないところを歩いたらけっこう面白かった。どこもかしこもメルヘンという感じ、またいつか来ませう。その時には晴天であることを祈る。花嫁さんきれいだったけれど大変よね、ベールのすそは汚れちゃうだろうし雨降ってるし、どこかのお金持ちのお嬢様かしらとかつまんないことを考えたりして、練馬ナンバーだったから東京の人だったな。わたしにはそんな日は遠いな、いつのことか、そんな日がくるのか・・・、軽井沢銀座なんてつまんないなあなんて思う自分かわいくないなあ」

 

「1985年9月16日(月)しとしと雨

6時10分:起床・洗顔

6時30分:朝の散歩

7時15分:ユースホステル出発

8時04分:軽井沢発長野行

9時34分:長野着 善光寺をみたのみ、ぶらりと商店街を歩く

11時03分:長野発特急しなの8号名古屋行

14時22分:名古屋着 乗り換えで最寄り駅へ

15時15分:自宅着

帰宅後の記

 今日も雨、家に帰ってきた今頃になって晴れてきたのはやっぱり悔しいなあ、でもまあいいか、それなりに楽しめたからね。寒かったけれどなんとか過ごせたし白樺を霧が包み込んでいる様もなかなかいいではないか。今朝は朝食をパスしてユースホステルを出た。出てくる時にヘルパーさんがいたのでっしで写真撮ればよかったかなあ。

おいしいものを何ひとつとして食べていないので笑われてしまった。ウェディングドレスきて写真撮るなんてのも好きではないし・・・、さだまさし直筆の詩があるというお店にも行かなかった、昨夜きいたから。でぶらりと入った長野のおみやげやさんに、そのお店にあるというパズルがあったので買ってきた。自分はばかだからできないけれど、人にやらせて楽しみたい・・という。

帰りは連休とあってかなり混んでいた。長野から乗ったのでなんとか坐れた。隣に坐っていた女の子を外人さんと間違えたりしてしまったりして・・・髪の毛が茶色っぽかったし色白でふっくらとしてたもんだから、わたしあやまったかしら、あやまってないような気がするなあ、ごめんなさい。

長野から福祉大学に行っているとのことで名古屋までずっと一緒だった。2時間余り喋り続けていた、楽しかった。たった一度だからつぎつぎと話が出てきて、不思議だねえ、ああいう時って話が合うから。大学のことから始まってチェッカーズ、アニメのこと、同人誌のことなどもろもろ。最後に握手して別れた。縁があったらまたどこかで会いませう。

裏通りを歩いていてあちこちでみかけたこすもすが印象に残っている。またぼんやりとしに行きたい、いつか・・・。」

 

北軽井沢の鬼押し出し園 (slow-style.com)

 

 


『モネ連作の情景』上野の森美術館-ルーヴル河岸

2024年07月11日 11時38分43秒 | 美術館めぐり

『モネ連作の情景』上野の森美術館-ラ・マンヌポルト

 

クロード・モネ

《ルーヴル河岸》

 1867年頃、パリ 

 65.1 × 92.6

 デン・ハーグ美術館

 

(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)


「手術なしで性別変更」認める 広島高裁の差し戻し審 外観要件満たすと判断

2024年07月11日 00時53分16秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年7月10日産経新聞、

「手術なしで性別変更」認める 広島高裁の差し戻し審 外観要件満たすと判断 - 産経ニュース (sankei.com)

  「性同一性障害と診断された人が、性器の外観を変える手術をせずに性同一性障害特例法に基づいて戸籍上の性別を男性から女性に変更するよう求めた家事審判の差し戻し審で、広島高裁(倉地真寿美裁判長)は10日、変更を認める決定をした。

 特例法は性別変更を認める5つの要件を定めている。このうち生殖能力をなくすことを求める生殖不能要件については最高裁大法廷が昨年10月、「違憲で無効」と判断。変更後の性別と近い性器の外観を備えることを求める外観要件については判断を示さず、審理を高裁に差し戻していた。

 申立人は平成21年に性同一性障害の診断を受け、女性として社会生活を送っている。性別適合手術は受けていない。

 高裁決定は、外観要件を満たすために常に手術が必要だと解釈すれば、手術を受けるか性別変更を断念するかの二者択一を迫ることとなり「違憲の疑いがある」とし、手術を伴わなくても外観要件を満たせる場合があると解釈した。

 その上で高裁は、変更後の性別の性器だと認識することに「特段の疑問を感じない」外観であれば要件を満たすと判断。申立人はホルモン療法で体が女性的になっていることなどから外観要件を満たしているとして、性別変更を認めた。

 性別変更の家事審判は争う相手方がいないため高裁決定が確定した。」

 

多様性とはなんでもありということ?

倉地真寿美裁判長、ご自身が女性用の温泉風呂につかっているとき、心は女性を自認する男性器をつけたおじさんが入ってきても平気ですか?