会津の重ちゃん日記

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京都一人旅3日目ー8今宮神社から源光庵へ

2010-01-01 18:13:08 | 旅行
1月1日(金)元旦 平成22年の幕開け  
一昨年と同じ大雪の元旦となった。メタボ解消にと朝と夕方雪かきをした。ご近所は高齢者、病気の方だけ。奥まった路地約20メートルの道付けと玄関前、駐車場などの除雪。今晩は娘一家が帰ってくるので少し無理した。明日は若者に頼むことにする。  
   9日(水)   今宮神社から源光庵へ
大徳寺を出てタクシーを拾って今宮神社へ行き、周辺の光悦寺、常照寺、源光庵を拝観した。

今宮神社は、大国主命、事代主命、稲田姫命を祀る古社。平安時代、都に流行した疫病を鎮めるために神殿を作ったのが始まり。疫病退散の奇祭で有名。


光悦寺は元和元(1615)年、本阿弥光悦が徳川家康から拝領した土地に、草庵を結んだのが始まり。光悦は一族や職人を集め工芸集落を営んだ。
境内には7つの茶室が点在しており、随所に芸実センスが光る。光悦没後、明暦2(1655)年寺となった。
とパンフレットには書いてあったが、あたりは薄暗くなり茶室も外観だけだったので早々に退出。
次に、常照寺へ。ここには天下の名妓として一世を風靡し、その才色兼備を謳われた二代目吉野田太夫(松田徳子)が二十三歳の時自ら巨財を投じて寄進した朱塗りの山門(吉野門)と太夫の墓があった。

 最後に、源光庵に立ち寄る。観光案内本にも無かった庵だが、本堂内には、伏見桃山城の遺構の血天井があった。この天井は慶長5年7月(1600年)徳川家康の忠臣・鳥居彦衛門一党千八百余人が、石田三成の交戦したが、武運拙く討死し、残る三百八十余人が自刃して相果てたときの痕跡。

 また、本堂には悟りの窓と名づけられた丸窓と迷いの窓という角窓がある。
悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。
迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。

 常に迷ってばかりいる重ちゃんは、襟を正して「悟りの窓」前に正座。
 新年のご挨拶を申しあげます。





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