会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

中ノ沢温泉

2014-08-25 21:52:27 | Weblog
2014年8月25日(月)曇 28.3℃~21.1℃

 「中の沢温泉株式会社定時株主総会」

 たまたま祖父が中ノ沢温泉に湯治に行った時、株主になってもらいたいと頼まれ数株購入していた。
亡くなった父が受け継ぎ、現在私が株主になっている。株主総会などあまり出席したことがなかったが、代表取締役 西村英彦氏が亡くなられ、新代表取締役に花見屋旅館の古川秦一郎氏が就任されたので挨拶かたがた出席した。

 ほとんど旅館組合の方が株主で、外部からの株主の出席はない。数年前までは東京から出席されていたTさんも高齢のため欠席だった。
一人参加したことで総会が締まったような気がした。自分なりにいくつか意見を述べた。未回収金が少しでも回収されていたので経営陣の努力に敬意を称し今後も努力して欲しいと要望した。また、代表取締役の交代は取締役の互選で良いと思うのだがそれを総会で承認する手続きは?定款がどうなっているにかわからなかたのでそれ以上意見を述べなかった。
 総会終了後の懇親会では、いろいろな意見交換ができて出席してみてよかった。また、来年も総会に出席してくださいと言われが・・・・・・。???うるさい奴と思われていないだろうか????。
 会議の目的
 1.第98回営業報告  計算書承認の件
 2.株主資本等変動計算書承認の件
 
 この会社の収入は湯銭のみであるので、管理費など支出すると利益はほとんどなく株主配当などはない。数年前出席した時の株主はほとんど世代交代で分からなくなってしまた。温泉組合の事務員と朝日屋さんくらいは顔見知りであり、話し合うことができてほっとした。

 観光客の増加は、未だ震災以降の原発事故の風評被害から脱しきれない。現在は飯舘村の除染作業員を受け入れている旅館も多い。毎日、当温泉から飯舘村の現場に出かけている。
 株主としては中ノ沢温泉にお客さんが大勢お出でになることを願う。
 




<中ノ沢温泉の概要>
文禄年間に平近平氏によって安達太良山麓より発見されて以来、明治18年
遠藤勝吉氏を中心とした地元の多くの人々の努力によって人跡未踏の源泉より6km引湯されその苦難の物語は今も語り伝えられ、酸性の強い53℃と熱く珍しい薬湯として明治19年の旅館開業以来、湯治場として栄え多くの客に親しまれている。源泉より6km大自然の中を引き湯され温泉は、そのたびの間ガスが抜かれ何度も湯もみされ、まろやかになってそれぞれの旅館の湯船を満たします。個性的な内風呂の他、9ヶ所の露天風呂(男女別8、混浴1)がある。

懐かしの流行歌の舞台になった高原の湯
「♪汽車の窓からハンケチ振れば……」でおなじみの昭和29年のヒット曲『高原列車は行く』の舞台となった温泉地。安達太良山の西麓に抱かれ、北は吾妻、西は磐梯を望む高原のいで湯で、歌に唄われたのは中ノ沢・沼尻両温泉の湯治客を運んでいた旧沼尻軽便鉄道。多くの宿や土産店が街道に沿って整然と並ぶ温泉街には、昔の宿場町のような落ち着いた雰囲気が漂う。以前は、旧沼尻硫黄鉱山の採掘で繁栄。現在、軽便鉄道は廃線になったが、今でも猪苗代と福島を結ぶ国道115号線、郡山・磐梯熱海へ抜ける母成グリーンライン入口に近いなど、交通の要所として重要な役割を担っている。猪苗代湖、磐梯高原、会津若松、喜多方、磐梯吾妻など各方面に足を延ばしやすく、そのアクセスの良さから1年を通じて多くの観光客で賑わう。会津・猪苗代の観光名所めぐりを愉しんだ後は、効能あらたかな名湯に浸かりほっとひと息。その心地良さに、思わず歌のひとつも口ずさみたくなることだろう。

中ノ沢温泉に行ったらお土産は何にしたらよいでしょうか。
私は「宝来堂の笹だんご」をお勧めします。
立寄って笹だんごを購入した。とっても気さくなご主人で達沢の滝への観光客が多く道を尋ねられることが多い。手づくりでやって来たが人件費がかかるので、あんこを煉る・生地を煉る・笹に包み込むをすべて機械化したなどと話してくれた。皆さんも立ち寄ってみてはいかがですか。



 
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿