2月1日(金)
今日から2月。会津の冬はこれからかと思うようなお天気。週末まで続きそうである。暦の上では節分、立春と続く。しばらく寒さに耐えていれば春が来る。
職人さんはどこにいるのだろう。
数日前、久しぶりに蕎麦を打とうとして道具をだしてみた。
粉をこねる鉢、伸し棒、伸し板など一応きれいになっていた。
最後に、ケースに入れておいた蕎麦包丁をみて見て愕然とする。
錆びていた。手入れをしていたはずなのに・・・・・・・。
年末に蕎麦打ちをした後、新年にうどん打ちをした。うどんは塩水を使って捏ねる。念には念を入れて手入れをしなくてはならないと後悔した。
特に、うどんを打った後は、よく洗い、よく乾かし、クルミ油などの油を塗っておく。
会津蕎麦包丁なので素人には研ぎづらい。何年か前は、先輩の蕎麦打ち名人に研いでもらった。現在は、高齢でお願いができない。
数年前までは近所に、包丁、鋸などを研ぐ職人さんが店をだしていたが廃業してしまった。ステンレスの蕎麦包丁はあるが、この会津蕎麦包丁も捨てるにはもったいない。いろいろな人に聞いてみた。
日新町に職人さんが居ると聞いたので、街中散歩を兼ねて尋ねてみた。
なかなかみつからない。日新町は広い。
教えてくれた知人に再度聞くと「旧当麻町 末廣酒造 寛永蔵のある通り」だという。旧町名だと場所が大体は把握できる。いつも自動車で通る路だが見過ごしていた。
店はあった。ガラス戸を開けると紐で繋がれた大きな猫が飛び出して来たのにびっくりした。奥から出てきた主人によく頼み研いでもらった。ついで、いろいろな包丁も。
皆さんも捨てるにはもったいない。修理して使えるのだが・・・・・・。
という物が家庭にたくさんあると思います。そん時、修理してくれる職人さんがいればいいなと思ったことはありませんか。
次ぎは、古時計を直す職人さんについて書いてみたいと思います。
昔から「餅は餅屋に聞け」とはまさにその通り。
昔の職人さんは、専門職でしたね。
どの町内にもいい仕事をしている人が多かった。
手仕事の仕事が大好きでいいですね。
頑張ってください。
忙しくって ブログのアップが出来ないでいました。また、時々来訪してください。
昔から「餅は餅屋に聞け」と言われる様に、それぞれの専門があって、その人じゃないとできない仕事が存在する。
だから、私は手仕事が好きです。
釜飯はおいしかったですか。
4人娘さんがお出でくださるのですか、ありがとうございます。一生懸命資料を作って発表します。
新横丁界隈がずいぶん詳しいですね。
懐かしい店屋さんや材木屋、酒屋 ・・。皆懐かしいです。
市内新横町白山軒ラーメン屋さんの近くに中屋さんと言う磨ぎやさんがあって良く行きました、私の家は昔桶屋さんでして4人番頭さんがいておお急がしでした
何でもかんでも木でしたお金も大分入っていたようです子供ながら覚えています、川原町に川島木材屋さんがあってそこから木材を買っていたようでした、酒屋さんが沢山あって金の〆と言う酒屋さん、松下味噌屋さんもあって見んな木の桶だけでした。
「包丁が切れないと料理をする意欲が無くなる」同感です。切れに包丁だと怪我することが多いですね。
自分でも研ぎますが、蕎麦包丁とか出刃包丁(刃が欠けた)は無理でした。
最近の包丁は、使い捨てですね。
よい物は、刃がしっかりついているので研いで使います。昨年は、東京の合羽橋まで行ってよい物を買いました。新潟の三条へ行けば良かったかな。
元気になられてよかったですね。
今回は同じような症状で欠席された方が3人おれれました。参加人数は32名と昨年よりはすくなかったですが、楽しく過ごしました。
昔からの職人さんが、見つからなくて困ることがありますね。門田にも刃物を研ぐ方が居られるんですね。
後で場所を教えてください。
以前は職人が回ってきた人がいましたが、すぐ切れなくなりますので自分で研いでいます。嫁に来る時に母から砥ぎ石を持らって来ました。その後40年以上使っています。プロから見ればきっとひどい刃でしょうね。学生の時に砥ぎ方は習いましたし、母からも若い時指導を受けましたが正式なのかどうか分りません。なんとか料理しています~。
先日の集まりには失礼致しました。
今話題のギョウザではないんですが、突然腸に異変を来たし、あいなく欠席となり、皆様の笑顔を思い浮かべながらベソかいて休んでました。
包丁とぎ 年末になるとどうしても切れる包丁使いたくなります。
お友達に相談したら写真のお店と門田にある職人さんを知っているとのこと、親切に『車で一っ飛びだから』といって門田の研ぎやさんへ何頂もの包丁もって行ってくれました。
とても有難かったです。
昔実家の父がよく包丁研いでいた姿を思い出しました。(荷造りに使う縄切り包丁を・・・)
やっぱりそうでしたか。包丁や鋸の目たてなどお願いしたことがありました。
街中で頑張っている職人さんを応援したいですね。
傘の修理はしたことがありますか。
亡くなった「ごくろうさん食堂」の親父さんがやってくれていました。一度だけお願いしたことがあります。修理代より新しい物の方が安かったようでした。
思いでのある傘でしたので修理しましたが・・・。
我々には、今の使い捨ての時代はとても不便で馴染めませんね、、、仕方がないなァー。
昨日はお世話になりました。
moutyan の近くに以前 刃物を研ぐ職人がいましたね。後継者はいなかたのでしょうか。現在はやっていませんね。
包丁は切れるようになりました。
剪定鋏はまだ頼んだことがありません。
写真のお店は私も知っていましたが頼んだことは有りませんでした。今度植木の剪定バサミを頼んでみます。
重ちゃんの生家があった材木町は、只見川の電源開発頃まで、それはそれは賑わっていました。
会津若松の物流センター存在でした。
桶屋さん、箪笥屋さん、大工さん、指物屋さん、畳屋さん、魚屋さん、米屋さん・・・・・・。
表通りは、職人さんや商家などが軒を並べていました。Mayumiさんの生家の周辺と変わりはvありません。
色々な職種の方々とお話しできてよかったです。
その居住空間でお互いに助け合った生活していたんですな。便利さ優先より、「もったいない」「まだまだ大丈夫」などの気持ちで生活すれば、ポチてぶに考えて過せます。
こんな職人のお店あったなんて知りませんでした。
昔は私の住んでた町にもいろんな職人さんがお店を出していました。
私の家は兼業農家でしたが、祖父が桶職人でしたので、桶屋のお店を出してました。
すぐお向かいが鍛冶屋、斜め向かいが下駄職人のお店、並びにはかさや靴の修理の職人のお店がありました。昔のものは修理して使えるものが多かった気がします。手作り豆腐のお店もありました。その隣は畳職人のお店等々。
それらのお店、今はまったく影も形もありません。さびしいですね。
今となっては残念なことですけど、私、今になって本気で思うことがあります。
それは祖父に桶作りの技を習っておくんだったと。
あのころはそんな気はまったくありませんでしたもの。もっとも祖父が桶作りをしてたのは私が高校生のころまででしたからね。
「職人」…すばらしい言葉だと思います。