あかない日記

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講談社 野間清治

2021-10-16 | 人物忌


   「講談社野間記念館」(文京区関口2丁目)

 

 

10月16日は 講談社の創立者
 野間清治が亡くなった日


野間清治は

1878年
 群馬県山田郡新宿村
(現・桐生市)の教員住宅で生まれる。


1900年
 群馬県立師範学校を卒業,
 2年間小学校の教師をしてから

 東京大学臨時教員養成所国語漢文科に入学。
1904年
 卒業して沖縄県に行き
 中学教師と視学をつとめた。

1905年
 沖縄県立中学校
(現・沖縄県立首里高校)の教諭になる。

1906年
 沖縄県視学(地方教育行政官)となる。

 1907年
 東京大学法学部の事務官となる。

1909年
 大日本雄弁会を創立。

1910年
 最初の雑誌『雄弁』を創刊。

1911年
 講談社創業 雑誌「講談倶楽部」を創刊

 その後は「少年倶楽部」「面白倶楽部」
 「現代」「人倶楽部」「少女倶楽部」
 を次々に創刊
1924年 12月
 「キング」を創刊し
 その創刊号 (1月号) は 74万部売れた。

 「おもしろくて ためになる」という
 編集方針が大衆に支持された。

1925年
 1月号は 150万部売れ
 最初のミリオン・セラーの雑誌になった。

1930年
 報知新聞社の社長となり
 キングレコードの経営にもあたった。

 「世間雑話」 (1935) など著書もある。.
1938年 
 10月16日 急性狭心症で死去

 


  「講談社発祥の地」(文京区千駄木3丁目)

 

説明文には

「        講談社発祥の地
1909年(明治42年)11月、青年・学生の弁論と精神修養
のための雑誌「雄辨」発行を志した30歳の野間清治は、
東京団子坂下の借家(旧・本郷区駒込坂下町48番地、
現・文京区千駄木3丁目)の門柱に「大日本雄辯會」の
看板をかかげた。―講談社の創業である。
 創業時よりこの地にある伊予青石に刻まれた文字は、
第6代社長 野間佐和子の揮毫になる。 
                1996年7月4日
                株式会社 講談社 」

 



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