1897(明治30)年から1902年まで
読売新聞に連載された明治の文豪
尾崎紅葉の「金色夜叉」により
熱海は一躍脚光を浴びた。
「お宮の松」と呼ばれるようになったのは
1934(昭和9)年頃と言われている。
金色夜叉といえば「熱海海岸の場」
間貫一が お宮を足蹴にして立ち去るシーン
「いいか宮さん。
来年の今月今夜…再来年の今月今夜…、
10年後の今月今夜…、
一生を通して僕は今月今夜を忘れん、
僕の涙で必ずこの月を曇らして見せる。」
1986(昭和61)年に 熱海ロータリークラブにより
2代目松の隣に貫一・お宮の像が建立された。
当初はこの像に対し「女性蔑視」の声もあったようだ。
また「物語を忠実に再現したもので
決して暴力を肯定したり助長するものではありません」と
書かれたプレートもあるとのこと。
貫一お宮の像の脇に「金色夜叉と熱海」という解説板がある。
小説のあらすじと「金色夜叉の歌」の歌詞の一節が刻まれている。
紅葉山人記念 金色夜叉の碑
「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」
この句は 紅葉の門人小栗風葉作で
「後の金色夜叉」という小説を執筆している。
この句も名句として
「お宮の松」とともに広く熱海の名を知らしめた。
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